ちょっとした事情と思い付きから、部屋のテレビをはずしてブラウン管にTシャツをかけて隠してしまった。別にテレビを毛嫌いしているわけではなく、これから先もずっと見ないわけではない。チョット仕舞ってみた。
世間の一定の数の人たちと同じぐらいには、野球というゲームが好きなので、ポストシーズンの試合をテレビではなくラジオで聴いたりしている。これはあまり面白くない。ラジオをつけてみると、存外、ニュース系の番組が少ないが、好きな演芸番組はテレビよりずっと多い(テレビは演芸ではなく、バラエティ―あれがバラエティなのかは別として―をやっているだけ)。浪曲や講談、粋曲なんてのもかかったりする。爛漫ラジオ寄席なんか何年ぶりで聞いたろうか。
必然、音はよく聴くようになる。そんな折、数少ない遊び仲間から(仕事ももちろんいいのを一緒にやります)、ナターシャの「宵々山ライブ」(第一回の単発もの、その後の「宵々山」もBOXで出ていたが、私は持っていないし、もちろん今は廃盤)と「フィールドフォーク1・2」が紙ジャケで再発されたとのメールを貰った。LPでは持っているが、聞くとほしくなる。岡林さんの再発ラッシュなどはともかく、ナターシャのこっちからの再発は意外だった。「お地蔵さん」や「107」を再発する前にこっちかという感じである。宵々山は、とうとうナターシャのメンバーが揃っている時には行けなかった。今はもう行く気はしない。なんとなくだが、永さん(永さん自体は好きだけど)と高石さんが一緒に色々と仕掛け始めてから、ナターシャはつまらなくなったような気がする(木田さんが亡くなったのは本当に痛かった)。
少なくとも、私にとって、107やフィールドフォークをやっている頃のナターシャは、大好きなチームだった。「お地蔵さん」の前に、1971年に作られた「序」というタイトルの当初はお蔵入りだったアルバムがあって、2000年になぜかこっそりひっそりとCDで出ている。メンバーは高石、城田に金海たかひろ、そして、高石とし子さんが参加。木田さんや、しょうごさんが入ってからの完成度はないけれど、ナターシャが何を目指していたかのエッセンスはとても強く出ているように思う。逃げるようにアメリカにわたり、そして名田庄村に行き着いた高石さんは、この「序」のジャケットで、最近コーラを一気飲みしてゲップをする芸でちょっと売れた芸人さんそっくりのロンゲのカニみたいな姿で写っているのだが、今のマラソンおじさんよりは間違いなくかっこいい。
70年代はじめ、私はナターシャを聴いて、ウディ・ガスリーやジャック・エリオットを後付で知った。そこから色んなところへ後は自分で行けばよかった。
昨日、旅先から帰ってきて、ウディ・ガスリーの“A Legendary Performer”を久しぶりで聴いた。単調と言えばこれほど単調なメロディーラインのアルバムもない。でも、ウィスキーのボトル一本ぐらいは呑めてしまうアルバムだ。30年代の恐慌の時代を唄ったこのアルバムに残されているのは、プロテストではなくトピカルの唄だと思う。だけれどその唄は、今のこの時代にそのまま持ってきて、通じる意味内容をもっている。トピカルの唄を、自分の立ち位置からしつこく唄っていく、そうすれば何か残る。というのは、他のことにも言えたりすることではないか、そんなことを思ったりした。