生活書院3年目の年も暮れようとしている。今年は14点の本を世に送り出した。
まっとうに生きようとしている人たちをこき使い、ウソやズルの錬金術で金を儲けて来たまっとうではない連中が、そのウソやズルがほころぶことによって儲けを失いそうになり、またぞろまっとうな人たちにその失敗のつけを押し付け、この暮れは人びとの「生存」すら脅かされるそんな年の瀬になってしまった。「なんかありませんかねじゃ、仕事は見つからない」などどこの期に及んで言い放つ人に、今日のねぐらも一切れのパンのあてさえもない人びとの姿など見えるはずはないと、それは思いつつも…翻って自分はどうだろう。
不当に生き難い生を生きざるを得なくさせられている人たちに寄り添い、またその不当に対抗する理屈を本を通してと思い、そうした本は出してきたし、出して行きたいと自分を納得させつつも、はたしてどれだけそれは人びとに届き、かつ力になっているのか。「本なんて読んでる場合ではない」という言葉に対し、「本の力」のことをもちろんいくつかの理屈で述べることは出来ても、現実に、本の売れ行き一つとってもそれはなかなかに厳しい。ただそれはこれまでもそうだったし、これからも大きく変わることはないだろう。それはまあいい。
むしろ、考えるべきは、そうした(寄り添う)本を出していることが、なにかの免罪符になっていはしないかということへの怖れであり、そこへの自省だ。本を作る日常の仕事の過程で、あるいは仕事を離れた時間の中で、人や人との関係性や場へのコミットの仕方などで、抑圧的になっていたり、打算的になっていたりしたとして――もちろんそうしたことが全くないなどということはあり得ず、ではあるが――出している本たちに壁になってもらって、言い訳をしている、あるいは居直っている、そんなことはないか。もっと言えば、(そうした)本を作っていればいいだろう偉いだろうといった気分に、どこかでなっていたことはないか。もちろん、それだけでいいはずもなく偉くもまったくないわけで、そのことを常に思いつつ、その上でなおということを自分に問いかけつつ、また来年も本を作っていくということなのだろう。
そんなことを考えたひとつのきっかけが、『良い支援?』刊行後、この本と絡みつつ開催されている、たこの木クラブ主催の連続講座であったりする。もちろん成り立ちがそうではない本もたくさんあって、そうした本はまたそれでいいのだが、『良い支援?』の著者の一人であり、たこの木主宰の岩橋さんの姿を見ていると、書くこと話すことと日々の仕事・生活が見事に本当にべたっと当たり前のようにくっつき重なりあっていてかつ、「え、それがどうしたの」という感じなのである。その感じ、上手く説明できないので、是非、連続講座に来ていただければと思う(毎回、生活書院の本を私が売っています)。
さらに、『良い支援?』については、ずばり出版記念企画と銘うった、第13回パーソナルアシスタンスフォーラム〈嫁〉にだす人/貰う人が明けて1月17日に開催される。こちらは4名の著者そろい踏み。あわせて是非お出かけを。
というわけで、今年も一年お世話になりました。きつかったり、難しかったり、色々とするわけですが、それでもなお、明日へと向かう理屈は紡ぎださねばならず、それは一方でけっこう楽しいことでもあると信じて、来年もまたそのお手伝いが出来ればと、思っています。
良い年を!