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【Web連載】


認知症とともに、よりよく生きる   5

〜Let's dance〜


水谷佳子


    認知症がある人自身が、認知症とともに生きる時間や姿勢を、どう表現するかはさまざまです。
 「抵抗する」「闘う」「向き合う」「抱える」「歩む」「旅する」「つきあう」……
 診断直後と、月日を経てからでは、表現が変わっていくこともあります。

 2017年4月、オーストラリアからクリスティーン・ブライデンさんが来日します。クリスティーンさんは1995年、46歳で認知症と診断された後、一念発起して世界に飛び出し、認知症の世界事情を大きく変革しました。彼女の2作目の著書『私は私になっていく』(注)の原題は、“Dancing With Dementia”─認知症とダンスする─でした。
 彼女は認知症とダンスし続けてきました。暮らしの変化、認知機能の変化に合わせたステップを踏み続けてきました。時にはダンスをやめて、ひと休みしたい時だってあるでしょう。でも、認知症が奏でるダンスのメロディは、止むことはありません。「認知症は人生の全てではない」けれど、「認知症をやめることは(今の医学では)できない」から。
 著書の中で彼女は、「認知症とダンスすることで適応してきた」と言っています。今回は、私が出会った人の「認知症とのダンス」をご紹介します。

すみ子さんです。

* * *

  認知症だって言われてショックだったわよね。
  その日から人生が変わったみたいに感じた。
  昨日の私と今日の私は変わらないのに。

  こうして、笑って、好きなこと話して、
  ランチしたり出かけたり……
  こういう当たり前のことができるなんて
  その頃は、思っていなかった。

  この病気(認知症)かもしれない、と最初に病院に行った頃は
  とにかく、何でも、メモしてたと思う。
  友だちにも、「最近、よくメモするわね」って言われた。
  そう言われるのは、ちょっと嫌だった。
  でも、責任ある仕事をしてたし
  生活に支障がないようにって
  メモ魔になってたんだと思う。

  今はもう、仕事はしてないし
  大事なことは主人が覚えていてくれるからいいのよ。
  でも、メモを持っているとね、お守りみたいで安心なのよ。
  安心すると、人って落ち着くじゃない。
  メモがないとパニックになっちゃう。

  外に出る時の予定、
  行き先、経路、時間、乗り換えのこと、
  何をしにいくのか。
  出かける時には分かっていても、いざデパートについて
  「あれ、何しに来たんだっけ」って。
  夕食の買い物に行ったのに靴買って帰っちゃったりして、
  主人に
  「おい、夕食が靴になったのか」なんて言われちゃうのよ。
  だからメモに、ちゃんと書いて、自分が何をするのかね。

  売り場に行けない、駅が分からない、と思うと
  そのことで焦っちゃう。パニックになっちゃう。
  今まで、生きてきた中で、
  パニックになるなんてこと、そうそうないじゃない?
  パニックになるって、尋常じゃない感覚なのよ。
  そんなことが何度もあると、怖くなっちゃう。
  自分が変になったのかと思っちゃう。

  字が書けなくなるっていうの、あるじゃない。
  でも、漢字が難しければ平仮名だっていいんだし。
  メモしなきゃいけないって決められるのは苦痛だけど
  私にとっては、「メモを持っている」っていうのが安心なのよ。
  持っていれば、パニックにならないのよ。
  いざというときは、それを見ればいいんだから。

  覚えることを頑張るのが脳にいい、とか聞くけど
  私は、降りることにしたのよ。
  覚えるのを頑張るんじゃなくて、ただ、書いとくの。
  機械で録音するっていう人もいるけど、
  機械が苦手な人もいるじゃない?
  だから、好きなことでいいと思う。
  自分にとって、好きと思えることで、
  手助けになるような、安心できるものがあれば。

  電車に乗ってるとドキドキしちゃう。
  comfortable(快適)ではないよね。
  主人と一緒ならいいんだけど、
  ひとりっていうのは怖くなってきたわね。

  「自信持って行ける、やれる」んならO.Kよ!
  認知症だからってやめることはない。
  ただ、もし、自分の中に迷いがあったり
  不安なままだったら、パニックになるわよ。
  自分で、自分にとって一番いい方法を
  いろんな方法の中から探してさ、
  携帯、メモ、メール、電話……
  自分用のルールもいろいろつくってさ、
  そうすれば、苦手だと思うことを補えると思う。
  出来ないことを出来るようにするのって、
  ものすごく大変でしょ。
  だから出来る範囲でやって、
  あとは自分以外のもので補えばいいのよ。

  やれること、得意なことたくさんもってる。
  不思議な病気なのよ……認知症って。
  どっかの部分だけ、機能不全になっちゃうときがある。
  あとは、案外、今まで通りだったりね。
  日によっても違うのよ。
  だから当人も戸惑っちゃう。

*****

 クリスティーンさんは、自身が「認知症とダンスする」だけではなく、夫のポールさんにダンスを教えたと言います。クリスティーンさんとポールさんは、お互いにリードしたりされたりしながら、ダンスを続けてきました。
 認知症とダンスするのは、認知症がある人にしかできない。でも、一緒にダンスする人がいれば、ちょっと力を抜いたり、手を取ったり取られたり……。何より、一緒にダンスを楽しむこともできるかもしれません。

すみ子さんのお話の続きです。

*****

  友だちがね、
  「足元に気をつけて」と声をかけてくれるのよね。
  認知症とかに関係なく
  私たちの年代だったら誰でも気をつけるようなこと
  普通に、そうやって気遣ったり、気遣ってもらったり……

  「危ないから一緒に行くわ」じゃなくて、
  「私もトイレ行きたいから一緒に行かない?」みたいなね、
  何気ない、さりげない言葉の選び方とか考え方って
  すごく大きい違いがあるって思う。

  やっぱり、信頼よね。
  お互いの、信頼よね。

  私はいま、こうして外に出て、話ができる。
  内心、おっかなびっくり、こわごわやってることもあるわけ。
  頑張って頑張って、やったとしても
  ボロが出ちゃったりするでしょ。
  でも、ボロを出せればいいのよ。
  病気の人同士なら、それでお互いに安心する。

  病気じゃない人なら……
  もし私が間違っちゃっても
  何気なくフォローしてくれればいいなって思う。
  ボロを出してもいいんだって思えると
  変な汗かかなくてすむのよ。

  その場の雰囲気ってあるじゃない。
  自分も場の一員という雰囲気を感じられるのがいい。
  仮に、会話の全部を分かってなかったとしても
  一緒にいる、同じ場にいる感じ。
  そういう場にいられることが嬉しい。

  忘れちゃうこともあるけど
  そのこと自体は、どうってことはない……
  ってことも多いかな。
  何月何日の何時にどこに行ったっていうような
  名称とか細々したことは、残ってなくたっていいじゃない。
  そういうことが大事なんじゃなくって
  楽しんできたよねって雰囲気を一緒に大切にできればね。
  ふんふんって、分かったようで分かってないように見えても
  それでいいじゃないって思う。

  朝ご飯何食べた?って聞かれるとムカつく!
  試されるのは嫌!
  そんなに知りたいことなのかしら?
  本当に知りたいこと、聞きたいこと聞いてよって思う。
  もし、尋ねてくれるなら、
  「今晩何食べたい?」って聞いてほしい。
  そうしたら、一生懸命、食べたいもの考えたり
  そのために何買おうかと考えたり
  朝ご飯と被らないよう、朝は何を食べたかなって考えるわよ。

  会話っていうのは、参加するっていうこと。
  自分もしゃべる。
  相手からの応えがあって、それを受けて、また応える。
  お互いに、やりとりする。
  それが普通のつきあいじゃない?

  もしかしたらね、
  「あの人ちょっと受け応えがおかしいんじゃない?」とか
  思われることも、あるのかもしれない。
  もし、誰かがそんな話をしたら、さりげなく
  「こうして一緒にご飯食べたり、一緒に楽しめれば
  それでいいじゃない」
  って言ってもらえたらいいなと思うのよね。
  身近な人が
  「楽しい時間を一緒に過ごしていければいいよ」って
  思ってくれれば、生きやすいんじゃないかと思う。

  人と話したり、見聞きすることで、自分のことが分かることもある。
  治らないとか、なってしまって抱えた問題は
  どうこう考えても仕方ない。
  夫と「やった」「やらない」で言い合いしても負けちゃうのよ。
  悔しいけど、その時に「そうか」と自分で認知して、
  その状況からまた仕切りなおせばいいのかな。

  ねぇ、あなたが会ったり話を聞いた人の中に
  ご主人が亡くなって、ひとりの人とか、いる?
  色んなことにぶつかって、人は、強くなっていくのかしら……

  いまは家族がある人も、いつかはひとりになることもある。
  ご主人が亡くなってしまった友だちもいるのよね。
  彼女たちが私みたいになったら、どうするのかしら。
  だって、いま、これで夫に何かあったらと思うとね……

  夫婦でいても、夫婦一緒に死ねるわけじゃないし
  子どもが近くにいるわけでもない。
  もし誰も周りにいなくて、ひとりになったら。
  考えても仕方ないんだけど
  時々、やっぱり不安になるのよね。

  あなたも結婚してるなら
  死んだあとのこととか、この先どう暮らそうかとか
  ご主人と色々話しておくといいわよ。

  今まで生きてきた中での出来事……
  忘れてることもあるけど
  旅行したり、出かけたり、いい思い出、刻まれた時間はある。
  出来事としては覚えていなくても、
  そういう経験、いい時間を過ごしたっていうこと、
  そういう事実がないと生きていけないと思うの。
  たとえば、こうやって外に出て、素敵なお店で、話していられる。
  ひとりでは出来ないことでしょ。
  そういう事実をつくっていけること、
  そういう人が……近くにいてくれる人がいればね、
  生きていけると思うの。

*****

 私が認知症になったとき、「認知症とのダンス」に戸惑うと思う。でも、こうしてステップを教えてくれる人がいる。ダンスのパートナーは私がつくるしかない。家族がパートナーになるとは限らない。一緒に楽しむ、一緒にしたいことをする、お互いに心地よく過ごせる、今ある人と人との関わり合いを丁寧につくっていこう。そして、誘い誘われたい。 “Let’s dance”

(注)
クリスティーン・ブライデン(著)/馬籠久美子・桧垣陽子(訳)『私は私になっていく 認知症とダンスを 改訂新版』クリエイツかもがわ、2012


─────────────────────

*水谷佳子(みずたに・よしこ)さんは、
 のぞみメモリークリニック(東京都三鷹市)の看護師。
 1969年東京都北区生まれ、コンピュータプログラマー、トレーラードライバーなどを経て、2005年に医療法人社団こだま会こだまクリニック入職、2012年からNPO法人認知症当事者の会事務局、2015年にのぞみメモリークリニックに入職されました。
 認知症がある人・ない人がともに「認知症の生きづらさと工夫」を知り、認知症と、どう生きていくかを話し合う「くらしの教室」を開催。「認知症当事者の意見発信の支援」を通じて、「認知症とともに、よりよく生きる」人たちの日々を講演等で伝えながら、「3つの会@web(http://www.3tsu.jp/)」という認知症の人が情報交換出来るウェブサイトの管理運営の支援もされています。

 以下は、このweb連載をはじめるにあたっての、水谷さんからのメッセージです。

認知症に関連する仕事をするようになって、
認知症の生きづらさ、認知症をとりまく様々なこと、
認知症とともに生きることを考えるようになりました。
答えのない問いや悩みの中で希望を探すうち
「認知症を考えることは、自分の生き方を考えることだ」と
思うようになりました。
認知症をきっかけに、「よりよく生きる」ことを一緒に考えていきませんか?


【連載は隔月に1度、偶数月中旬の更新を予定しています】