「長生きも芸のうち」とよく言っていながら、一度絶句するともう2度と高座へは戻らなかったのは先代の桂文楽で、志ん生が悠々とあるいは平然と、倒れてからも高座へ上がり続けたのと、よく比較して語られるのだが、「長生きも運動」と言って柔らかくかつ厳しく自分を律する骨の髄からの活動家もいる。
先日、安積遊歩さんに7年ぶりぐらいでお会いした。ご紹介していただいたある企画のご相談だったのだが、開口一番(もちろん太っている人を蔑視するなどということでは全くなくという前提をおっしゃった上で)、「太ったんじゃない」「顔が酒やけしている」という話となり、自分自身が「生きる」ということをきちんと考えられないようではダメだと「お叱り」を受ける。4つぐらい上の同郷の先輩に、お互いまったく抜けない福島イントネーションで言われると少し真面目になるが、酒は週1回か2回にせよと言われても、1回も抜けないほうの私としては「はい」と約束するのは憚られ、体の調子が悪いだのジャンクフードネタだのばかりを書いている私のブログなど、読んでないだろうなとありそうもないことでヒヤヒヤするのがせいぜいなのだが、でもご心配いただくのはありがたい。
安積さんは確かに7年前にお会いしたときよりもかえって肌ツヤが良いぐらいで、環境問題を大きなテーマの一つにし、安全な食べ物をとることに留意されているということはもちろんあるのだろうが、何より近著の 『いのちに贈る超自立論』 のあとがきで、「障害をもつ自分が長生きをすることこそが、最強の社会変革であると信じてきた。社会に迷惑な存在、あってはならない存在と位置づけられてきた私たちが、長生きをすることをとおしてこの社会に価値観の変革を迫りつづけるのだ」と書き、多くの障害をもった友人たちの早世に立ち会ってきた、安積さんの信念ともいうべき思いなのだろう。
少しひねくれていて、昔、「金持ちしか安全なものは食えない」とあることで実感してから、(それまではたいそう信奉していたくせに)エコロジカルなものの考え方や事柄をやや胡乱なものと思ってしまうところがある私には、少し意見を異にするところもあるのだが、安積さんの首尾一貫さ、ほれぼれすると言ってもいい「活動家」振りには、拍手を送るしかない。お会いした折いただいた前掲の近著、「宣伝してね」と言われたのだが、こんな誰も読んでいないようなブログでリンクを貼ってみるぐらいしか出来ない。お許しを!