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2006年12月 アーカイブ

2006年12月01日

大阪へいってきた2

というわけで、またも関西にいってきました。

出張2日目の夜は、ぎりぎりの時間まで京都の某所で飲んで、割り勘の金も払わず(時間が押していて計算も間に合わないということで後からにしてもらったので、決して飲み逃げではありません)、大阪行きのJRに乗ったはいいが、どこやらで人身事故とのことで、快速が40分超の遅れ。各駅停車で大阪に着く頃には地下鉄はすでに終電のあと。寒い中を2キロ近く歩いて、肥後橋の宿にたどり着いたのは、午前2時近くでした。

多少こそばゆくなるような激励も受けながらの、楽しい夕べでしたが、色々とお話を聞くにつけ、新規で立ち上げた版元が生き延びていくのは、本当に至難の業だなと思わざるを得ません(京都には一人版元でとても素敵な本を出している出版社があります)。お金が入ってくるのは半年後なのに、出て行くお金はすぐなんですよね。とはいえ、応援してくれる人もいて、何とか取次口座も開設できた私たちは、格好つけたやせ我慢をしていられる分、幸せではあるのですが。

「勝ち組」などという唾棄すべき言葉は一生使うこともないでしょうが、それでも次へまた次へとつないでいかなくてはなりません。今回は神戸は三宮、元町と大阪のなんば、天王寺界隈、それに京都の郊外といった地域の書店さんを回らせていただきました。きちんと平積み、面出しになっているお店もあれば、「なんで、こんな広いスペースなのに1冊も入ってないの」という店もあり。もちろん、担当の方が悪いのではなく、認知されていない、つまりわがほうの営業が足りていないのがその理由です。現に、お話さえきちんとできれば置いていただけるし、多少なりとも売れてもいるわけですから。明日へと出版の糧をつないでいくために、手作りのPOPを右手に、書店行脚の旅は今日も続くのでした。

今回の旅で打ち合わせをさせていただいた企画は、来年の夏以降、形になっていくものばかりです。通底する気分を一言でいえば Nothing About Us Without Us という感じでしょうか。生き延びて、考え続けて、言うべきは言って、少しは風通しをよくしようと思っている人たちに伴走させていただければなと、あらためて思った、2泊3日でした。お会いした皆さんありがとうございました。風邪など引かずに乗り切りましょう。

さて、来週末は東北の地へと参ります。そのご報告はまた次回に……


PS:それにしても京都は寒いですねえ。某大学の生協食堂で70円のカップコーヒーを飲んでいると、学生3人組が、なにやらのアンケートとのことで、「京都の印象といえば」と聞いてくるので、当然のごとく「寒い」と答えました。それで終わると思いきや、「日本に観光でやってくる外国人のうち、何割が京都を訪れると思いますか」と聞いてくるので、「4割ぐらいかな」と答えると、嬉しそうに「15%を切るんですよ」とのたまうわけですが、あれはいったい何のアンケートだったのかしらん。もう一つ、京都の印象を述べよと言われたら、京大吉田寮や、同志社の学館ということになるのですが、まあ、それはあまり関係のないことではあります。

PS2:『やさしい介護 目で見る介護』→めでたく重版が決定しました!
   

2006年12月18日

すっきりとはいかないけれど

12月13日、国連総会で、障害者の権利条約および選択議定書が採択されました。
12月15日、教育基本法改正と防衛庁省昇格関連法が可決、成立してしまいました。

とても嬉しいことと、とてもきな臭くて息苦しい気持ちにさせられることが、
ほぼ時を同じくしておきました。
嬉しいことはより実効性を持たせるべく、きな臭いことはより実効性を失わせるべく、
それぞれの場所でそれぞれが(私たちの場合はまずは出版という形で)、
動いていくしかないのだと思います。

ここ10日あまり、もちろん飛び飛びにではありますが、
仙台、東京は吉祥寺、三田、そして千葉と、
学会や、研究会、一対一の対話など形式は様々だけれども、
支援・援助ってなんだろうということを考える場に、
本の宣伝や、企画のご相談をしながら、参加し続けてきました。

ある方がこんなニュアンスのことをおっしゃっていて、
「今の○○支援(○には色々なことばを入れていいように思いました)は、
ツール開発、援助技術の習得に躍起になるあまり、一つ一つのケースにきちんと
寄り添い、見立てていくことが、ややもすればないがしろにされがちではないか……」
それは、とても大事なことのように思いました。

むろん、個人の力量や経験のみに頼るのはよくないし、
勘違いをすると、ある発達障害者支援の研究大会で、
「ヒトが人間になる」「『普通の人』としての暮らしを遍く実現させる」などと、
信じられないというか、許しがたいことをいう、
戸塚ヨットスクールばりの、「ベテラン」援助者がいたように、
とてもやっかいなことにもなりかねません。

また、誰にとっても使いやすいツールや支援技術を研究、開発し、
どんな効果があるかをエヴィデンスに基づいて検証し、広めていく。
それは、とても大事なことだし、みんなに望まれていることだと思います。

ただ、きれいなすっきりとした解決を追及するあまり、
少しずれたり、おっこちたりしたとき(現実にはそのほうがずっと多いように思われ)、
支援する側も支援を必要とする側も、つらくなることはないのだろうか、
そんな風にも思うのです。

素人が何をいっているといわれると返す言葉もないですし、
きれいに解けないときの応用力こそが専門性ということだと思いますので、
結論としては、そんな力量をもったかたがたの、
そんなところにも気を配っていただいた本を作っていきたい、
ということに尽きるのですが……。

それと、もう一つ気になっていることに、
支援者・援助者の当事者利用主義ということがあるのですが、
全く、まとまってもいないし、いえそうにもないので、いずれまた。

PS:仙台は実家にも近くなんども足を運んでいる場所なのですが、
「白松が最中」を頼まれて、土産に買って帰り、ご相伴で初めて食べました。
胡麻餡、確かに美味しいのですが、私はやはり大納言ですね。
ハイボールにとてもよく合います。

PS2:生活書院にとって3冊目の新刊、『わたしの介護ノート』が14日、出来てきました。
22日ぐらいから全国の書店に並ぶと思います。どうかご一読を!


2006年12月30日

年の終わりに

12月27日東京新聞夕刊の大澤真幸さんの論壇時評は、今、考えなくてはいけないこと、それについての読まれるべき論考が的確に紹介されていたように思いました。

例えば、「『格差』という言葉こそ、貧困を不可視化している」といったことは、早くから岩田正美さんたちがおっしゃっていたと思いますが、格差文脈に乗っかってしまうと、容易に「再チャレンジ」や「自立支援」といった言葉に絡めとられ〈「現代思想」の12月号で、堅田・山森さんが、「〈障害当事者の自立生活運動の取り組みが〉自立支援業界では『依存的自立』などと分類され、当事者たちが引き直した自立/依存の線引きは、またもや元の方向に戻されようとしている」と述べていますが、本当にその通りです〉、使われて、「『平等』に手は貸してやったのに、『勝ち組』や『上流』に上ってこないのは、お前たちの『自己責任』だ」ということになり、しまいには、お決まりの「ある程度の格差は必要、経済の活性化なくしてセーフティネットも確保できない」という、わけのわからない居直りになっていくといったことでしょうか。

これでは、結局のところ、貧困を固定化させ再生産させ、社会の埒外へと排除し続けていくことになって、「貧困はなくならない」「いじめはなくならない」もちろん「戦争もなくならない」と、カッパエビセンじゃあるまいし、「やめられない、とまらない」からしょうがないになってしまいます。

ただ、少なくとも「格差」ではなく「貧困」が問題だということが、議論をする上での一定の共通認識として成立し始めたのだとすれば、それはいいことなのかもしれません。

もう一つ、大澤さんは市野川容孝さんの著作を論評する中で、「社会」という言葉の退潮・消滅をあげています。ちょっと思い出したのですが、文字通り『社会の喪失』というタイトルの本で、市村弘正さんが「国家と区別された意味での社会という概念を、純粋無垢なものとして使うことは難しくなっている」と、おっしゃった上で、「社会という言葉を用いることによって、生存権や社会権のようなものを獲得しようとした人々にとっては、その概念は大事なものだった」し、「それを歴史主義的に処理してはならないのではないか、つまり、社会という言葉には、再考を促す、ある画期的な含意があっただろう」と述べています。

例えば、「市民社会」という言葉への嫌悪、違和感ということも、社会改革運動を担っている「個人」から多数提示されるわけで、考えなければならないことはとても多いのでしょうが、素人なりに思えば、やはり、「社会」という言葉の含意を、今一度大事にすべき地点にいるような気がします。

生活書院を立ち上げて、1年目が暮れようとしています。会社の名前を考えている頃に読んで、今も大事だなと個人的に思っている文章があって、それは、見田宗介さんが『社会学入門』で書いておられるのですが、

「社会の理想的なあり方を構想する仕方には、原的に異なった二つの発想の様式がある。一方は、歓びと感動に充ちた生のあり方、関係のあり方を追求し、現実の内に実現することをめざすものである。一方は、人間が相互に他者として生きるということの現実から来る不幸や抑圧を、最小のものに止めるルールを明確化してゆこうとするものである」
そして「二つの様式は、こんにち対立するもののように現れているが、たがいに相補するものとして考えておくことができる」。

来年も色んな場所で、色んな人とお会いして、お話をして、考えて、「本」を送り出していきたいと思います。今年1年本当にありがとうございました。良い年をお迎え下さい。

PS:というわけで30日の今日も事務所で仕事をしています。このあと、ある場所である人を応援に京王線で少し遠くまで出かけようと思っているのですが、心待ちにしている原稿がまだ来ません……。もう少し待ってみます。


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