ピープルの大会でUを偲ぶのこと
5月31日〜6月1日、お台場でピープルファーストの全国大会があった。
初日の全体会は、野外・潮風公園に舞台が組まれ、多くの屋台が出て、お祭り気分、
晴れていれば海風心地よく、芝生に皆ですわったり寝転んだりだったのだが、朝からの雨。
海からの風は冷たく肌を打つ……。
と書くと、「あいにくだったね」となるのだろうが、そうでもないのだな。
誰しも覚えがあるように、野外のイベントの雨天決行って、逆に気合が入るし、
「やったぜ」の達成感が、忘れ得ない情景とともに、あとあとまで結構残ってくれるのだ。
目黒の「柿のたね」のかたも「かえって楽しかった」とおっしゃっていた。
その「柿のたね」というと、どうしてもUのことを思い出さずにはいられない。逝って、もう11年になる。
亡くなる3日前に病院に見舞い、腫れた体を見て何も言えず、暑い葬儀の日、見送って遺骨が運ばれたのが、Uが支援者として関わっていた「柿のたね」だった。
学生の頃、なぜかわたしの部屋に転がり込んでいた時期があったU。お互いにあまり色々なことが上手くいっていないころで、建設的な雰囲気とは程遠く、無為に酒ばかり呑んでいたような気がする。
そのUが、なぜ知的障害者の自立生活支援に関わるようになったのか、聞けば教えてくださるのだろうが、Uが亡くなってから年に一度「柿のたね」が中心で行なわれる追悼の席に出かけても、ただ呑むばかりで、しっかり伺ったことはない。
わたしは少し回り道をして、「Uの死」を媒介としない場でも、「柿のたね」の人たちと、こうして出会うようになった。それでも、Uが生きていて、雨の潮風公園で一緒に発泡酒でも呑めたらなと、やはり思ったりする。スピリチュアルなどというものから程遠いところにいるので、「○○はいつもそばにいる」なんてことは全く思わない。死は死でしかない。だけれども、Uのことは覚えていて、今ならどんなことをやりたいだろうかと、想像することはできる。それで、「まあまあ、俺は俺でやるか」と思ったりする。そんなものだ。
*ピープルの大会が終わった日の深夜、神奈川の綾瀬でグループホームが焼け、3人の方が亡くなった。室津滋樹さんがコメントしているように、これが自立生活への足かせとなる議論に使われては確かにまずいのだが、うーん……。