先週は、ある企画の打ち合わせで筑波大学に出かけ、週末には別の企画のご提案が電話でありました。いずれも、知的障害や高次脳機能障害の当事者、援助者に向けて書かれた生活支援・家族支援に関わる翻訳企画です。いずれ、詳細もご報告しますが、生活書院としては発足時から掲げているテーマなので是非取り組んでいきたいと思います。
今回の企画が二つとも当てはまるというわけではないのですが、こうした企画を考えるとき、いつも思うことの一つに、「どこまで届いているのか」ということがあります。こういう形になっていればアクセスできる、例えば文字の級数を大きくする、ルビをつける、仮名にひらく、本自体を大判にする、色遣いで認知がしやすくなる、音や映像媒体を使うなどなど、当事者からの意思表明や告知があれば、最大限実現する努力をすればいい。ただ、重度の知的障害や、高次脳機能障害当事者で「こうなっていればアクセスしやすいから、こうしろ」という意思表示や、コミュニケーション自体に困難さをかかえている場合、当事者に向けた出版という営みはどこまでの意味を持っているのだろうということを、やはり思わざるを得ないのです。
とはいえ、出来る限りやれることはやってみる。話はずれるかもしれませんが、ほうっておけないこと、例えば自立支援法下で入所施設にいまもいる障害当事者が、食費や光熱費といった生活の根幹に関わる部分で、悲鳴をあげているのなら、入所の是非についての議論は当然あるけれど、そこはまず何とかする、もちろん他のこともやる。
などと考えていると、あまりに有名な言葉で、私などが援用するとお叱りを受けるかもしれませんが、「はやく ゆっくり」という言葉はとても力を与えてくれます。
教育基本法改正問題に関わって、16日の朝日新聞紙上で金子奨さんが「『他者との違いが関心を呼び起こす』という働きこそ教室の基本」なのに、基本法改正はここをつぶしてしまうと書いていましたが、一つの評価基準で全てをはかり管理支配するという風潮が世の中全体を覆いつくそうとしていて、ことは教育の問題だけではないなと思います。
今週はまた関西に出かけます。何人かの方とお会いし、もちろん書店にも伺います。独立するときの念願の一つだった企画も、実現にむけて動き出しそうです。それはまた、戻ってからのご報告ということで。
PS:15日の毎日新聞、18日の東京新聞で柏女霊峰さんの『子ども家庭福祉・保育のあたらしい世界』が紹介されました。是非、ご一読を。