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話はもう終わったのか――口蹄疫と生産農家

宮崎の口蹄疫はもう収束に向かっているのだと、厚生労働省が発表したという。本当にそうなのだろうかと思う。生活支援・再興に向けた取り組みなどにはもちろん資本が投入され、様々な手当ては成されるのだろう(そうでなくてはもちろん困る)。ただ、それだけなのだろうかとも思う。
例えば、発生源はどこだ、移動してばら撒いたのは誰だという犯人探しにさらされる一方で、報道規制の影響もあって、正確な事実関係を他の国民に知ってもらうことすらなかなかかなわなかったということ(まだ移動制限が解除されたわけではないし、孤立感は今も強いだろうと思う)。
また例えば、自らが愛情を持って育てた何十万頭もの牛や豚たちを、毎日殺しては埋め続けなければならなかった、生産農家や農協の人たちに、PTSDのような症状は残らないだろうかということ。「所詮肉用として売ってお金を得る商品として育てていたのではないか」などと言う人がいたとすれば、あまりに幼稚な話だ。愛情を持って育てることは、規模が大きかろうが小さかろうが、変わらないし、家族旅行の一つもかなわず、動物たちと昼夜をともにしている畜産農家の人たちの実感と、それはあまりにかけ離れていると思う。私が農家の生まれで近くにも牛飼いや豚飼い、鶏飼い農家がいた、ということがあるからかもしれないが、今回の対応や報道の中にそうした農民の実感に寄り添う部分はあまり現われていなかったような気がするし、比較的多くの国民の意識もそこにはなかった、ように見える。
これがもし、犬や猫などの愛玩動物に伝染する病気で、感染予防に殺処分をということだったらどうだっただろう。そう想像してみるのはあまりに不謹慎だろうか。
ブランド牛肉など関係ないという人もいるかもしれない。私も直接口に入るかどうかという意味では関係ない。しかし、生産農家の口に入ることはもっとない。それはどれぐらい周知のことなのだろうか。「農家はいいよな、新鮮で美味いものが食えて」という言葉は半分当っているが、半分は的外れだ。エース級種牛をめぐる動きを冷ややかに見ていた人ももちろんいただろうが、そういうことでしか生き延びられないという構造を生んでいるのは、ほかならぬ私たち消費者自身でもある。そのことは、もっと人々に受けのよい、「安心安全な野菜・食品」という話に移したところで、あまり変わらない。大雑把に言えば「美味いもの」も「安心、安全なもの」も多くは金をもつ人にしか渡らず、金のない人々はそうとはいかない(もちろん様々工夫はするのだが)。そして農家はいずれにしろ疲弊している。

保護主義的農政をなどと言っているのではもちろんない。ばらまきせいと言っているわけでもない。ただこの乖離、わかってもらえなさは何とかならないものかと少しは思うので、話はまだ終わっていないとしか、言い様がない。

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2010年06月28日 10:50に投稿されたエントリーのページです。

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