そこだけはという一線
明後日17日、「障害者自立支援法『改正』案」が委員会採決されるらしい。議論されている「障害者総合福祉法」までの「つなぎ」が必要だと言われる。日本発達障害ネットワークなど9団体が改正支持の声明を出したという事実もある。いろいろと話すべきことはあるのだろうと思う。でも、私には単純で素朴な疑問がある。
それは、あれほど悪法・使えない制度だということが共通認識となり、前回、改正案も廃案になったこの「障害者自立支援法」という枠組み、名前を、なぜに残して、それを前提とした上での「改正」を画策するのかということだ。
つぶしましょう、やめましょうと決めた枠組みなり名前ではなかったのか。その上で今の、東さんたちを中心とした議論がはじまったのではなかったのか。民主党に少しでも期待するものがもし今でもあるとしたら、ここの一点だけだったようなものなのに、前回、「改正」がすでに廃案にもなっている、「障害者自立支援法」という亡骸をむりやり棺桶から引っ張り出し、またぞろ上程しようという。何かバーター取引でもあるのではないか、実は、現在進んでいる改革推進会議での議論にちょっかいを出し、なし崩し的に制度改革を後退させようとしているのではないかと、疑われたってこれはしょうがない。素人考えなのかもしれないが、「つなぎ」が必要ならいくらでも手はあるのではないか。潰した法をどうしても持ち出さねばならないというなら、その理由を当事者すべてが納得するまで説明すべきだと思う(たぶん「理解を求めたが得られなかった」かなんか言っておしまいだろうが)。
私は、正直言って、民主党の外交政策などあまり興味がない。お叱りうけるかもしれないが、ヒステリックになって「それもこれも俺のもんだ。このやろー」なんて言っているより、弱腰外交のほうがなんぼかいい、とすら思う。問題は、少しはましになるかと思った、社会的に不当に虐げられつづけている人たち、マイノリティ集団への眼差し、視界が、どんどん弱く狭く後退しているところだ。死刑も執行してしまった今の権力政党による今回の再上程、そこぐらいは何とか堪えるだろうと思っていただけに、ほとほと愛想がつきた。