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年のはじめに 2011――『介助者たちは、どう生きていくのか』

版元を立ち上げて5度目の新年は今までにない忙しさである。世の中は「タイガーマスク現象」や「民主党内紛」やらで持ちきりだが、きちんと論評する腕も時間もない。なにしろ2月に3本、3月には4本の新刊を出すことになる。しかもいずれもが小社にとってとても大事な本になる。

そのうちの一本、渡邉琢さんの『介助者たちは、どう生きていくのか』の再校ゲラを先ほど送り出したところだ。2009年の5月23日になかのZEROで開催された、かりん燈特別企画のタイトルを、この本はそのまま引き継いでいる。その少し前から、私は渡邉さんに是非本をということをお願いしていたが、この日(その日私は子どもからうつされたロタで、これ以上はないというぐらい最悪の体調だった。が、出かけた)以降、本作りが加速されていったような気がする。ずいぶんと京都の九条や二条に通わせていただいた。打ち合わせが終わると、JCILの小泉さんの作ってくださった鍋などで、よく食べよく呑んだ。それも本が出来ていく過程での大事で楽しいことだった。そして2年近くがたって、もうすぐ本は出る。

なぜ、『介助者たちは、どう生きていくのか』というタイトルを本に引き継いだのか。渡邉さんは「あとがきにかえて」で次のように書いている。「そのテーマが引き続き未解決のままにぼくの中にあるからだ。ここには安易に答えを出しかねる課題がある」。介助・介護でめしを食うということについては、様々なこと(もちろん否定的な言葉も含めて)が言われてきた。でも、少なくともそれをわが身のことと引き受けて、かつこれから続く人たちのことも含めて、これほど日々真摯に行動においても思索においても、その課題と向き合った営みを私は他にあまり知らない。この本はその営みが言葉となって文章となってたち現われたものだ。そこに書かれているものは、小器用であったり流麗であったりということはないかもしれない。でも、まぎれもなくとても大事な本になっている。

なぜなら、渡邉さんがやはり「あとがきにかえて」で書いているのだが、「いかに障害者と介助者が連帯をとりうるのかという困難な課題」を「乗り越えるのは無理と片付けるのではなく、いかにつながりをつくっていけるのか、いかに共に生きる社会をつくっていけるのか、その模索の作業はぼくの終生の課題である」とする渡邉さんによる「その基礎作業として、この論考はある」からだ。

厚い本になった。編集者として、例えば引用文などをもう少し削らせてもらおうかとも思った。でも最終的にはやめた。渡邉さんにとって、そこに引かれなければならない理由があると思うから。

来月の半ばの刊行に向けて最後の編集作業が進行しています。もうしばらくのお待ちを。そして3月には、小社としてはじめての自前の雑誌(年1回の刊行になりますが)も創刊予定です。そのことについてはまたあらためて……それでは、今年1年また、変わらぬご支援をどうぞよろしくお願いいたします。


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2011年01月14日 19:45に投稿されたエントリーのページです。

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