タイトルは、念願の本の一冊だった、今月の刊行予定、『差別と日常の経験社会学』の冒頭、はしがきで著者の倉石一郎さんが、ライター永沢光雄さんの本から引いている言葉です。この言葉に「違うんだけどなあ」と永沢さんが返す独白に倉石さんは共感し、また倉石さん自身が獲得した視点も提示するのですが、ここにこの本が、他の差別問題をあつかった既刊書とは違う、独自の位置を獲得している核心部分が示されています。
それは、「自分を語ることでしか自分を書くことでしか、対象となる他者の姿は書き得ない、彫りこめない」という、「恥ずかしく」「なさけない」経験を積み重ねる中で確信に変わっていった研究態度であり、書き物をする姿勢です。であるから、当然の事として、これまで疑われることの少なかった対象への向き合い方、つまり、「当事者」=「マイノリティ」であり「被差別者」であるという了解事項を、自明のものとはしないということに繋がります。
こうした態度があって、はじめて、無批判な対象への寄りかかりと裏返しの支配〈もっといえば考えることを放棄したかのような血債的態度〉から、自律できるのかもしれない、倉石さんのこの本はそんなことも提示している気がします。
この本、実はもっと早く上梓されるはずでしたが、年内ぎりぎりということになってしまいました。ひとえに版元の責任ということにつきますが、苦労した上で刊行にこぎつけることが出来て、わたしも〈そして倉石さんもおそらく〉感慨一入のものがあります。今月20日ぐらいには書店に並ぶはずです。お読みくださいますよう。
PS1:昨日は『母よ!殺すな』復刊のこと、話をしてくれとご依頼を受け、神奈川「青い芝」の研修会で、恥ずかしながら少しお話をさせていただきました。拙いわたしの話はともかく、横田さんや小山さんにお会いでき、お話も聞けて、まあやはり筋金入りであることよと思ったことでした。お持ちになっている危機感、大変なものがあります。食事までご馳走になってしまい、お礼の申し上げようもありませんが、わたしはわたしなりに「はやく ゆっくり」やっていこうと思います。
PS2:そろそろ、正月料理を考える季節、南東北でしか食べないと思われる料理をひとつ。料理名はずばり「イカニンジン」。スルメとニンジンをそれぞれ細い短冊に切りそろえます。醤油と酒と味醂ベースの漬け汁に、暮れの28日ぐらいから漬け込み、年が明けたら食べます。以上終わり。昆布も数の子もなにも入らないので、松前漬みたいにヌルッともしません。少ししなっとしたイカと、なんだか漬け込まれるのを拒否したようでシャッキリしたニンジン。塩分控えめなんのその。美味いのかそんなもの? 昔から食べているのです。美味いです。