今週初めの3日間、色んな方々の助けで、沖縄は八重山、鳩間島へと渡って来ることが出来ました。この時期、実はとても天候が変わりやすく、現地のある方のお話では「鳩間の一年の気候が一日で全部体験出来る」季節なのだそうです。
那覇から石垣へ空路渡り、そこから船で鳩間へということになるのですが、その日は、朝から強い風と雨、すでに石垣〜鳩間の直行便航路は欠航が決定。別ルートで西表までは行けたとしても、そこから鳩間への海がリーフがきつい難所で100%無理だろうという話。普通はここであきらめて、石垣か竹富で過ごすということになるらしいのですが、今回の旅はメンバーの色々な想いもあって、どうしても鳩間に渡りたかったのです。
ある方の、もてる人脈のすべてを辿って、本当に無理をお願いして、ある漁船の船長さんが、西表〜鳩間を小さなクルーザーで渡してくださることになりました。今までに乗った一番きついジェットコースターが、お子様の乗り物に思えるぐらいの揺れでしたが、とにもかくにも、鳩間に渡れたのです。
神様が渡ることを許してくれたんだよと、ある方はおっしゃっていました。信仰とは全く無縁の私ですが、祖先を思い、語り合い、守ってもらうという、島の人たちが本当に大事になさっている、神体も偶像もない空間、場である、御嶽の前に立つと、素直に語りかけ、お願いをすることが出来ました。
なぜ、遠く離れた地で不登校やひきこもりだった子どもたちが、この島にやってきて、自ら生活の作り直しに向き合っていけているのか〈その当事者の方が、自分で作詞作曲した唄を、三線で弾き語りしてくれたのが島での夜長でした〉。それは、私にはまだわかりませんし、子どもたちを取り巻く全体の状況や、日本という国と沖縄、沖縄本島と八重山、離島という意味、などなど、もっと文献を読んだり、よく考えたりする努力をしない限り、そのとば口にもつけないのだということを、現地であらためて実感しました。連れて行ってくださった先生方のようには、到底行きようもありませんが、次に寄せてもらえるまでには、もう少し努力しようと思った、島での一泊二日でした。
八重山に渡る前日の夜は、那覇で加藤彰彦先生にお会いすることが出来ました。学生時代に読んで、「現に生き、苦しみ悩み、生きるために闘っている生活人との感覚を共有するという姿勢が必要だと思う」という、あとがきの言葉に、そうありたいものだと勇気付けられてきた本、『寿生活館ノート』に、サインをいただきました。そのサインの言葉をここに記すことは控えますが、これからも肝に銘じていこうと思います。水俣と障害のことなど、半可通なことも申し上げたのに、きちんと向き合って教えていただいたことに感謝します。ありがとうございました。
送られて鳩間の港を出るときに、島の人たちが唄ってくれるという唄です。
鳩間の港 作詞・作曲 加治工勇
船は行く行く 鳩間の港
手を振り 涙ほろり落ち
またの会う日を楽しみに
さようなら さようなら
手を振れば
船は行く行く 鳩間の港
色んなことがあって、色んな人がいます。良いことだけでも、悪いことだけでもない。そんな、当たり前のことを実感しながら、また、島に寄せて貰える日を楽しみに、日々を生きていこうと思います。
PS:ひとりで一足早く帰京するため、石垣の港から空港へとむかうタクシーに乗ったときの運転手さんの話だと、八重山で一番気候が安定しているのは、6月だそうです。梅雨はなく、ほとんど真夏だと思って良いそうです。