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2011年08月 アーカイブ

2011年08月04日

トークセッション「支援のかたち/支援のゆくえ」開催しました

このブログでもご案内した、『支援』創刊記念のトークセッションが、先月23日早稲田大学で開催されました。セッションは、たこの木クラブの岩橋誠治さんと、日本自立生活センター、かりん燈の渡邉琢さん。参加者は『支援』編集委員のうちの5名も含めて、34名でした。のちにMLなどでこのトークセッションの感想や、岩橋さんも書かれている『良い支援?』、渡邉さんの『介助者たちは、どう生きていくのか』を読んでのコメントなどを寄せてくださった、つるたまさひでさんや、斉藤龍一郎さんなど、久しぶりにお目にかかる先輩たちも参加してくださったり、関西からも5名のご参加があるなど、セッション後の懇親会も含め内容充実の会になったと思います。

岩橋さんと、渡邉さん、ともに私が本を作る過程で長いこと通いつめ、今でもしょっちゅうお会いしてはさまざまなことを教えていただいたり、ただただ呑んだくれたりという、尊敬するお二人ですが、「支援」に取り組むことになった契機も、もちろん世代の差もあってその歴史も、そして取り組んでいる場所・地域・人たちが違うわけですからその考え方も、おのずと異なるものになります。うまくかみ合うだろうか、ぐだぐだになったらどうしようと、この二人で行きましょうと強く推した私も、進行役の三井さん、岡部さんにお願いして、流れのメモを作っていただいたり、当日の朝は少し不安になったりもしました(岩橋さん、渡邉さん、スミマセン)。

が、結果的には心配無用、杞憂でした。始まってみれば、どんどんお二人の会話形式で話が進み、流れを作るといった作業もほとんど不要だったように思います。
何より、お二人それぞれが「支援者」として云々以前に、そもそもどういうことを思い考えて生きてきた人なのか、そこがまず先にあって、その上で何らかの契機があり「支援」の現場に入っていき、今現在までの歴史がある。そこにかかわる、お二人それぞれの冒頭やや長めのお話には、ある程度付き合いのあるつもりだった私にとっても、ああ!そうなのか、というところがたくさんあり、それが現在のお二人の姿と連なり重なってくることで得心できたりする部分がありました。この段階でセッションの成功をほぼ確信しました。

お二人とも、自分の中に血肉化できていない「知識」を物知り顔で紹介したりなどということからは、遠いところにいて、無責任な物言いは自制される人です。話されることは、あくまで自分たちの具体的な取り組みや関わりに即してですが、だからこそ、私たちが疑いも持たずに了解しているような事柄でさえ、ときには逆説的な言い方も含めて、ガラガラとその前提を壊したりもしてくれます。「当事者主体と支援者」「介助で金を稼ぐ」などなど、気になる主題もとりあげつつ、「支援」という枠組みにとどまらない、示唆に富んだセッションになりました。あらためて、岩橋さん、渡邉さんに感謝いたします。

都合がつかず、当日お二人のお話が聞けずに残念がっておられる皆さんの声も届いていますが、このセッションは録音を起こし、手を入れて原稿化し、来年3月刊行予定の『支援』第2号に掲載されます。

かなり先に感じられるかもしれませんが、震災直前の3月10日に校了し、原発の爆発があって田舎から両親が一時避難してきているさなかの18日に創刊号の見本があがってきた、この雑誌『支援』も、すでに第2号の原稿依頼に入ろうとしています。
お二人のトークセッションは、創刊号から第2号へのもっともふさわしい橋渡しになっています。

どうぞ、楽しみにお待ちくださいますように。

2011年08月31日

後ろめたさの中で息継ぎしながら

以前使った手だが、ここ一月の間に、福島や岩手のことについて自分でつぶやいたものから、少し抜いて貼ってみる。

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横から聞こえてくる某NHKの番組で、福島は浜に加えて会津もと言ってるの聴いて、中通りの「見捨てられ感」もかなりキツいと思ってしまった。そういう「こっちはもっとキツい」比べが、相手の思う壷だとは分かりつつ

最近目に触れた言葉では、森達也さんの「後ろめたさ」と、金子達仁さんの「ノルウェーのために祈ったか」というのが、気持ちの中に残る。とりわけ「後ろめたさ」は、あ、言い当ててくれたと思った。分かりそうなもんだと見えるけど、言われるまで気づかなかった

寝ようと思い最後にラジオつけたら「ヒバクシャからの手紙」(カタカナだ)というのをやっていて、そうか一般には「後ろめたさ」というのは街にいて電気一杯使って、「ムラ」を犠牲にしてという話なのかと聞こえた。私が言い当てられたと思ったのは、単純に「結局は他人事」ということで、それとは違う

ややイチャモンつけてる感はあるけど、フクシマとかヒバクシャって言ってフレーム作られるのは、どうにも納得いかない。逆にこのことでは何を問題とすべきなのかが、見えなくなってしまうとすら思ってしまう

三泊四日の三陸への帰省から帰着。瓦礫は無くなったのではなく、町のはずれに何層にも何層にも積まれているだけ

仮設住宅を互いに悔やみや見舞いにたずねあるく盆の、送り迎えを少し手伝ってきた

これまでの暮らし方が間違っていたから違う何かをと括られても困り、金はないがまあまあ呑気だったついこないだをと言うのは、復古的でも反動でもないだろうという気も。理不尽に奪われた(形は違うが浜も山も)ということとの折り合いが全くついていない。反原発だとしてそこは考えたほうがいいような

私も子ども連れて福島には行かないし行けないし来るなと言われるのです。ずるいのです。ただ彼の地に残り暮らす人たちにとって「下がる」ことは良いと言っていいのではないか、暮らしの継続の肯定も大事なのではないか、とも思うのです

変わらず「後ろめたさ」が気分にひっついています。去年までとは違い岩手の後、福島飛ばして戻ってきた盆休みのことも含め

ベルギーのサッカー場での話は、日本の国内でももちろんすでにあってこれからもっともっときつくなること。あなたはふりあげた拳をどこにおろすのかと問われれば、説明のつかない苛立と一方での後ろめたさで、立ちすくむのみ

永劫帰れない地と言われて言葉を失う人たちの存在も、私は少しずつ忘れていくに違いない。尤も、身内にそのラインがかかってくればたぶん話は違ってくる。身勝手なんだ本当に

下小国の農地土壌で5000ベクレル超。毎日きついニュース多いがこれは・・・車で20分もかからないところだ。(好きな仕事なのに)作れない喰えない売れないあげられない。人も呼べないしこっちからも行かない・・・

旅先の九州から送った干物が届いたらしく福島から礼の電話あり。旨かったと言うので、つい「安心なところのもんだから」と返したら、「そう安心安全って言うな」と怒るでもなく、でも少しの悔しさと、諦めというか哀しみというかそんなものを含んだような電話の声。ああ、鈍感になっているな、と思う

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「後ろめたさ」について何度か言及しているのは、森達也さんが7月28日の朝日新聞に寄稿した「後ろめたさが視界を変える」を読んだことが、きっかけになっている。

「被災者や原発問題に関心を失いかけている『自分自身に対する違和感』なのだ…日常に戻りかけている自分が不安なのだ」
「(自殺者や、四川大地震、ハイチ地震の犠牲者の)これらの報道に接しながら、どれほどの人たちが、悲しみや辛さを共有していただろう…結局は他人事だったはずだ」
「自分たちの本質的な冷酷さに、多くの人たちは意識下できづいてしまった。だから疼く。何をしても落ち着かない。いつまでも後ろめたい。だから無理矢理に言語化したくなる」

この後、森さんは、こうした「後ろめたさ」が、「無関心を、能動へと転換する契機」となり、「視界は、きっと劇的に変わるはずだ」と書かれているが、その部分は私にはよくわからない。おそらく、そんなことはないだろうとも思う。
私が言い当てられたと思ったのは、上に引いた「結局は他人事」や「本質的な冷酷さ」、それゆえの「後ろめたさ」というところまでで、それ以上でも以下でもない。
でも、震災後に私が読んだ文章なり本の中で、今でもこの森さんの文章が一番心に残っている(もちろん、たいして読んだわけでもないけれど)。

最近ある人から、福島の出身であり(パートナーは岩手出身で)、家族が今もそこに暮らしていて、そういう立場からぶつぶつつぶやいていることについて「うらやましい」と言われた。そこだけとれば「えっ?」と思うかもしれないが、その気持ちはとてもよくわかる。たぶん、みんな、後ろめたくてやりきれないのだ。でも忘れていく。それでようやっと日々は回っていくということもあるわけだし……

ただ、それでも、「これを契機に」とか「オルタナティヴな未来を」とか言う前に、まだまだ、じくじくうじうじと悩んだり考えたりしなくてはいけないことが、たくさんあるように思う。
いつまでだと言われたら、ずっとだと答えるしかないような事柄だと思う。

それが、「そう安心安全って言うな」と小さな声で言う人たちに対する、私なりの「後ろめたさ」の引き受け方だ。

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