昔・東京の町の売り声
今日は仕事を離れ(仕事絡みは校了が重なってくるなどあまりにせわしなく、ちょっと書けません)、少し一息入れるための本のご紹介です。昔、中学のころ、安藤鶴夫さんの文章がとても好きだった時期があって、当時の旺文社文庫*1でよく読みました。落語が好きだったから、安鶴を好きになったのか……その逆はおそらくないと思うのですが。
安鶴さんの書く東京は、なぜか暑い暑い夏か、凍える冬という漠とした印象が私にはあって、この時期になると、棚から出して読みたくなり、文楽*2びいきだったそのエッセイを読むと、「四万六千日、お暑い盛りでございます」となって、鰻が食べたくなり、ああ、そう言えば、中国産に問題有りとかで、やたら高くなっているんだっけ、まあよしとくか、ということになるのでした。
表題にお借りした本は安鶴さんのラジオエッセイを活字化したもので、旺文社文庫は絶版ですが、古本を探す以外に、これでも読めるようです。売り声の話はその中の一編であって、お得意の芸人もの「志ん生復活」や「燕雄昇天」他、多趣のエッセイ集で読み応えがあります。
とまれ、うだるような暑さの日、四代目今輔がよく引いたという「町町の時計になれや小商人(こあきうど)」の川柳にはじまって、金魚売りや、朝顔の苗売りのくだりなどを読んでいると、少しほっとして、夏も悪くないかなと思ったりします。
もうなくなったかのような、物売りの声ですが、ボッタクリとかで何かと問題の多い竿竹売りや、健在の焼き芋だけではなく、最近では若い売り子が手甲脚絆姿で豆腐を売り歩く商売も、出てきたようです。
落語で物売りといえば、「ひと声と三声は呼ばぬ卵売り」から入って、大根と牛蒡の売り声の違いあたりの枕を振ってから本編に入る、三代目金馬の「孝行糖」が有名ですが、夏のこの時期、炎天下の与太郎がいとおしい、五代目小さんの「かぼちゃ屋」がまた良いものです。志ん朝や円生の「唐茄子屋政談」ももちろん結構ですが、胡乱な人情噺より夏はからっとという方は、全盛期の小さんで、是非「かぼちゃ屋」を!
落語のことを書いてしまったついでに、もう一つ、これは冬の噺ですが、非情なストーリーで有名な「黄金餅」は道中付けでも知られ、志ん生、志ん朝、談志それぞれ素晴らしいのですが、道中付けで思い出すのは、ケレン読み浪花節の広澤瓢右衛門。悪声ながらと自分で言っては呻った「英国密航」は絶品でした。米朝が瓢右衛門と、談志が木村重松の「慶安太平記」とカップリングした企画版がLPで出ていて、持っていたはずなのに、手許に今はありません。CDでの再発は望むべくもないのでしょうか。道中付けファン(いないかそんな人)の皆さん、入手方法などご存知ないでしょうか。
*1 当時(70年代から80年代半ば)の旺文社文庫は落語・芸談ものの宝庫で、文楽、円生、金馬の自伝から、小さん落語集三巻、安鶴、江国滋、興津要、はては織田作の珍妙なる一編「猿飛佐助」まで、本当にバラエティがありました。
*2 安鶴さんのお父さんの職業のほうの文楽ではなく、噺家の八代目桂文楽のこと
PS1:とはいえ、仕事のほうからもお知らせを一つ、『「成長の限界」からカブ・ヒル村へ』が、毎日新聞8月5日付け書評面で、作家の池澤夏樹さんによって大きくとりあげられました。こちらです。環境と生活と未来について考えるための出発点として優れた本であるという評です。全文で2000字超の書評ですので、是非ご一読の上、本それ自身と向き合っていただければと思います。
PS2:夏の食べ物話も一つ、「冷汁」は宮崎が有名ですが、Tの田舎福島では、ちがう作り方と食べ方をします。まず、擂鉢で胡桃(本当はジュウネン=えごまがいいが、慣れていないとえぐいかも知れません。ただ、美味いのはジュウネン)をあたります。大葉を細かく刻み、胡瓜を小口に薄く切っておきます。あたった胡桃(ジュウネン)を味噌か醤油でのばします。水をはって、準備しておいた大葉と胡瓜を入れ、さらに氷を浮かべます。これをお椀によそって味噌汁代わりに飲みます。宮崎みたいにご飯にかけたりはしませんし、具も大葉と胡瓜だけです(豆腐やみょうがを入れたり、煮干もあたったりするレシピもあるようですが、暑い夏の農家の昼飯でそんな手間をかけちゃいけません)。「そんなもん食えるか」とおっしゃらずに是非! けっこうはまります。こつは、できるだけ大きな擂鉢で、胡桃(ジュウネン)をあたったら、その擂鉢にそのまま、水をはり具を入れ氷を浮かべて、そこから直接よそって飲むこと、したがって理想は5、6人分いっぺんに作ることです。