障害者を「障がい者」にして、そりゃあ真面目に考えていますよという行政、「○○を武器として前進しよう」と誰かがいったとして、その「武器」という言葉だけを文脈を無視して取り出し、槍玉に挙げる「平和」派……もちろんあまり乱暴にいうつもりはないし、変な居直りは厳に戒めるべきだけれど、そうした態度はかえって思考停止や問題の棚上げに力を貸しているだけではないのかと、やはり思ったりもしてしまう。
もっというなら、例えば、情報保障でルビをつける、それに対して「一応やっとかないと」「それで本当に読まれるなんて甘くは考えていない」という言葉があるとする。これを不謹慎だと簡単に片付けるわけにはいかないのではないか。そうした言葉を語る人は逆に、「それだけでは問題の所在にはたどり着けない」ことを良く自覚していたり、そして誰よりもきちんとルビをつけていたりするからだ。
たてまえ上は反論されにくい正義の御旗を振り立てて、自分だけ気持ちよくなってそこでとどまる人と、やっていることやいっていることの不十分さや、戦術的なものとしてのある種のズルさも自覚した上で、それでもそれだからこそ考え続ける人と、どちらが誠実なあり方かということは……そんなに簡単な話じゃない。
さて、明後日は『手話と法律・裁判ハンドブック』の校了日、本日も事務所にて当然仕事です。お披露目は2月9日の三重・全通研大会ですが、書店店頭には15日ぐらいから並ぶ予定です。是非お読み下さい。使ってください。
PS:Kさんと高田渡生誕会59なるコンサートに出かけ、久しぶりに加川良や斉藤哲夫を聞いて満足して帰ってきた。斉藤さんはたった2曲で、そのうち一曲は Don't Think Twice, It's All Right を訳詩で歌ったのだが、これが良かった。誰かが、ボブ・ディランの正統の後継者はニール・ヤングだといっていたような気がするが(しないか。年も四つぐらいしか違わないし)、そのものずばりのAfter The Gold Rush を冠したブログが面白い。渡さんが、フォークゲリラや小田実を痛烈に批判していたことなんかも思い起こしてみると、より面白い。