« すっきりとはいかないけれど | メイン | 年の初めに »

年の終わりに

12月27日東京新聞夕刊の大澤真幸さんの論壇時評は、今、考えなくてはいけないこと、それについての読まれるべき論考が的確に紹介されていたように思いました。

例えば、「『格差』という言葉こそ、貧困を不可視化している」といったことは、早くから岩田正美さんたちがおっしゃっていたと思いますが、格差文脈に乗っかってしまうと、容易に「再チャレンジ」や「自立支援」といった言葉に絡めとられ〈「現代思想」の12月号で、堅田・山森さんが、「〈障害当事者の自立生活運動の取り組みが〉自立支援業界では『依存的自立』などと分類され、当事者たちが引き直した自立/依存の線引きは、またもや元の方向に戻されようとしている」と述べていますが、本当にその通りです〉、使われて、「『平等』に手は貸してやったのに、『勝ち組』や『上流』に上ってこないのは、お前たちの『自己責任』だ」ということになり、しまいには、お決まりの「ある程度の格差は必要、経済の活性化なくしてセーフティネットも確保できない」という、わけのわからない居直りになっていくといったことでしょうか。

これでは、結局のところ、貧困を固定化させ再生産させ、社会の埒外へと排除し続けていくことになって、「貧困はなくならない」「いじめはなくならない」もちろん「戦争もなくならない」と、カッパエビセンじゃあるまいし、「やめられない、とまらない」からしょうがないになってしまいます。

ただ、少なくとも「格差」ではなく「貧困」が問題だということが、議論をする上での一定の共通認識として成立し始めたのだとすれば、それはいいことなのかもしれません。

もう一つ、大澤さんは市野川容孝さんの著作を論評する中で、「社会」という言葉の退潮・消滅をあげています。ちょっと思い出したのですが、文字通り『社会の喪失』というタイトルの本で、市村弘正さんが「国家と区別された意味での社会という概念を、純粋無垢なものとして使うことは難しくなっている」と、おっしゃった上で、「社会という言葉を用いることによって、生存権や社会権のようなものを獲得しようとした人々にとっては、その概念は大事なものだった」し、「それを歴史主義的に処理してはならないのではないか、つまり、社会という言葉には、再考を促す、ある画期的な含意があっただろう」と述べています。

例えば、「市民社会」という言葉への嫌悪、違和感ということも、社会改革運動を担っている「個人」から多数提示されるわけで、考えなければならないことはとても多いのでしょうが、素人なりに思えば、やはり、「社会」という言葉の含意を、今一度大事にすべき地点にいるような気がします。

生活書院を立ち上げて、1年目が暮れようとしています。会社の名前を考えている頃に読んで、今も大事だなと個人的に思っている文章があって、それは、見田宗介さんが『社会学入門』で書いておられるのですが、

「社会の理想的なあり方を構想する仕方には、原的に異なった二つの発想の様式がある。一方は、歓びと感動に充ちた生のあり方、関係のあり方を追求し、現実の内に実現することをめざすものである。一方は、人間が相互に他者として生きるということの現実から来る不幸や抑圧を、最小のものに止めるルールを明確化してゆこうとするものである」
そして「二つの様式は、こんにち対立するもののように現れているが、たがいに相補するものとして考えておくことができる」。

来年も色んな場所で、色んな人とお会いして、お話をして、考えて、「本」を送り出していきたいと思います。今年1年本当にありがとうございました。良い年をお迎え下さい。

PS:というわけで30日の今日も事務所で仕事をしています。このあと、ある場所である人を応援に京王線で少し遠くまで出かけようと思っているのですが、心待ちにしている原稿がまだ来ません……。もう少し待ってみます。


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.seikatsushoin.com/seika/mt-tb.cgi/27

コメント (4)

ところ:

お久しぶりです。お元気そうで何より、というより独立おめでとうございます。かなり前に話は聞いていたのですが、なぜだか情報が錯綜して正式な社名が確認できていませんでした。先日書店で「わたしの介護ノート」を手に取り、奥付を見てようやく認識した次第です。
ところでこのブログの最後で「ある場所である人を応援・・・」とあるのはやっぱり「あの人」なんでしょうね。残念でしたね。応援には行けたのですか?わたしは現場におりました。G閑を応援して撃沈です、トホホ。
それでは突然お邪魔しました。失礼します。

T:

こちらこそ、お久しぶりです。もちろん、現場にいましたよ。陳腐で大仰な物言いかもしれませんが、一つの時代が終わった気がします。それでは、また。

こんなブログがあるのを知りませんでした。
今日、みつけたので記念コメントなんて・・・。


先日、こんなのを書いてました。
==
中村尚司さんはどこかで、自立とはたくさんの依存先を見つけることだと言っていた。やりたいことがちゃんと継続的に出来るくらいに複数の依存先を確保できてさえいれば、経済的な自立なんて必要ないのかもと思えてくる。
==
http://tu-ta.at.webry.info/200702/article_14.html
中村さんは国(民)際協力とかの方面で使ってましたが。

格差社会とかいう表現は便利に使ってしまいがちなんですけど、気をつける必要がありますね。そのことに気づかせてくれてありがとうございます。

T:

tu-taさん。コメントありがとうございます。今週は星加さんの本が出ます。よかったら是非お読み下さい。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2006年12月30日 10:45に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「すっきりとはいかないけれど」です。

次の投稿は「年の初めに」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.