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【Web連載】


訂正に加えて『流儀』のこと 連載:予告&補遺・15

立岩 真也  (2013/07/09)
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最初におわび+値下げお知らせ

  前回、本来は『私的所有論』の第2版の紹介・宣伝を、ということあるはずのところ、解説を書いてくれた稲葉振一郎さん(1963〜)から、しりとりのように人を幾人かあげてその回はそれはそれで終わったのだった。そしてそこに出てくる、稲葉さん、加藤秀一さん(1963〜)、市野川容孝さん(1964〜)が「高校かそのあたりがいっしょ」と記したがそれは間違いであった。誰から聞いたことか、記憶にないが、とにかくそれは事実ではなかった。おわびします。(ついでに。加藤秀一『〈個〉からはじめる生命論』について『唯の生』の第1章「人命の特別を言わず/言う」で言及している。)
  さらに稲葉さんとの対談の本の題名を間違えて記していた。『国家と所有のゆくえ』ではなく、『所有と国家のゆくえ』である。著者が題名を間違えてはいけない。これもおわびします。だから、ではないが、版元絶版→著者側より(今のところ)テキスト・ファイルでの提供価格、下げてみることにした。600円にした(→販売します)。どうぞよろしく。

『流儀』

   2008年に『流儀』という本を生活書院から出してもらっている。いい本なのになんでこういう本が売れないのだろうと思い続けつつ、出版社に残っているのは100冊ほどになった。この本はアフリカ日本協議会で働いている稲場雅紀さんと小児科医の山田真さんに私がさせてもらったインタビュー(両方とも『現代思想』に掲載された、ただ雑誌に載ったものは、紙数の制約上省略された部分がある)の全文に、稲場さんの部分については、稲場さんが書いた文章を追加し、山田さんの部分についてはとても長い注をつけた。本全体についてのもう少し詳しい説明はまた、ということにさせてもらって、こういう「良書」がなかなか「はけない」という現実について。(最初から3人分の印税全額をアフリカ日本協議会に寄付ということではあったが、ともかく印税は支払ってもらったわけで、それもこみで商業出版として成立したかというと…、ということだ。)
  こういう状況をいったいどうしたものだろうと思っている。たぶん、もともと私が書いてきたような主題に関わる人たちはそんなに本を読んだりする人たちではないということが一つある。そのこと自体はわるいことではない。「硬い本」というものを、なにかまちがったりして、好んで読む人もいるが、そうした好みを皆がもつべきだなどと言えない。そうなのだが、しかし、それでもいくらかまとまったものとしてまとめ、通して読んでもらえるものとしてあり、そして、それを出す側としては損にならないようにするにはどうしたものか。例えば、山田さんへのインタビューの注は、私自身も勉強しつつ、かなりがんばってつけてみた。400字詰で160枚分ぐらいになるはずだ。それでも、いくらやっても、説明不足だし、それでも足したい部分がある。ただ、足していったらそれだけ分量は多くなってしまう。すると本は厚くなって、高くなってしまう。
  ひとつ、こういうところでリンクをつけていって、電子媒体で提供できないか、とか。ただ、この本とは別に「電子書籍」を始めてみてはいるのだが(→「販売します」)、今のところほぼ(まったくにちかく)てごたえなし(広告ページへのアクセスはなくはないのだが、「購入」に、クレジットカードが必要というのがネックだが、あればきわめて簡単に手続きできて瞬時に入手できる、のだが、&クレジットカードない人は個別に対応しますが、結びついていない)、ではある。それでもやれることをやっていく、そのための支度はしておこうと思う。今回は以下、山田インタビューの冒頭(ただしこれはそのまま記録したもののの一部で、本になったものと同じではない)と、本になったほうにつけた注と、それに書き足しつつある部分。〔〕内が加筆中の部分、つまり今出ている、私の手元にもまだ販売分ある、しかしたぶんもうすぐ刷って残った分がなくなるだろう(なくなってほしい)紙本にはない部分である。ちなみにその「対話2 告発の流儀 山田真×立岩真也」の目次は以下

  忘れずにとどめておくという仕事
  「異議申し立て」と医学生運動
  大学医学部のヒエラルキー
  森永ミルク中毒被害者の告発
  被害者-支援者、裁判-直接行動
  医者はわかってくれない
  「体制」を問題にするという構え
  “治す”を疑う医療
  オルタナティブの陥穽
  「間違った科学」「正しい科学」
  医療者の被害者意識
  合理的なことをきちんとやる
  この道も、この道も同様に間違っている

  では(繰り返しになるが)本にあるものとは少し異なるインタビューの冒頭。

  「立岩:今日なんでかっていうのは、一つには〔2007年〕11月でしたっけ、東京で、尊厳死とか治療停止の問題について、山田さんの盟友といいますか、本田勝紀さん★01っていう、脳死・臓器移植のことに関心がある人は彼の名前を知っているはずですけれども、その二人が主催というかんじで、ちょっとした集会をやったんです★02。僕も呼ばれて少しだけお話をしたんですけれども、そのときに栗原さん〔『現代思想』の編集者〕もいらしてて、それでその集会をやりながらというか聞きながら考えていたときに、その時点ですでに栗原さんから、今回、『現代思想』が2号に渡って特集するっていう話を聞いていて。それを組み合わせていくと、山田さんに話聞いたらおもしろいかもって思ったっていう、思いつきなんですけどね。
  で、その思いつきがなんなのかというあたりからなんだけれども、山田さんは1941年生まれで、僕は1960年生まれです。で、今どきの院生って考えてみると、だいたい80年に生まれたって27で、80年越して生まれた人って実際たくさんいます。そうすると、僕と山田さんが20ぐらい違って、今いる院生もやっぱ20ぐらい違って、だいたい40年ぐらいかな。
  そして、僕ここの大学院とかで教えたりする中で、いま自己紹介してもらったみたいに[公開で行われ、その参加者に自己紹介もらった]、今日は山田さんだからそんな人の参加が多いというのもあるんだけど、それだけじゃなくてこの研究科で、病気や障害に関係する研究したいっていう人が割合たくさん来て、それ自体は歓迎なんですけれども、話したり、書いたものを見てる中で、「あぁそっかこんなことも伝わってないんだな」とか「知られてないんだ」っていうことにけっこう頻繁に出くわすんです。
  それが100年も200年も昔の遠いどこかのことであれば、それも当たり前かなとも思うわけですけども、そうではなくて、この国に起こった、30年、40年、20年前の出来事であったりしても、やっぱり知らない。端的に知らない。知られてないことっていっぱいあるんだなということは前から思ってまして、よく思うことなんですね。
  それでいいだろうかと。もちろん、人間の記憶容量には限界があるし、世の中にあることみんな覚えていられない。次々に忘れてしまっていいこともたくさんあるに決まってますけれども、そうとばかりも言えないことも、やっぱりこの領域に関しては、この領域に関しても、あるだろうと思うわけです。
  そういった意味で、まず非常にべたな意味で、「この間何があったのかしら」ということを記録にとどめておく仕事がやっぱり必要なんじゃないかということを痛感というか実感する部分がある。日本に限らず、この社会において何が起こって、それが今にどういう形で引き継がれたり、断絶したりしているのか、そういうことが気になる。それはそれとして押さえておきたい。ほっとけばなくなってしまう、薄れてしまう。それでぼつぼつとそんな仕事を始めているわけです。そしてここの研究科が主体になってCOEっていうのを始めている。その仕事の一つとしてもそれをやっていこうという。
  いろんな人に話を聞いたりしていて、昨日も大学院のメーリングリストでは流しましたけれども、数年前にやった横田弘さんとの対談★03をひっぱりだして、ちょっと直したりとか、それもその一環なんですけども、そういうことがベースにはあります、まず。……」

 注をさらに増補したら、それはきりのない仕事になるのではあるが、ということで始めてみている。〔〕内が今、加えてみたところ。

★01 本田勝紀(ほんだ・かつのり) 一九四一年生まれ、内科医。本田と山田の二人は、一九六七年、卒業式前日に無期停学処分を受けている(山田[2005:85-89])。東大PRC(患者の権利検討会)で活動。多くの文章を雑誌『技術と人間』〔一九七二年創刊、当初はアグネ社から刊行、高橋昇が社長となって株式会社技術と人間を設立、二〇〇五年八・九月号をもって廃刊。当方のHPに創刊から一九九二年までの特集名を掲載。cf.http://arita.com/ar3/?p=788〕に書いている。『技術と人間』の特集が単行書化されたものとして東大PRC企画委員会編[1986]『脳死――脳死とは何か?何が問題か?』、[1988]『エイズと人権』がある。他に本田の共著書として本田・弘中[1990]『検証医療事故――医師と弁護士が追跡する』がある。(こうして以下に出てくる一人ひとりの著作をあげていくとそれだけで本ができてしまう。山田には四〇冊を超える著作があるのだという。それらの紹介はまたの機会にしよう〔→HP内の「山田真」〕。)
★02 脳死=A安楽死、終末期医療を考える公開シンポジウム、二〇〇七年十月七日 於:東京・南青山。その記録が出ている。可能であればHPに掲載する。〔立岩の報告(要旨)は「同じ問題であることについて」。この後この主題について、二〇〇八年に立岩は『良い死』、二〇〇九年に『唯の生』(いずれも筑摩書房)を出してもらった。また二〇一二年には有馬斉との共著で『生死の語り行い・1』(生活書院)。〕
★03 横田弘(よこた・ひろし) 一九三三年生まれ、詩人、脳性マヒ者。七〇年代から八〇年代にかけて五冊の本がある(HPで紹介)。今購入できる対談集に『否定される命からの問い』(横田[2004])があり、立岩との対談も収録されている。横田弘・立岩真也[2003]「二〇〇三年七月二八日の対談」は収録された対談の一つ前に行われたもの。立岩が、横田さんの過去を聞き出すことだけに熱心だったので本には収録されず、もう一度対談が行なわれることになり、それが収録された。この書籍未収録の第一回の対談で、七〇年代について横田は次のように語っている。
  「七〇年のあの当時で、あの時でなかったならば『青い芝』の運動は、こんなに社会の皆から受け入れられなかったと思います。七〇年の学生さんの社会を変えていこうよと、社会を変えなければ僕たちは生きていけないと考えた、あの大きな流れがあったから、僕たちの言うことも社会の人たちが、ある程度受け入れようという気持ちがあったわけですよ。」(横田・立岩[2003])
  〔横田は二〇一三年六月三日に亡くなった。『生の技法』にも記したが、「青い芝の会」の「行動綱領」は、当初横田が「勝手に」会報に掲載されたものである。これは短いもので、全文をその本に引用したし(第7章・注)、HPにも掲載されているのだが、横田が書いた何冊かの本は、上記した対談集以外、もう買って読むことはできない。こうしたものをどうしたものかもまたよく考えることだが、やはり、よい方法を見出していない。一家に一冊というぐらいのものである横塚晃一(一九三五〜一九七八)の『母よ!殺すな』は再刊されたが、しょうじき他はなかなか難しくはあるように思う。とりあえず私(たち)ができることとして、それがもたらしたものを知らせていくということはある。最近見た(見返した)本のなかでは、小澤勲『反精神医学への道標』(1974,めるくまーる社)に映画『さようならCP』(「シナリオ」が上記の『母よ!殺すな 新版』に再録されている)へのわりあい長い言及がある。また、友の会編『精神障害者解放への歩み――私達の状況を変えるのは私達』(1981,新泉社)に「綱領」全文を引用している人の文章が収録されている、等。)
  唯一買えるその対談集の本は現代書館から出版されている。編集担当は、『季刊福祉労働』他を長いこと担当してきた小林律子さんだ。小林さんは大学生時代に横田さんの介助をすることになった因縁で、この業界で仕事をすることになった。立岩には、『生の技法』を書く時、神田三崎町にあるその出版社・現代書館にちょくに行って、小林さんから『(季刊)福祉労働』をあるだけ売ってもらった記憶がある。さらに加えると、前記した第一回目の横田対談(インタビュー)の記録は手元に残っている。そして、対談集の後、さらにもう一度横田さんからの申し出、というか、神奈川県立保健福祉大学の臼井正樹さんのとりなし?で、三度目の対談をさせてもらっている。その時の記録があるか、確認してみようと思う。〕

  こんなかんじで、結局どういうかたちに落ち着くかわからないが『流儀』の注への追記を、この「連載」の場を借りて、増やしていこうと思う。というわけで、次回がどうなるかはわからないが、しばらく続けさせていただく。


 
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◆横塚 晃一 2007/09/10 『母よ!殺すな 新版』,生活書院,432p. ISBN-10: 4903690148 ISBN-13: 978-4903690148 2200+110 2500+ [amazon][kinokuniya]


『私的所有論  第2版』表紙    『流儀』表紙    『母よ!殺すな 新版』表紙