引き裂かれる気持ち
今月はブログをアップするのをやめようと思ったが、とても個人的な事柄を少しだけ、やはり書いておきたい。
今日、福島の両親が伊達市に帰っていった。兄も白河にいるままだ。避難してきてそれでもやはり戻りたいと強く言い出したのは、「作付け停止」という記事を読んでからだ。「死ぬ人が出てくる」と言っていた。そしてその通りになった。風評であれなんであれ、「福島」という名前に対する長い長い忌避や差別の感情が生まれ、日を重ねるごとにそれは強まっていくだろう。
外部からの目だけではない。同じ「福島」の内側でも浜通り、中通り、会津との間で互いへの不満や、もっと言えば恨みをも含めた分断が生れてくるだろうと思う。それでもその中で生きていくしかない人たちがいる。反原発云々以前に、今回の事故の何が憎いかと言って、そういう差別や分断を人々の間にもたらしてしまったことだ。それを許さないと言うことは簡単だが、実際には容易なことではない。
福島の野菜や果物や畜産物を買って消費して応援したいという気持ちは強い。しかし一方で2歳の子どもをもつ親として、安全な水や食べ物、環境をと考えてしまうのも隠しようのない事実だ。すでに私個人の中にも「引き裂かれ」が始まっていて、それもまた今後長く続くことになる。どう動いても何らかの悔いを感じながら生きていくことになるだろうと思う。
パートナーの岩手の実家とその地の風景は、津波に呑まれて文字通り「消えて」しまった。私の福島の実家とその地の風景は、見た目はそのままの形で何も変わらず残っていながら、やはり「見えなく」されようとしている。どちらの喪失感も小さなものでは決してない。その上で、それでも続く日々を、最善をつくして、できればちょっとは楽しく回していこうと思う。あさっては、もう4月。新しい年度の始まりだ