一ヶ月前にブログを書いたときは、いくらなんでも事態は少し好転するだろうと思っていた。しかし、好転するどころか、心配していたことが次々とおこっている。
郡山の学校の校庭の土の話。校庭で活動できないような状況下で、しかも信じがたき数値まで許容量を引き上げて「教育」を続ける国や文科省は許しがたい。でも、ではあっても、土が近くに置かれようとしてあがった、「わたしたちも郡山市民だ」という声を、身勝手だなどと切ってすてることができるだろうか。
なんとか牛を助けたいと思っている畜産農家に対し、「産地を偽って売り抜ける気か」などと直接に論難することは、簡単にできるのことなのだろうか。
「なぜあんな場所で子どもを育てていられるのか、信じられない」などと外から親たちを非難する時、どれだけそれが人を傷つけているかに、もはや思いは至らなくなっているのだろうか。
批判するべき対象と事柄が次第次第に間違った方向に向き始め、怖れは差別につながり、それは福島の内部にも分断を持ち込み、あるいはまた外からの支援に固く心を閉ざすということにもつながりかねない。
脱原発であり、引き算の社会を展望していく必要がある、と言われる。それはそうだろうと思う。だけれど、今「このことを契機に」とされようとしていることについて、福島が「フクシマ」や「FUKUSHIMA」になってしまったことについて、人はもう納得しなければならないのだろうか。その前の段階で、安易な共感や同情はもちろんいらないと思うが、せめて排除はせず、(うらみつらみも含めて)なぜ前を向けないのかということを、もっともっとたくさん、まずは聴いていことが必要なのではないか。
「自分たちはもう歳だからいいんだ」と口では言うものの、電話をこれほど欲しがるようになった両親の姿も含め、それがこの一月の実感である。