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にんじん*1

しばらく別の部屋に置いて見ないことにしているテレビだが、ミーハーな私ゆえ、某国大統領就任式はちょっと見てみようと思い、見はじめたらついつい2時半ぐらいまでテレビの前にいることとなった。あれ以来、どうも体の調子が悪い(熱はないのに咳がずっと止まらない)、けっこうそういう人が多いらしく、ラジオなど聞いていると、複数の司会者(パーソナリティって言うんでしたっけ)が、「5時まで見ていて風邪引いた」とか「のどをやられた」とか言っていた。すごく忙しいのだから、早く体調を戻さねばと思うのだが、忙しいのだから休めなく、必然、体調は戻らない。それはともかく、少しは世の中変わるのだろうか。まあ、彼我を比べこちらの国のA首相を振り返り見れば、どうしたってあちらに少しは期待したくなるというものだろう。単純な「これが正義だ。民主主義だ」の硬直した態度からは少なくとも少し離れたと信じたい。

私はピーマン*2は好きだが、パプリカはどうしたって好きになれない。パートナーは漬物が一切食えない(東北生まれの「くせに」となりがちだが、この「くせに」がかなりいけない)。友人はやはり漬物が食えず、さらに海草も食えない。どうしても受け付けないものって、ひとそれぞれあるのだ。

なのに必ず、「なぜこんなに美味しいものを?」とか「体にいいのに」とかいうことになり、しまいには「みんな誰でも好きなのに…」などと言い出す。とても無邪気に信じられないという口ぶりで言うので、よけいに怖くなる。やれやれと思う。「みんな誰でも好きだ」、「みんな誰でもそう言っている(信じている)」といった物言いぐらい、気持ちが冷え冷えとしてくるものはない。
体にあわない。何か嫌な思い出なりを引っ張りだすことに繋がって、気分が塞ぐ。そんな思いまでして、嫌なものを食べる必要はない。それはわがままでもなんでもない。

自分が美味しいと思うもの、世間が美味しい(良い)と言っているものが、ある人や、あるコミュニティや、ある何々、ある何々にとっては、とてもとても「いや」なものであるかもしれない。少しの想像力をもって、少しだけそんなことを意識のうちに入れるだけで、だいぶ世間は楽になる気がする。そして、もちろんそれは食べ物のことだけではない。


*1 その漫画の冒頭で作者の樹村みのりさんが言っているように、ルナールのそれではなく、樹村さんが1969年に描いた15ページほどの短編漫画。70年代末から80年代はじめ、すごく好きだった漫画家で(今でももちろん好きで何度引っ越しても樹村さんの漫画本は捨てたり売ったりしたことがない)、この「にんじん」が入っている短編集『雨』(サンコミックス)を手に入れたときは結構嬉しかった。今回のブログは「にんじん」をなぞっただけのようなもの。

*2 小津安二郎『東京物語』に、原節子さんが隣人から「ピーマンの煮たの」をもらって、笠智衆さんがそれを肴に、一合徳利の酒を、美味そうにゆっくりとゆっくりと呑む、有名なシーンがある。あんまり美味そうなので、その後なんどか「ピーマンの煮たの」を作ってみたが、あまり美味くはなかった。

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2009年01月26日 17:28に投稿されたエントリーのページです。

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