とはいっても、カポーティの小説のことではなく、その本を抱いている自分の姿をジャケットに使った、アメリカのポップ・カントリーの歌い手、ナンシー・グリフィスの1993年のアルバムのことです。エミルー・ハリスやアリソン・クラウスのような上手い歌い手では、決してありませんが、ウッデイ・ガスリーやボブ・ディランといった定番だけではなく、例えば、ジョン・プライン(私は恥ずかしながら、彼女のこのアルバムで初めてその名を知ったのです)のような、ほぼ同時代を生きる歌い手の作品も取り上げて、選曲のセンスに唸らされるこのカヴァー・アルバムが、私はとても好きで、仕事に滞りや心配事が出たときなど、今でも、よく聴きます(現に今も聴いているので、この短文を書く気になったわけですが)。
アメリカ南部、カントリーの歌い手というだけで、敬遠してしまう方もいるやもしれませんが、メジャーデビュー2作目の、Poet In My Window でビクトル・ハラに献辞を捧げていることからも窺われるように、生活者のヴォイスを歌に掬い取っていく、そこに親和性を持っているという意味で、私が好きなフォークソングと、その歌い手の系譜に名を連ねる人だと思うのです。激烈なメッセージソングは歌わないかもしれないけれど、大きなものや、居丈高なものに与しないで、一つ一つの生の確かさを、尊重し確認していくような営みの積み重ねで、アナザー・カントリーを目指すといったような……。
アメリカという戦争(を続けることでしか経済が成り立たないということからはじまって、それ自体が存在証明になってしまったかのような)国家の中で作られ、歌われている歌が好きだというだけで、何か肩身が狭く感じられたりもしますが、個別個別をみていけば、色々な作り手がいて、色々な物言いがあるわけで、物事はそんなに単純なことではないだろうとは思います。
世界はなかなかに複雑に構成されていて、二項対立の切った張ったですむはずはなく、色々な人がいて、自分とは違う考え方をしている人の方が、当たり前だけれどずっと多いという、想像力を持ち合わせること(アメリカや、それに追随する日本には、それがないと思われても仕方がない)。
そのようなことを出版を通して考え続けられればいいなと思ってはいるのですが……。
今月の新刊2点のうち、星加良司さんの『障害とは何か』は3月1日に(少し遅れてしまいました。申し訳ありません)、神部武宣さんの『さらばモンゴロイド』は3月3日には、全国の書店に並ぶと思います。どうぞよろしくお願いいたします。3日には読売新聞に広告も予定しています。こちらもご覧いただければと思います。
明日からの週末、24日、25日はバイリンガル・バイカルチュラルろう教育研究センター主催の、第5回バイリンガル・バイカルチュラルろう教育研究大会があります。音に関わることをブログで書いた後に、音が必要とされない場に、文化的マイノリティとして参加してくるわけですが、都がバイリンガルろう教育の特区計画を発表するという状況を、作り出した人たちの討論の場です。盛り上がり必至だと思います。企画のことも含め、またご報告したいと思います。
そして、来週末からは、仕事を兼ねて沖縄へといってきます。こちらもいずれご報告します。
PS:お怪我をされて大変に心配していた、上智大学の田島泰彦先生は、驚異的な回復で、すっかりお元気になり、仕事に戻られました。余人をもって代えがたい方と、ブログで以前書きましたが、やはり、そういう方は、戻ってこられるのだなと思いました。本当によかった。先生、でも、無理はもう禁物ですよ。