長い階段の上と下
たまたま読んでいたレオン・トロツキーの『レーニン』(光文社文庫版)で、トロツキーが自分のことをこう語っている箇所がある。
「私は街並みや家の配置に関しては覚えるのが非常に苦手である。たとえば、ロンドンでは、レーニンのアパートと私のアパートとのあいだの比較的短い距離でさえ何度も道に迷った。かつては人の顔を覚えるのも苦手であったが、この点に関してはその後大いに進歩が見られた。その代わり、思想やその結合、思想的内容の会話に関しては非常に記憶力がよかったし、今もそうだ」
違う箇所では、
「いつものように、私が一人で自分のアパートに帰り着くことができるかどうかという冗談を言った。というのは、私は道を覚えるのが非常に苦手だったからである。何事も体系化するのが好きであった私は、この自分の特質を『地形学的クレチン病』と命名した」
今日、その単著『スルーできない脳ーー自閉は情報の便秘です』を無事校了させていただいたニキリンコさん。彼女と話したり、書き物を読んだりしていると、こう自分自身を書いているトロツキーっていう人もずいぶんと偏差の強い人だったのだなあ、と思ったりしたのだった。
それはともかく、ニキさんである。はじめてお会いした頃、ニキさんとの距離(物理的な意味でも、親しさの意味でも)は遠かった。何人かで会議をしていても、ニキさんはいつも部屋の隅の、誰からも一定程度離れた場所に身を置いていた気がする。その後、何度かお話しをすることはあったが、そう簡単に距離は縮まらなかった。
あれはDPIの世界大会が日本であったときだったろうか。偶然お会いしたのだったか、そうでなかったのか、長い階段のてっぺんにニキさんがいて、底に私がいて、存外長い時間、しゃべった。あのときに、私の勝手な思い込みでは、距離が(物理的な距離はかなり長い階段だったのでそう縮まっていないが)それまでとは少し違うものになったように思う。
それから、仕事の話がもちろん中心だけれど、飯を食べたり酒をご一緒したり、ニキさんのどちら側に座れば彼女のストレスが少ないか、百合のような匂いの強いものは苦手であることなどなど、ぼちぼちと知るようにもなり、実はそんなに人付き合いが得意でない私にとっても、ストレスが少なく話せる仕事仲間になった。くだらないオヤジギャグも平気でぶつける始末とあいなり、くよくよしていたりすると、まあまあとなぐさめてもらったりもした。
そのニキさんの単著をようやく出すことができる。456ページ、全篇書下ろしである。これまで、主に自閉っ子を育てる親御さんや、支援者をお相手に、書き物を通してサポートしてきたニキさんだが、今回は少し違う。子供のころの自分ではなく今の自分、いろんな支援が入ってもそれでもなお残る自閉の特性、「やっかいな脳」とつきあって生きていくことの困難ともしかするとそれゆえの愉悦……。文字通りの「博覧強記の人」が存分に書ききったこの本は、定型発達の側にいる人にだって、それはたくさんのサジェスチョンを与えてくれる。
書店さん向けのチラシの惹句をこんなふうに書いた。
「今度のニキリンコはちょっと手ごわくて素敵に面白い」
今月22日出来予定。乞うご期待!