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【Web連載】


『私的所有論』の登場人物2(視労協・宮昭夫)
連載:予告&補遺・22

立岩 真也  (2013/10/21)
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  前回はかつてあってなくなった「生命倫理研究会」という研究会――についてはまたそのうち――でシンポジウムを行なったときに、奥山幸博さんが米本昌平さんを批判する発言をしたこと、それを『私的所有論』で引用したことを紹介した(今出ているのは第2版だが、引用したのは1997年)。
  そして、その奥山さんは、かつて「視覚障害者労働問題協議会(視労協)」という組織にいた。同じくそのメンバーでもあり国会議員などつとめた堀利和さんが共同連(1984年結成、差別とたたかう共同体全国連合→(NPO)共同連)の代表を今していて、その大会で会ったから(そしてこの10月の23日には対談というか、お話を聞かせてもらうことになった――「「共同連」における「共にいきる」ことを可能とする実践 対談企画」――から)というわけではないのだが、そんなところから「登場人物」の紹介を始めている。
  上記の研究会についてはまた別途紹介することにする。今回は、同じその「視労協」のメンバーだった宮昭夫さんの文章を紹介する。私はその「共同連」の大会で堀さん奥山さんからうかがうまで、宮さんが亡くなっていたことを知らなかった。生前もお会いしたことはなかった。ただその文章を『障害の地平』で読んでいて、それを以下の3箇所で引用している。
  一番目は、第7章「代わりの道と行き止まり」3節「抵抗としての自由」2項「自由であるための資格」p.486にある註21。【】内は第2版にあたって追加した部分。

◇21 「「お前は人間には自殺する権利があると思うか?」/「権利はあるかも知れないが賛成はしない。」/「安楽死と尊厳死については反対なんだろ?」/「個人的な決断の問題と、法律として国家によって強制されたり、奨励されたりする事とは別だよ。子供を生むかどうかとか死を選ぶかどうかなんて事は、個人の問題としてはそれぞれの決断には重みがある。しかし、法律で強制される事は別だ。断固反対すべきだ。」/「それはよくわかる。だけど自分で死ぬ事のできる人間の権利は認めるが、死を選ぶのに、言わば介護を必要とする人間の権利は認めないというのは一種の障害者差別じゃないか?…」」(宮昭夫[1996:3]【、宮については第8章注1・608頁】)(p.533)

  とくに最後のところ、自力で死ねる人は(事実上)死ぬことができるのに対して、それができないからといって死ねないというのは公平ではないかという問いかけは、そうだよねと思ってしまう。
  二番目は、第8章「能力主義を否定する能力主義の肯定」の章の扉のところ。

「「たぶん、うまいラーメン屋をうまいと言う事がいけないわけじゃないと思うよ。」
「うまいってほめるだけで、特にひいきにしなければいいのか?」
「ちゃちゃを入れるなよ。大切な事は、ラーメン屋で自分を発揮できなかった人にも、常に新たな挑戦の機会を与える事だと思う。」
「また失敗したら?」」(宮昭夫[1996:2])◇01

  そこには註が付いている。

「◇01 第7章注21(533頁)と第9章冒頭(620頁)でも視覚障害者労働問題題協議会(視労協)の機関誌『障害の地平』に掲載された同じ文章の一部を引いた(他に宮昭夫[1994][1995]等【、視労協の活動の歴史について宮[2001]】。私は筆者と同じ考えではない。また引用した部分に続く箇所を意図的に省略した引用もある。ただ、これらの文章から、逡巡しながらずっと考えてきた一人の見知らぬ人、というより人達の三十年近くの動きの存在を再確認することができて、私は、私一人だけが今こんな変なことを考えている、と思わずにすむことができたし、また、逡巡した上での自由、というより、逡巡していることの自由さのようなものがあって、私はこれらの文章が好きだし、またこの自由さはここ約三十年の障害者の社会運動の質を示すものだとも思う。」(p.608)

  三番目は、第9章「正しい優生学とつきあう」の章の扉。最首悟の文章と並んで載っている。

「「自分の子供が五体満足ですこやかに生まれてくる事を望むのは、やっぱり差別的なのかね。」
「多分ね。」
「でもそれは人間としてごく自然な感情じゃないか?」
「それはそうだけど、自然な感情であるという事は、そのまま正しいということじゃないし、差別的でないという事でもない。例えば、人よりできるだけ楽をしてうまい物を食いたいと思ったり、人をけ落として競争で一番になりたいと思うのも自然な感情だと言えば言えるだろう。」
「どこか違うんじゃないか? 俺はたとえ子供がどんな状態で生まれてきても、それを引き受けて一緒に生きていこうと覚悟した。それでもやっぱり生まれる時にはすこやかであってくれと思った。正直の所ね。その事で俺は他者をけ落としたり傷つけたりしているか?」
「五体満足で生まれてくれという願いをきく事は、障害者には嬉しくないとは思わないか? 自分が否定されている、少なくとも肯定されていないと感じる。」
「俺も障害者だけど、俺はそんな風に思わないよな。」」(宮昭夫[1996:2-3])(p.621)

  ここでもいくつか論点が示されている。そんな文章を、さきの註に記したような気持ちで私は読んできた。この本の前半のほうの各章の扉にはロックだとかカントといった過去の著名人の文章からの引用が置かれているのだが、後半は宮さんの文章とかが並んでいる。他にもいろいろな人が出てくのだが、多くの人はあまり気づかないようだ。そこで「いきさつ・それから――第2版補章・2」の註1次のように記した。

「◇01 時代の雰囲気とは別に、しかし必然性をもって、ものを書いた人の書いたものが、その人たちは「学者」でないことが多いのだが、あったにはあった。よく知らないからでもあるのだが、本書では控えめに、注などで、幾人か・いくつかについて記した。新たに加えた文では、補章1の注4(797頁)で田中美津、注6(798頁)で吉田おさみ、注9(802頁)で吉本隆明最首悟、注16で森崎和江(809頁)、ほかに本補章で、稲場雅樹山田真米津知子、また初版では、第5章の注1(347頁)、注12(359頁)、注22(364頁)、第6章の注1(418頁)、注43(450頁)、第7章の注23(534頁)、第8章の扉(538頁)、注1(608頁)、注3(611頁)、第9章の扉(620頁)、注2(709頁)、注9(715頁)、注20(724頁)、注21(724頁)、注27(726頁)等で、石川憲彦石牟礼道子奥山幸博小沢牧子北村小夜最首悟篠原睦治堤愛子野辺明子福本英子古川清治宮昭夫村瀬学横田弘毛利子来横塚晃一山下恒男山田真米津知子渡辺淳の文章・文献にわずかに、ほとんどの場合本当にわずかに、ふれた。」(pp.843-844)

  この註は次の本文を受けている。補章・2の冒頭、第1節「なりゆき」1項「いきさつ」のところ。

  「例えば障害に関わることについて書くことがあると、「なぜそんなことをわざわざ?」と聞かれることがあるが、「身内にどなたか?」と尋ねられることもあるが、具体的に、とくにそんなことは――時とともにその比率が高まっているのではあるが――ない。しかし、私は――もっと広い意味での――「能力主義」にまつわることごとが、この世に起こる困ったこと不要なことの基本にあるとずっと思ってきたし、思っている。私は、すくなくとも大学に入る前は社会科学だとかなにも知らない人だったが、学校には通っていた。学校というのはそういう社会のための場所として機能している。それは、なんの「学」がなくても自明なことだった。
  もちろん他にもいろいろなことがこの社会には起こっている。しかしそれらの多くが、たとえ建前であっても、「差別」であるとか、よろしくないとされているのに対して、これはそうではない。ここが違う。そしてさらに、だんだんとそんなことを問題にしようという人が意外にいないことを知ることになった。
  そういうのは流行りではなかったのだ。当時、おおむね一九八〇年代、その前後、私が学生や大学院生をしている頃にも、いろんな人がいろんなことを書いていた。よくできている(利口な人が書いている)と思えるものと、そうでもないと思えるものとあったが、そうした出来不出来はともかく、私に関心があることについて書かれているものはあまりないようだった。
  正確には、それはすこし違う。誤解を招く。正しくは、ある時期すこし流行りだった。いや、そのような社会への文句の言い方は、私は、有史以来ずっとあると思っているのだが、「社会」を語る語り方として表立って口にされ始めたのは、この国では、「成長」が一息ついて、「前向き」な感じがいくらか疑われ始めた頃からだったと思う。それには「学問」的なものもあったし、そうでないものもあった。一九七〇年代辺り、そういう「問題意識」があって書かれた本などそれなりにあった。一九八〇年の前後にも、そういう気分の社会運動が例えば大学の中でもあった。
  「団塊の世代」「全共闘世代」について私の評価は――全体としてものを考えない、というか途中でやめてしまったと思えてしまうために――かなり辛いのだが、それでもその人たちがいた。それより年が上の人も下の人も含め、一九七〇年頃から「能力主義」だの「優生思想」だの、呪文のように同じ言葉を繰り返していた社会運動のある部分があった。ほぼ消滅しかかっていた学生運動にもあった。それはこの国にかなり特異なことと言ってよいのかもしれないように思う。多くはあまりものを書かない人たちだったが、それでもいくつか本もあった(534頁、そして[2007a]にいくらか列挙した人たちや本)。そしてそういうものにわりあい深くあるいはすこし関わりのある私とほぼ同世代の人たちがそう多くはないにしても周囲にいた(そして結局、そのうちの一定の部分は研究者になった)。本書でわりあい名前がたくさん出てくる人たちの幾人かはそんな人たちでもある◇01。(そしてその時期のことについて、またそのしばらく間の私が直接には知らないことについては、『そよ風のように街に出よう』という雑誌に筋なく続けさせてもらっている「もらったものについて」という「連載」([2007-])があるので、それをそのうち整理してまとめられればと思っている。)
  ただ、そうした批判的な言論にしても[…]」(pp.814-816)

  これ以上解説はいらないと思う。ただ、さきの註に出てきた人たちの名前を知らない人はいるのだろう。それで電子書籍を出して、この連載から人についてのページにリンクできるようにと思ったのでもある――といってまだ実現していないのだが。あってもよいという人は何人かでもいたら試してみたいと思う→連絡をください→立岩:TAE01303@nifty.ne.jp

□文献表

宮 昭夫 1994 「私の差別論ノートから」,『障害の地平』(視覚障害者労働問題題協議会)78:1-3 <367,608>
―――――  1995 「「共に生きる社会」と私あれこれ」,『障害の地平』 <367,608>
―――――  1996 「もう一人の私との対話」,『障害の地平』87:1-3 <533,538,620>
―――――  2001 「視労協がやってきたこと、考えてきたこと」,全国自立生活センター協議会編[2001:89-97] <608>
高橋 隆雄・浅井 篤 編 2007 『日本の生命倫理――回顧と展望』,九州大学出版会,熊本大学生命倫理論集1
立岩 真也 2007a 「障害の位置――その歴史のために」,高橋・浅井編[2007:108-130] <816>
――――― 2007- 「もらったものについて・1〜」,『そよ風のように街に出よう』75:32-36〜 <816>
全国自立生活センター協議会 編 2001 『自立生活運動と障害文化――当事者からの福祉論』,発行:全国自立生活センター協議会,発売:現代書館,480p.


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