下痢バラでうつろな体と頭での参加だったが、一週前にあった中野でのトークセッション「介助者たちは、どう生きていくのか?」はとても考える材料の多いイベントだった。流れがどう転んでいくか一応のまとまりはつけるのかそうではないのか、それらすべてが流動的で、ハラハラドキドキしながら聞いていた。結局流れはそう定まらずオチもつかなかったが、それはつまり参加した皆さんがそれぞれ独自の思い入れをもっていて、でもこの集まりで話したいこの集まりに期待したいということだったのだろう。場はまた形をかえて設定され人はまた集って話をしていくのだろう。
当日の主題とは少しずれるのだが、聞いていて感じたことがある。「障害・介助」という軸で考えている/考えたいということと、反貧困をベースに「政治/社会変革」の軸なり旗を立てたいということとが、もちろん集った人にはそうと分別しているわけではなくむしろ一体化して考えるという人が多いのだろうし、これは私だけの感覚なのかもしれないが、なかなか上手くはというかそう簡単にはくっついてこない気がしたのだ。去年の暮れに作らせていただいた『流儀』という本で稲場雅紀さんが言っているような、権力にたいし「震撼させる、ガタガタやる」というのはすごく大事だと思う。ただ、昔どっかで聞いたのと同じような「対立軸を明確にし、みんなで結集して大きな政治課題にし、勝利するぞー」みたいな話になっていくとすると、おいおいとちょっとひねくれるところが私にはある。
少しではなくかなり前ということになるのかもしれないが、昔、都心の某大学にいたころ、そういったことを言っては最後結局組織防衛だのなんだのとなっていつのまにかいなくなり、あるいはくそみそに批判していたその「母校」とやらにちゃっかり戻って職を得たりする組織や人がけっこうあり、いた。そりゃあそれぞれ言い分はあるのだろうし、そんな組織からはお呼びもかからず、まして学問教養のかけらも才覚もあろうはずもなく、ダラダラと「負け戦」を続けてはバカにされ、それでもずるずると居続け、最後、ある演劇集団の学内公演をめぐって色々があり、なんだかみんないなくなっていく中、みっともなくもロックアウトの大学からポイと出される時、紺色の重たそうな制服を着たお兄さんに摘み上げられて見上げた青い空は情けなかったという、場末の講釈師かオマエはというような私からすれば、うらみつらみの域を出ない話だ。ただ、咽喉の奥が苦く乾く記憶が時々よみがえるのも事実だ。でかいことを言っては結局ぐじゃぐじゃにしてサヨーナラというのはもういやだ。
もちろん、今の状況がそれと同じなわけもあるはずもなくということは承知しているつもりだが、便乗してくるやもしれない「昔の理屈や組織」には気をつけたほうがいいようにちょっと思ったりはする。そして、「障害」や「介助」をめぐって考えたり動いたりするのは、そういう「大きな話」ではないところ、逃げ出すわけにはなかなかいかない、行きつ戻りつだけれど何か大事なことを内包している、価値意識のズラシや、もしかしたらその先の何かも、あるのかもしれないないかもしれない云々云々、ということがあるからではなかったのか。もちろん教条的なものの見方はどんな場にもある。例えば、語られていないことの問題性みたいな話も大事だとは思うがいつでもの約束事にしましょうといったことではないはずだし…。
いずれにしろ、考えることもやることもたくさんある。そんなことをあらためて会場を埋めた人たちの熱意が教えてくれた素晴らしいイベントだった。本をつくるという過程を通して私もなにかしら、まずは逃げ出さずに関わっていこうと・・・。