今日もわが社は、二人とも出てきて働いているのですが……。
少し息抜きということで、普段とは違う感じで書かせていただきます。
敬愛するフォークシンガー、高田渡さんが亡くなって2年。
今日、1月28日、夕方の5時半から、吉祥寺のバウスシアターで、渡さんのトリビュート・コンサート『高田渡生誕会・58〜わたしはわたしよ』http://www.takadawataru.net/が開催されます。
あっという間にチケットは売り切れて、聴きにいくことは出来ないのですが、私なりのトリビュートということで、日曜の仕事の合間に「好きなコーヒーってのを少しばかり」*飲みながらの雑文です。
渡さんが2001年に上梓した『バーボン・ストリート・ブルース』(今は絶版か?)という本の中に、「ガンコのすすめ」という一節があって、帯にも使われているのですが、こんなことが書かれています。
「今はたぶん“目先の時代”なのだと思う。
いつもみんなといっしょに目新しいものを追いかけていたい、
みんなが持っている新しいものを自分も持っていたい。
みんながいる新しい場所に自分もいたい――
それをしていないと、自分ひとり取り残されていくような疎外感に襲われるのだろう。
そして洗脳する側もまた巧みにその不安感を煽ろうとする」
べ平連に言及して、小田実を「自分の生活はしっかりとガードし、戦闘の最前線に兵士を送り込む司令官」と痛烈に批判し、
「『変わらないなあ』と言われる。
それはそうだ。根っこも生き方も変わっていないのだから、変わるわけがない。
それが若いころに『オレは絶対に変わらないよ』と公言してはばからなかったヤツにかぎって変わっていたりする。
言わなければいいのにと思う」
と語る渡さんらしい、当たり前といえば当たり前の言葉なのですが、時々読み返すと結構応えます。
売れようが売れまいがかまわない、オレは変わらず演るといって、本当にそう生きた人ならではだなあと思うのです。
決して声高ではないけれど、その代わり変節もしなかった渡さんの言葉は、ある普遍性を湛えている気がしてなりません。
変節しない単独者でいることは、とてもとても大変なことだと思いますが、それへの希求と、そうなってはいないことへの自省だけは忘れないように、ぼちぼちいこうかと思います。
今週は、新刊が出来上がってきます。見本出しがすんだら、週末は琵琶湖畔から名古屋にかけて出張です。名古屋の書店営業は、会社を立ち上げてからは初めてなので、とても楽しみです。それでは、旅先でお会いするであろう皆様、どうぞよろしゅうに!
*いわずと知れた、あの歌から……
PS:とてもお世話になっている方が倒れられ、大変心配しています。余人をもって代えがたい方なので、きっと回復してくださると信じています。