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2008年04月 アーカイブ

2008年04月10日

星加さん授賞式&明晴学園開校式

先月のブログで書いた、二つの嬉しい催しのご報告です。

3月28日、星加良司さんの損保ジャパン記念財団賞授賞式が行なわれました。
わたしたち版元も感謝状をいただきました。
会場でお話を伺った、選考委員でもある岩田正美さんが、(社会福祉学の賞に社会学の星加さんの仕事が選ばれたことについて)岐路にたつ社会福祉学にとって、対症療法的にことにあたる事より、しっかりとした〈理論〉がたつことが大事であって、といったニュアンスのことを、おっしゃってくださったのが、とてもありがたく、版元としてもあらためて喜びをかみ締めました。
わたしの版元としてのお礼の言葉は、緊張のあまりグダグダになってしまいましたが、星加さんの受賞スピーチは、簡潔かつ的確に、受賞作『障害とは何か』が目指したもの、そして社会学の役割とは何かを述べられ、素晴らしいものでした。この夏には、あらためて受賞記念講演会が開催されるとのこと、是非多くのかたが足を運んでくださればと思います。

昨日4月9日は明晴学園の開校式。事前に出た朝日新聞の記事(3/31夕刊)や、当日9日夜のTBSのニュースでも大きく紹介されたので、ご存知の方も多いと思いますが、わたしも参加させていただいたその開校式、少し変わっていて、それは素敵なものでした。学校の開校式といえば、普通なら延々と祝辞が続き、子ども達はぐったり疲れるというのが通り相場ですが、明晴学園のそれは子ども達が主役で、祝辞は本当に僅か、壇上で子ども達みんなが紹介され、寸劇も披露、最後は子ども達のつくったアーチの中を参加者がくぐって送られました。
途中紹介された、大阪市立聾学校校長だった高橋潔さんの娘さんであり、ご自身も手話通訳者として生き抜いてきた川渕依子さんが寄せられたお祝いの言葉―それは、お父さんの潔さんはじめ、手話を守ろうと奮闘しながらも、口話教育の強要の中、無念の思いで死んでいった先人への追悼と、だからこそいっそう強い明晴学園開校の喜びに満ちたもの―には、涙する方も多くいました。
とにかく、お仕着せではない、素晴らしい式でした。これからがまさに本番ですが、あの子ども達、スタッフの皆さんならきっと大丈夫です。わたしなりに出来ること(そう多くはありませんが)で、これからも応援していきたいと思います。

というわけで、自分たちの仕事に戻れば、今日は今月末刊行予定の、飯野由里子さんの単著『レズビアンである〈わたしたち〉のストーリー』の校了日。何とか無事に終えて、このブログを書いているところです。飯野さんのこの本、排除され、分断を余儀なくされながらも、それを越えてつながっていこうとする意思が、またはその可能性の模索が、あるいはそれでも持ってしまった限界性などが、丁寧に掬い取られ、検討されています。刊行が近づいたらまた詳しくご紹介しようと思います。こうご期待!

2008年04月22日

「無関心」に対する小さな抵抗

標題は、明日出来てくる新刊『レズビアンである〈わたしたち〉のストーリー』の終章で、著者の飯野さんが書いている文章から。ヘテロ・セクシズムがリブの運動や思想の中にも抜きがたく存在することで、リブと結節していこうと考えていたレズビアン・フェミニストたちが、いかに排除され無視されてきたか、そしてそれでもなお、繋がりの可能性をみて回復のストーリーを語り、マスター・ナラティブに抵抗し、「女として女を愛することのすばらしさ」で〈わたしたち〉の集合性を形作っていく営み。

飯野さんのこの本は、まず、そうした人たちや営みへの共感と肯定に貫かれているところ、そこにたって〈わたしたち〉のストーリーを掬い取り、読み込んでいる、そこにすばらしさがあるように思います。

もちろん、その一方で、在日のレズビアンを違う文脈ではあれ「無視」し「排除」した経験が、厳しい痛みを伴って読み直されていますし、その他さまざまな限界性、問題点についても、研究者の立場から、丁寧な検討が加えられています。

しかし、それでもなお、この本の魅力は、支配的な価値意識や権力関係を、ずらしたり、組み替えていく、そんな可能性の萌芽を「レズビアンである〈わたしたち〉のストーリー」の中に見る、その確固とした意思にあるように思います。すこし乱暴な言い方ですが、読後、なにやらポジティブになっている、わたしにとってはそんな気持ちを味わった本でもあります。

連休前には書店に並ぶかと思います。カバーデザインもとても素敵に仕上がりました。
是非、手にとっていただき、ご一読を!


PS:久しぶりで横浜に出かけ、木下先生の〈土曜の午後のABC〉でお勉強してきた。
今回は、西行の2回目。わたしなど、中学高校で教わったことと、現三遊亭円歌師の地噺「西行」を思い起こすのがせいぜいだが、木下先生の『「西行神話」から自由になる読み』は、いつもながら深い見識に支えられ、門外漢かつ基本的な知識量が圧倒的に足りぬわたしが、どこまで理解できているかは措くとして、素晴らしい講義だった。時間秩序が物語を支配することを前提とする西欧近代の感覚を、どこにでも持ち込むことの愚であるとか、西行神話のクライマックスとしての「はなのしたにてはるしなん」は、西行の西行たるところである、哲学・理屈といったところから遠ざかってしまうものであるとか、難解ながら、眼から鱗の充実のお話で、講義後の中華街での食事も含め、まさに満腹。
ながく続いている先生のこの講義、めでたく老舗の人文書版元から公刊が決まったとのこと、本も楽しみです。

2008年04月28日

志ん朝師のDVD

遅ればせながら、志ん朝師のDVDセットを購入。ファンは、師が映像で噺が残ることを嫌っていたのを知っているので、複雑な心境の方も多いようだし、私には高い買い物だけれど、小津安二郎のセットだけは無理して買ったように、志ん朝師のDVDとあってはやはり……。

「浜野矩随」―話の筋は古臭いけれど、これとか「柳田格之進」とか講釈ネタが、実は私、結構好きです―みたいにCDにこれまで入っていない演目があるし、90年代の口演ってあまり商品になっていないし……。TBSの落語研究会が音源なので「文七元結」など、自分でテレビ放映から録画してもっていて、ダブってしまうものも勿論あるけれど、やっぱり聞きたいし、視たい。

欲を言えば、堅苦しい落語研究会ではなくて、伝説の名古屋・大須演芸場の独演会が聞きたいけれど、そもそも音源がないのだろうしなあ(こっそり録ってる人はいるんだろうけど、海賊版で儲けようなんてしたら、それこそ袋叩きになるだろうし)。

秋には、DVDセットの下巻も発売とのこと、「複雑な心境」とたてまえでは言うものの、いくらでも出てくる談志師と違って、聴けるものが極端に少ない志ん朝師、しばらくは「飢え」が満たされそうではある。

仕事と全く関係のない話を書いてしまった。お許しを。


PS:ここで師のCDもうひとつ発見。ちょっとすぐには手が出ない。

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