打ち合わせで京都に行ってきました。
日本中で一番か二番に暑い夏の京都と、覚悟を決めて出かけたのですが、
あにはからんや、とても過ごしやすい、梅雨の合間の一日でした。
打ち合わせの内容とは全く関係のないことなのですが……
京都にKBSという放送局があって、中学の終わりから高校にかけて、東北の片田舎で、KBS(当時は近畿放送)のラジオ深夜放送を、必死にチューニングをあわせ(夜はロシア語や中国語の放送[語学じゃないやつ]の方がよほどよく入った)、聴いていたことを思い出しました。
エンディングにウディ・ガスリーの原曲を日本語訳した「ヘイ・ヘイ・ヘイ」が必ず流れたその番組は、ナターシャセブンというバンドの持ち番組*1で、メンバーは高石ともや、城田じゅんじ、木田たかすけ、坂庭しょうごということになるのですが、今日は坂庭省悟さんのことです(ソロのときは名前は漢字表記)。
ミュージシャンにサインをもらったというのはその時の省悟さんが、初めてなのですが(その後も一度も無いけれど)、それは、2003年の千葉県は柏市での彼のソロ・ライヴでした。精神障害のある人たちのピア・サポートの会のチャリティイベントで、確か、市野川容孝さんも関係されていた会でしたが、その日は、いらっしゃってなかったように思います。
省悟さんのフラットマンドリンとギター、決して上手ではないけれど、ハイロンサムという気分を日本では一番体現していると勝手に思っていたボーカルの、私は大層なファンでした。終演後、省悟さんにサインをお願いしました。差し出したのは、高校2年のとき、受験の下見と嘘をついて東京で聴いたナターシャのコンサートで買った、『107SONG・BOOK』の見返し。赤いサインペンで「Shogo 2003.3.15」と書いてくれました。緑色の表紙の25年も年を経て汚くなった、『107SONG・BOOK』を見て省悟さんは、「うわー、なつかしい。よく持っていてくれましたね」と言ってくれたのです。
省悟さんはその9ヵ月後の同じ15日、がんでこの世を去ってしまいました。盟友のバンジョー弾き、じゅんじさんも、訳あって今は獄中のはずです。
省悟さんの30周年記念ライブ版、『この想い』という2枚組みのCDがあって、その中の、「別れのうた」や「クスの木の森で」はとてもリリカルで好きな歌です。ゲストのイサトさんや、渡さん*2との、掛け合いもとてもいい。ソングライターとしても、もっともっといい曲をたくさん書けた人だったと、いまさらながらに思います。
まったく出版稼業とは関係のない話になってしまいましたが、夏の一日、京都を訪れて、この地で生まれ、この地で歌い、53歳で逝ってしまった省悟さんのことを少し想いました。
*1 「日本列島ズバリリクエスト」という深夜の帯番組でナターシャは水・木が担当
*2 高田渡さんは2005年に逝くのですが、2003年の映画「タカダワタル的」の中でも省悟さん、イサトさん、渡さんの3人でのライヴ演奏を見ることが出来ます。渡さんの存在感でもっているだけで、映画作品としてはどうかなーと思いますが、この演奏はステキです。でも省悟さんにはさすがに病のカゲが……