流儀
あまのじゃくかもしれないが、「ササッとわかる〜」とか「これでわかる〜」といったタイトルを見ると(中身は素晴らしいものであったりすることはもちろん前提した上で)、そんな風にタイトルづけしてしまっていいのだろうかと、なんだか少し思ってしまう。
「ササッと」わからない、「これで」と言われてもなかなか…ということのほうが多いから、みんな悩んで考えて、思いあぐねては、他人(ひと)に聞いたり、ものを読んだりして、また考えている。なにか、そういう営みに「ササッと」はあまりそぐわない気がする。出掛けの掃除じゃないんだし…。
新刊『流儀』が昨日、できてきた。第二部の山田真さんと立岩真也さんの対話を編集者として読ませていただいて、ときには「解」がないことをむしろ大事にせねばならないということを教わった。それは「ササッと」とか「これで」といって「解」をあらかじめ設定して、強制力をもった「安心」を与えるような仕方とは対極にいて、だけれどずっと誠実な思索の作法だ。「解」はさがす、しかし安易な「妥協」はしない。択一を求められて、どちらも「違う」と言わねばならないことがあると、そう語られている。
一方、第一部の稲場雅紀さんと立岩さんの対話で語られている「流儀」は、二つのどちらをも大事にすべきだというお話であったりする。ロビーイングを嗤わず真っ当に評価する、そしてそれと同時に、いやどちらも欠かすことのできぬものとして、扇動し挑発するラディカルな騒ぎも正等に認め必要だとする。それで物事は前に転がるといったことが話されている。
帯にも書いたが、「これまで」を知り、「これから」を見通すために、読んでおくべくことがぎっしりと詰まっている本だと思う。稲場さんの書き物がまとまった形で読めて、そのお考えの全体像がつかめる第一部の、そして立岩さんのマニアックとも言え、それ単独で一つの書き物ともなっている注・引用で構成された第二部の、それぞれ「下段」にも注目!
ネット、リアルを含め書店での発売は今月10日前後からです。是非お読み下さいますように。