この本の編集作業をしているなかで、底本の、ある誤植を発見した。それは、「N女への返信」というタイトルの文章で、横塚さんはその中で、自分の母親が来客の質問―脳性マヒの子をもつ若い夫婦で、二人目を生むべきか否かの相談をする―に、「つくるべきです。二人目、三人目の子供が健全であったら、親の気が休まる」と答えるのを隣室で聞いて、「俺は逃げ場がないじゃないか。勝手につくっておきやがって、そのうえ勝手なことをいいやがる」と思い、それからよけいに親を恨んだと書きだしているのだが、いくつかのエピソードを重ねたその文章の最後のほうで、底本の『増補版 母よ!殺すな』(1981年)では「親の勢力圏から抜け出すことがわたしの悲劇」としてあるのである。
「悲劇」では話がまったく真逆になってしまう。納得がいかず、さらに元にあたるしかないと考え、神奈川「青い芝」の機関誌『あゆみ』そのものにあたると、「悲願」であった。誤植は訂正した。しかし、疑問は残る。今回底本にしたのは1975年の初版ではなく、1981年の増補版である。意味が180度変わってしまう誤植が、なぜ残ったのか。それとも何か別の理由があるのか。横塚さんにお聞きする術がない今となっては、それは永遠に分からない。
誤植を発見した自慢話をしているわけではない。この本の復刊の許可をいただくために、今年の1月、横塚さんのご子息の信彦さんとお会いした。「書いたことや言ったことのイメージとはちがって、父は祖父や祖母、家族をとても大事にする人でした」とおっしゃった。そうなのだろうと思った。りゑさんがお書きになっている「妻沼行き」という文章にもそのニュアンスはよく出ているように思う。
その上で、それでもやはり横塚さんは「泣きながらでも親不孝を詫びながらでも、親の偏愛をけっ飛ばさねばならない」と言う。子殺しの母親の苦労もわかり、かわいそうに思ったうえで、「この心の葛藤をのりこえて『無罪にするな』と叫ばなければならない」と言うのである。やせ我慢でもない、格好をつけているのでもない。このうえなく重い、でも吹っ切ったような、突き抜けたような透徹さが、横塚さんの書いたものや言ったことにはあって、いつ読んでも震えが来る。
わたしにとっての「悲願」だった復刊がやっと果たせた。解説をお書きくださった立岩真也さん(立岩さん自身がこの復刊の企て人なのだが)。様々な交渉にあたって支えていただいた臼井正樹さん、横田弘さん。『さようならCP』シナリオの再録を許可いただいただけではなく、素晴らしいスチルをお貸しくださった疾走プロの小林佐智子さん。お声を聞いて転載の許可をいただけた、寺田純一さん、磯部真教さん、矢田龍司さん。その他様々な方々のご協力で、そして何より、ご遺族の信彦さん、りゑさんのお力で何とかここまでたどり着くことが出来た。
本当にありがとうございました。
そして、読者の皆様。
自立の意味、横塚さんやそれに続いた人たちが形作ってきたその意味が、改竄されようとしている今こそ、読まれるべき本ですし、様々な人の、様々な場所での読まれ方を待っている、そんな本でもあると思います。
『母よ!殺すな』、どうかお読み下さい。是非!