先だって東京の西のほうで、在りし日の横塚晃一さんの映像を拝見する機会があった。
はからずも、その日は横塚さんの命日―恥ずかしながらその場で教えていただいて、「あっ」と思ったのだが―その日があらかじめ選ばれたのではなく、偶然そうなったとのことで、あまりそういうことは信じないのだが、「巡りあわせ」みたいなことも、少しは思った。
作られたのがプロのドキュメンタリー作家の方で、色々なことを教えていただいた。小川紳介さんも亡くなった、つい先ごろ、土本典昭さんも逝ってしまったなどと、お話しているうち、私が「あの人は」とお聞きしようと思って、出てこなかった名前があった。70年代、役者を使って演出してドキュメンタリーを作った方で、ドキュメンタリーといえば対象をしつこく忠実においかけてカメラを回し続けるものという、私のような素人の感覚を、叩き壊してくれた。今なら、『さようならCP』の原一男さんであれ、小川さんであれ、土本さんであれ、当然演出があり、どの作品であれ作家性が出てくるというのは、当たり前だし、それがないドキュメンタリーは逆に意味がないということは分かるのだが、なにせ、プロの役者が出てきて、というのはやはりインパクトがあった。
そのお名前は、木村栄文さん。それはもう有名な方なのだが、名前って出てこないときは、どうしたって出てこないのである。家に戻って資料を見て、ようやく思い出し、胸のつかえがおりた。
2年ほど前、NHKのETV特集でパーキンソン病になられた後も、執念で撮ろうとする姿が放映されていたが、今はどうされているのだろうか。
作品はたくさんある。『苦海浄土』、『記者ありき』、『祭りばやしが聞こえる』……。九州まで行って、RKB毎日のライブラリーでなら見ることのできる作品も僅かながらあるようだが、それにしても、木村さんのものに限らず、残され、見られるべき「映像」が本当にぞんざいに扱われている気がする。
別に、ジブリの映画が悪いとは言わないが、あんなに金かけて、みんなの頭の中を「ポニョポニョ」いわせれば、そりゃあヒットするのは当たり前で(鈴木プロデューサーってすごいと思う)、少しはこっちに金が回らないものかと、やっぱり思ってしまうのである。