年のはじめに 三度
生活書院3度目の年明けです。
年初、すこし気持ちがザワザワすることが続いている。
2、3日前の新聞に、最近子ども達の間で、ターゲットの子どもを揶揄し、いたぶり、差別する言葉として「ガイジ」が使われているという記事があった。少し前は、「シンショー」が、同じようなニュアンスをもつ言葉として使われていたように思う。「障害」が、カタカナの、柔らかだけれどだからこそより抑圧的、暴力的な響きを伴う言葉になることで(でも明らかにそれは「障害をもつ子」をもともとは意味する言葉)、その言葉そのものが体現する意味内容を超えて、より広範に、コミュニテイから排除したい人を措定する言葉(「いじめ」の対象に対してのなど)になっている。このことは何を意味しているか。「障害」を「障碍」、「障がい」、「しょうがい」と表記してそれでまずは良しという話でもないように(それぞれの表記の主張はもっともではもちろんありますが)、それは思われ……。
それとは少し文脈が違うけれど、起きてしまった個別の本当にそれ独自の事柄も、あっという間に何か一般的な問題であるかのようにすり替えられ、安易に容易に、思考をムリヤリ停止したかのように、「○○だから、やっぱり」、「閉じ込めろ」、「危険だ」の合唱に転化してしまう。
違うでしょ。そうじゃないでしょ。落ち着いて考えればわかるでしょ。そのせいにすれば安心なのかも知れず、そのせいにすればその人たちを枠の外に置けて嘘っぱちの「安寧」とかを、あなたは得るのかも知れないけれど、それは心底間違っている! でしょ。
このことだけは、何度でも何度でも言う。言わねばならない。そうした「一般化」で、たまらなくも、せつなく悔しい思いをしてきている人たちがどれだけいることか……。
ザワザワすることはたくさんある。でも、向き合いつつ誠実に一つ一つ、自分に問題があれば(それはあるに決まっているが)そこを何とか引き受けて、でも理不尽は蹴散らしつつ、今年も、ということなのだろう。幸い、様々の応援もいただき仕事は暮れも正月もなく忙しい。2月には、立命館大学生存学研究センター編の雑誌『生存学Vol.1』も小社より創刊。乞うご期待(詳細告知は後日)!