だからせめて汚い真似はやめようじゃないか*
はや6月。土日がほとんど学会やら集会やらで潰れる「旅巡業の季節」が今年もやってきた。なんのことはない、仕事を口実に旅先で人と会い酒を呑むのがただ楽しいだけだと、それは言えなくもないが、てっぺんまで朱くなった頭でないと言えないこともなかにはあるわけで……。
13日の土曜日大阪でその旅巡業を終えての帰り路、遅く乗った新幹線の電光掲示ニュースに、「三沢光晴リングで倒れ死亡」なるテロップが流れた。最近テレビそれ自体を見ていないので、地上波でのノアの放送がなくなったという話もこの後、知ることになるのだが、それにしても驚いた。鶴田のバックドロップや小橋のバーニングハンマーで首がありえない方向に曲がってたたきつけられても、人差し指で汗はじいて平気で起きてきた三沢が死んだ……。こんなことを書くと、「プロレスなんて」という人がいることは百も承知だが、人が生きていく上で、これを見れたからこれを聴けたから明日も何とか元気でやれる、という対象はそれこそ多様なんであって、高尚なのが偉いわけでもなんでもない(私はちょっと色んなことがきつかったある時期、競輪の今は引退した吉岡稔真の「最終バック8番手からのひと捲り――ウォー、届くかそこから!」にどれだけ助けられたか知れない)。三沢のエルボーで日々の憂さや辛さから救われた人はきっとたくさんいたはずだ。しかし、それにしても、自分のことだけでなく箱舟に乗ったみんなのことを考えて経営もし、試合もしで、本当に大変だったと思う。お疲れ様でした。
そうなのだ。なんとかまっとうにしよう、まっとうでいようと思うと大変なんだ。ぎりぎりなんだ。人にすがったり弱いところもさらけだして、助けてもらうところは助けてもらいながら、迷惑をいっぱいかけながらやせ我慢を続けるしかない。強がってはあきらめ、あきらめては自己憐憫し、最後は責任を転嫁して逆切れし、しまいには自分はともかく他のまっとうにやっている人のことまで中傷したり誹謗したりする。そんなことには(とてもなりがちなことではあるけれど)、そんなことにだけはなりたくはない。自慢できるようなことは何もないけれど、だからせめて汚い真似はしたくない。
*逝ってしまってから、やはりどうしても聴いてしまう、かけてしまう回数が増えた。本当にいい曲を作り唄っていたんだなあとあらためて思う。