標題は、明日出来てくる新刊『レズビアンである〈わたしたち〉のストーリー』の終章で、著者の飯野さんが書いている文章から。ヘテロ・セクシズムがリブの運動や思想の中にも抜きがたく存在することで、リブと結節していこうと考えていたレズビアン・フェミニストたちが、いかに排除され無視されてきたか、そしてそれでもなお、繋がりの可能性をみて回復のストーリーを語り、マスター・ナラティブに抵抗し、「女として女を愛することのすばらしさ」で〈わたしたち〉の集合性を形作っていく営み。
飯野さんのこの本は、まず、そうした人たちや営みへの共感と肯定に貫かれているところ、そこにたって〈わたしたち〉のストーリーを掬い取り、読み込んでいる、そこにすばらしさがあるように思います。
もちろん、その一方で、在日のレズビアンを違う文脈ではあれ「無視」し「排除」した経験が、厳しい痛みを伴って読み直されていますし、その他さまざまな限界性、問題点についても、研究者の立場から、丁寧な検討が加えられています。
しかし、それでもなお、この本の魅力は、支配的な価値意識や権力関係を、ずらしたり、組み替えていく、そんな可能性の萌芽を「レズビアンである〈わたしたち〉のストーリー」の中に見る、その確固とした意思にあるように思います。すこし乱暴な言い方ですが、読後、なにやらポジティブになっている、わたしにとってはそんな気持ちを味わった本でもあります。
連休前には書店に並ぶかと思います。カバーデザインもとても素敵に仕上がりました。
是非、手にとっていただき、ご一読を!
PS:久しぶりで横浜に出かけ、木下先生の〈土曜の午後のABC〉でお勉強してきた。
今回は、西行の2回目。わたしなど、中学高校で教わったことと、現三遊亭円歌師の地噺「西行」を思い起こすのがせいぜいだが、木下先生の『「西行神話」から自由になる読み』は、いつもながら深い見識に支えられ、門外漢かつ基本的な知識量が圧倒的に足りぬわたしが、どこまで理解できているかは措くとして、素晴らしい講義だった。時間秩序が物語を支配することを前提とする西欧近代の感覚を、どこにでも持ち込むことの愚であるとか、西行神話のクライマックスとしての「はなのしたにてはるしなん」は、西行の西行たるところである、哲学・理屈といったところから遠ざかってしまうものであるとか、難解ながら、眼から鱗の充実のお話で、講義後の中華街での食事も含め、まさに満腹。
ながく続いている先生のこの講義、めでたく老舗の人文書版元から公刊が決まったとのこと、本も楽しみです。