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函館から名古屋、名古屋から京都、京都から大阪ぁーっ!*

今年も秋の行商シーズンが始まり、あちらこちらへ出かけている。まだ何箱もの荷物を送りつけるほどの出版点数でもなく、規格では一番大きなダンボール一箱に詰め込めるだけ本を詰め込んでキャリーに括りつけ、飛行機だろうが新幹線だろうが夜行バスだろうが、何にでも乗り、どこにでも行く。そんな、旅日記から……。

某月某日 函館の某大学で開催された研究者の方々のお勉強合宿に参加。行きの飛行機は安い切符だと一番早い便しかなく、受付時間の4時間以上前に会場に着いてしまった。涼しいはずの函館は蒸し暑く、路線バスは省エネだとかで冷房がほとんど効いていなかったが、丘のてっぺんの大学は無機質な建築の質感が心地よい。本を売りながら研究報告を2日間、みっちりと聞かせていただく。ある先生の報告を聞いていて、障害をもつ子の「親」であるからこその理論構成だなあと強く感じたということがあった(なんのこっちゃかこれではわからないが、まあいいのである)。2日目の夜は、東京でいつも遊んでいる人と1時過ぎまで呑んだ。何も函館まで来ていつもの2人でと思われるかもしれないが、やっぱり気の合う人と呑むのはストレスが少なくていい。夜景は見にいかずに翌日帰京。

某月某日 北から帰ってきた翌日、東京某所で柄にもなく人前でお話。「『母よ!殺すな』復刊の意味」といったことを10名ほどの参加者の前でお話する。案の定、グダグダになってしまったが、熱意だけは伝わった(と思いたい)のか、講義終了後本が4冊ほど売れた。横塚さんの精神的高み、スピリチュアルな部分を言われたかたもいたが、私としては横塚さんの、(あえて)リアリストとして余計な部分を削ぎ落とした理屈立てに魅力を感じていてというお話をした。なぜか、大仏坊さんと歎異抄云々のあたりは、あまり興味がない。呑み会も講師はタダという言葉に甘えて、けれど量をセーブという奥ゆかしさはなく、ビールのあとホッピーを3杯ほど。気がつけば終電だった。

某月某日 久しぶりで名古屋へ。初日と2日目午前はとある学会。2日目午後は別の研究会。その2日目午後の研究会で、関西青い芝の中心を担った方と、パートナーであり、当時、健全者運動を立ち上げた方とにお会いする機会を得た。もちろん研究会の内容も素晴らしかったし、無理をお願いして会終了後の食事会にも入れていただき、「一度遊びにおいで」とも言っていただいた(本当にいずれ伺うつもり)。「始めて・続け・止めない」というのは大変なことだと、あらためて思った。学会のほうでも幾人かのかたから、企画のお話もあり、交通費を越える売り上げもあって充実の名古屋行きだった(心残りは、在来線何番ホームだったかの端っこにある立ち喰いのきし麺が食べられなかったことぐらい)。

そして今週末は関西へ。旅はまだまだ続きます。


*加川良『フォーク・シンガー』風に読まれたし

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2008年09月08日 20:16に投稿されたエントリーのページです。

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