いずれも故なく、おずおずとであれ遠慮なくであれ遠目にであれ、それはともかくとして、眼差しては憐憫し、眼差しては排除し、眼差しては恐れ……あるいは無責任にも、たいしたことではないとか、勇気をもってとか、それもあなたの個性とか言い放つ、そうしたことへの漠とした違和感。一方で、眼差されおののき傷つきつつも生きる人びとが、多くは少しずつ声高にでもなく、語り継ぎ語り継ぎしていくことによって、ずらされ揺らされる「普通」なるもの。そうした事柄を本にしたくてやっているようなところもある。
西倉実季さんが、『顔にあざのある女性たち』で2009年度の山川菊栄賞を受賞された。
授賞式は来月2月27日午後1時半から、日本教育会館にて。西倉さんの受賞記念スピーチも予定されている。
生活書院の刊行図書としては、星加良司さんが『障害とは何か』で損保ジャパン記念財団賞を受賞されて以来、2作目ということになる。もちろん賞は書き手とその作品に贈られるものであって、版元は裏方にしか過ぎない。が、しかし、そうした作品を世に送り出すという共同作業に関わらせていただいたこと、それを心より誇りに思う。西倉さん、おめでとうございます。そしてありがとうございました。
『顔にあざのある女性たち』のプロローグに、西倉さんは一篇の詩をひいている。「天然の刺青」という田中潤子さんが詠じた詩である(余談だがこの田中さんの詩は『日和詩』という詩集所収のものであり、鳥語社という奈良は大和郡山の版元さんから出ている。掲載許可のお願いをと思いお電話をかけたら、社長さんの携帯電話に転送されたらしく、なんとノルウェーのオスロでオーロラを見ているとのことで、どうやらおひとりでやっておられる版元のようだった。二つ返事で掲載はOKだったが、人のことはまったく言えないわけだけれど、ほとんどが詩集というラインアップで、どうやって出版を維持しているのだろう――繰り返しになるが人のことは言えない――、それにしてもオスロでオーロラって……。何か不思議な気分になったのを今でも思い出す)。
その詩で田中さんは、(痣を)「やさしく見つめる人」の「うるんでいて」「うつくしい」瞳の、「罵り蔑む」無遠慮な「のぞきこんだ子供たち」の、「顔ではなく人の心に痣はある」という人の、その眼差したちの「そのどのことにも私は たじろぎおどろいて 立ちすくみ おびえてしまった」と書いている。
同情ややさしさ、あるいは良心的道徳的な物言いといったものが、いかに空ろなものか、いやむしろ時には罵声や蔑視よりやっかいであったりするということ……。
西倉さんのこの本は(私がそう思うだけかもしれないが)、そのように眼差され続けてきた/いる人たちへの共感という立ち位置から書かれ、物事はそう簡単に安易には解きほぐせないよということ、だからこそ考えていくべきことはたくさんあるよという、当たり前だけれど大事なことを教えてくれている、そんな気がする。
未読のみなさん、めでたき受賞のこの機会に、是非ご一読を!