先週末、ある方の紹介状が添えられて大部の原稿が送られてきた。力を入れて拝読しなければすぐにはお返事できそうにない質と量の書き物である。が、ともかく読んでお返事せねばならない。
で、そのお送りいただいた原稿に関連して、松下竜一さんと『草の根通信』の名前が出てきて、久しぶりに本棚から『豆腐屋の四季』と『狼煙を見よ』を取り出してみた。対照的に見える書物だが、松下さんの書き物でいつもわりに自分のそばにあるのはこの2冊で、それは『狼煙を見よ』の冒頭で松下さん自身が書かれている、大道寺さんがなぜ『豆腐屋の四季』という一見脆弱で臆病とさえ見える心性なり風景なりに惹かれたのかという疑問とも関係し、読み進めていくうちに、松下さんと大道寺さんの心根の底の部分にある共通するものが読み取れ、それがまた、わたしにはまったく持ち得ないところの「正義感」(と言った端からそういう言葉では括れないと思いつつ)といったものへの「あこがれ」へとつながり、それで時々読むことになるのかもしれない。とても自分にはと思うけれど、そういう人がいるなりいたなりということも、たまには確認したほうが良いといった感じ。
今、『豆腐屋の四季』は講談社の学芸文庫で買えるようだが、1,680円もする(やっぱり年に一度ぐらいは読みたくなる、阿部昭さんの『単純な生活』も同じ学芸文庫で1,470円)。うーん、なんとなしの違和感がある。きっと松下さんも「学芸」ではなく、講談社なら講談社文庫の本体でもっと安い値段で読者と出会いたいのではないかしらん。まあ、とはいえ絶版でないだけ良しとしなくてはいけないのだろう。本をとりまく環境はそれほどに厳しいということか(『狼煙を見よ』は買える状態に今あるのだろうか)……。
日々、自社本のゲラなり関連するものなりばかりを読んでいると、つい忘れてしまいそうになる「本」たちがたくさんいる。送っていただいた原稿がそんなことをまた教えてくれた。
PS:ジャンクネタ→体に良くないとは思いつつも時間と金のこともあり、よくカップヌードルを食べる。チリトマト味が最近のお気に入りで、これにハパネロペッパーという凶悪な辛さのやつをえいやっとぶん撒いて食べると、最高に美味い(あとで若干内臓の方から苦情あり)。