保護観察付き執行猶予――裁判員制度とは何か
以下今日の朝日新聞一面。いずれも判決は保護観察付き懲役3年執行猶予4年である。
「介護に疲れて寝たきりの妻を包丁で刺した夫。無理心中しようと父親の頭をガラス製の灰皿で殴った息子。家族間で起きた二つの殺人未遂事件の裁判員裁判で、山口、神戸両地裁の裁判員らが9日に言い渡した判決は、いずれも被告の立ち直りを求めるものだった。市民に身近な事件。裁判員は何を考えたのか――」
裁判員裁判の市民感覚が生かされた云々……と、評価する向きが多いようだが、これはやばいと思ったのはわたし一人ではないと思う。
「介護疲れ」「生活苦」「被害者となった家族自身が情状酌量を訴え」「社会が悪い」……そして加害者に集まる同情、「他人事とは思えない」という裁判員の声。
これはいつか来た道なのではないか。またぞろ、というより一層強化される形で、障害をもった子や人が、親や親族によって殺され、なのに同情は加害者に集まり、そして「国民」「市民」が参加しているという免罪符のもとに裁判員裁判で「減刑」されていく、そんな流れが現実になろうとしている。
裁判員制度批判の中でよく語られるのが「冤罪の温床」になるということだが、ことはそれだけに留まらない。感情が理性を支配し、「だからといって許されない」ことが、「許されてしまう」ということだって、きっと出てくる。
「国民の司法参加」と聞こえはいいが、要はめんどくさいもの、あとからごたごたしそうな事案はすべて「市民」におっつけて知らん振りという(しかも専門家が誘導して望むような結論にもっていっておいてということも…)、「司法の責任放棄」が裁判員制度の本質であり、わたしたちはそれにいいように使われようとしているだけではないのか。
最後は自社本の宣伝かと言われればそれまでだが、来週15日に出来てくる、岡島実弁護士の『裁判員制度とは何か』は、この杜撰な制度が生れた背景、導入の真の狙いを明らかにするとともに、制度をどう突き崩していくか、本来の「国民の司法参加」はどうあるべきかまでを簡明に論じている。「良心的裁判員拒否のススメ」とでも言うべき具体的方策も盛り込んであり、制度への賛否はともかくとして、まず事の本質を理解し知るために是非お読みいただきたいと思う。