ボディふぃ~るだー! でぐちの
〈身遣い〉のフィールドワーク、はじめました〈15〉

出口泰靖    


 

第15回 

「体幹」もいいけど?「末端」もね!?の巻(その2)

 

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(1)マイクを持つ手が小指ピーン!?

 
 前回の連載では、手の「小指」という、からだの「末端」が案外とても大事だったりするのでは、ということについて取り上げてみた。
 手の「小指」といえば、カラオケで唱っている人のなかで、手の小指がピーンとのびた状態でマイクをもっている人がいる。この、マイクをもつ手の、「小指ピーン」はナゼなのか?
 その「小指ピーン」のナゾについて、以前、NHKの番組(「チコちゃんに叱られる!」2018年9月28日放送)が取り上げていた。
 そこでは、マイクをもつと小指がピーンとなってしまう理由として、「人間は、モノをそーっとつまもうとすると、小指がピーンとなる生き物だから」と説明していた。
 専門家の方によれば、人間がモノをもつときのうごきというのは、主に“つまむ”と“握る”の二種類があるという。わたしとしては、「つかむ」というのもあると思った。だが、「つかむ」というのは、「握る」うごきに近いもの(ほぼ同じ?)であるためなのだろうか、番組では「つかむ」うごきについては触れてくれてはいなかった。
 それはさておき。専門家の方の話では、小指がピーンとなるのは、「つまむ」ときなのであるという。ただし、「つまむ」ときに「小指ピーン」となる明確なメカニズムは意外にも実のところ解明されていない、という。
 だが、そこで出されていた説として、「小指ピーン」は「手の筋肉の構造によるもの」だと説明されていた。
 まず、指を曲げるときにはたらく筋肉があるという。それは、手の内側にある「浅指(せんし)屈筋」と「深指(しんし)屈筋」という二種類の屈筋(くっきん)なのだそうだ。すなわち、モノを握る場合には、「浅指屈筋」と「深指屈筋」という二つの屈筋の筋肉がはたらくことになるのだろう。
 つぎに、手の指を伸ばす時にはたらく筋肉というのがあるのだという。それが、手の甲の側にある「総指伸筋 (そうししんきん)」という筋肉だそうだ。この「総指伸筋」こそ、「小指ピーン」に使われている筋肉であるという。
 モノを「つまむ」というときには、手を握ってつかむときほどの大きな筋力はいらない(むしろジャマ?な)のだという。そこで、手の甲の側にある伸筋を使って指を伸ばしておいて、指を曲げる屈筋による大きな力を抑えて弱めることができている、というわけであるらしい。
 このようにして、手の小指がピーンとなるのは、モノをギュッと握ってつかむのではなく、そーっとつまむようなときだという。そういえば、カラオケのとき、キンチョーしてマイクを両手でギュッと握りしめて歌う人は、小指はピーンとのびることはない。むしろ、歌い慣れている(か、うまく唱っている自分に酔っている?)人のなかで、指先で触れているかのようにマイクをつまむ人のなかに「指先ピーン」の人が少なくないように思う。
 さらに専門家の方が言うところにゃ、「小指」というところには、「独立した伸筋」なるものがある、という。それが「総指伸筋」に対して「小指(しょうし)伸筋」なるものであるという。
 おおっ、出たー、「小指伸筋」。ま、まさに、わたしがマレットフィンガーで損傷した小指の伸筋こそが、この「小指伸筋」ではあるまいかー。
 この小指側の「伸筋(小指伸筋)」は、モノをつまもうとするときにおおいに活かされて、小指がピーンと伸びるのだそうだ。この「小指伸筋」というのが、独立した筋肉であるからこそ、とくに「つまむ」ぐらいのチカラでモノを持つとき、小指がピーンと伸びてしまいやすいというのであるという。
 な、なるほど。そういえば、マレットフィンガーを治療するとき、「小指ピーン」の状態を維持しなければならなかったので、モノを「つまむ」ことには苦痛を感じなかったが、モノを「つかむ」ことや「にぎる」ことについて、しづらさを感じていたゾー。

 

(2)小指のマレットフィンガーのその後

 
 ちなみに、わたしが損傷してしまった「小指伸筋」、右手の小指のゴールドフィンガーならぬ、マレットフィンガーのその後について少しふれておきたい。
 あれから、すっかり良くなったー、と言いたいところではある。だが、あいかわらず、曲がりにくさ、曲げにくさが残ったまんま、となっている。
 ところが、整形外科の医師からは、「これで治療は終了です」と突然のように告げられた。治療としては、「小指伸筋」の腱がブチっと切れてしまい、くにゃららら~と花がしおれていくように自分の意思に反して曲がっていく状態からはよくなっており、小指自体はまっすぐ伸びることができている(「小指伸筋」はもどったということなのか?)ことが確認されたから、のようである。
 だが、まだ、右手の小指の第一関節は、十分には曲がらない状態のままではあるのだが。そして、小指の「拘縮」の状態は続いてはいる。手をじゃんけんのグーのかたち、すなわち「握りこぶし」にすると、右手の小指がまだしっかり折りたたむことができずにいる。少しは曲げられるようにはなってはいるが、手を「握りこぶし」にした状態では、手のひらと小指の指先とのあいだに、大豆一個分ほど空いた状態が相変わらずできてしまっている。
 なんとも、まだまだ自分の意のままにならない指に、おおいにもどかしさを感じる始末ではある。

 

(3)やはり「筋力」は必要?「筋肉」「筋力」をどのように考えるか?

 
 前回も少し述べたことではあるが、マレットフィンガーという小指をもつことによって、わたしは、いろいろな面で問いを突きつけられ、さまざまなことを考えさせられた。
 マレットフィンガーで「小指伸筋」の腱がブチっと切れてしまい、小指の第一関節が曲がったまま伸ばすことができなくなった。そのため、装具を指にはめて伸ばしたままの状態で固定しつづけることになった。
 その後、今度は小指が伸びたままで固まった状態でほとんど曲げられないという「拘縮」の状態になった。その状態から指を自分で曲げられるようにするためのリハビリをすることになった。
 そのリハビリで、担当のスタッフから言われたことがあった。それは、「指の筋力をつけないといけない」ということであった。そこで、ゴムボールを指でつかんで握ることで手や指の筋力をつけるようにすすめられた。言われるがまま、リハビリ後、その足でわたしは百円ショップに行ってお子さま遊びコーナーのところでゴムボールを見つけてすぐさま買って帰り、さっそく試しにやってみた、ということは前回の連載でもふれたことであった。
 そこでわたしが問いをつきつけられたこと。それは、「やっぱり、まずもって『筋力』というものは必要なのかいな?」ということであった。
 この連載では、ふだんの運動をはじめ介護予防のための運動であれ、なんでもかんでも「筋力」というものに頼り切っている現代社会を問い直そうと、「筋力」のみに頼り切らない「からだのはたらかせ方」に気にかけ、腕力、脚力、筋力によりかからない〈身遣い〉をいろいろと取り上げてきてみた。
 しかしながら、小指だけではあるにせよ、関節が十分に曲がらないという自らの拘縮状態を体験し、その拘縮から良くなるためには筋力をつけることをすすめられることとなった。そのことによって、まず、「筋肉」、「筋力」をどのように捉え、考えればよいか、おおいに考えさせられたわけなのである。

 

(4)「筋力」が増えても凝り固まっては元も子もない!?

 
 わたしが「筋力」はやはり必要なのかいな?と自問自答するなか、これまた同じリハビリ担当の方から、筋力は必要だー!といって、やみくもに「筋力」をつけるのもいけない、といったことも言われた。
 というのも、リハビリ担当のスタッフから「気をつけてね」と言われたことがもう一つあった。それは、わたしの腕の筋肉は、とっても固い、凝り固まっている、ということであった。
 とくに、小指からつながっている筋肉が固くなっているので、マッサージをして固さをとり、やわらかくしていないといけない、と言われたのであった。数ヶ月間、指の筋肉を動かさなかったことで、小指の筋肉(腱)だけではなく、小指につながる腕の筋肉までもが硬く凝り固まっていたというのだ。
 小指は腕の筋肉にまでつながっている。腕が凝り固まった筋肉の状態ではなかなか良くはなりませんよ。なので、腕の筋肉をしっかりと、じっくりと、もみほぐさないといけませんよ。凝り固まった状態のまま、やみくもに「筋肉」を増やそうとすると、さらに筋肉は凝り固まってしまうので、お風呂に入っているときなどに自分で腕の筋肉をよくマッサージするよう心がけて、と言われたのであった。
 なおかつリハビリの担当の方に言われたことには、マレットフィンガーで負傷した指の皮膚も、ガチガチに硬く固まっていると言うではあるまいか。筋肉はモチのロン、皮膚もまたやわらかくないといけないようだ。
 筋力をつけてと言われ、かといって筋肉が凝り固まってもダメ、という。これはなかなか、ミッション・インポッシブルな命令ではあるなあ。

 

(5)人(のからだ)は、筋力のみでうごいているにあらず。

 
 というわけで、「筋肉」、「筋力」をどのように捉え、考えればよいか、自問自答しているわたしではある。だが、「筋力」のみに頼り切らない「からだのはたらかせ方」に気にかけ、腕力、脚力、筋力によりかからない〈身遣い〉を探究しているボディふぃ~るだー!としては、人(のからだ)は、ただたんに、筋肉や筋力のみでうごいているのではない、という考えには変わりはない。
 たとえば、脚の筋力があるかどうかチェックをするとき、よく「片足あげたままイスからの立ち上がり」というのをおこなっていたりする。そこで片足をあげたままイスから立ち上がることができずにいると、「脚の筋力をつけましょう」とか「脚の筋肉を鍛えましょう」とか言われたりする。
 だが、立ち上がりには、ひと工夫、ひと手間かけていけば、たとえ片足がマヒしていたとしても、筋力が低下していたとしても、ある程度までは自分で立ち上がることができる。これは、「おじぎしながら立ち上がりましょう」と声をかけながら立ちあがりの介助をしている人たちはよくご存じのことだと思う。
 具体的には、足先をひざよりも後ろに引いていき、頭をひざよりも前に傾けて倒してゆき、十分な前かがみ姿勢(おじぎをしているような姿勢)をとる。そうするとと、おのずと立ち上がれるような体勢がとれている。このひと工夫、ひと手間をかけた体勢をとれば、たとえ片足をあげたままでも、たとえ筋力がないと言われた人手も、イスから立ち上がれる人は少なくないかと思う。
 人の立ちあがりというのは、筋肉の力だけで力んで立ち上がっているのでは決してないのだろうと思う。人の立ちあがりだけではなく、人のうごきというのは、からだ全体のバランスであったり、地球の重力とどう折り合い、重力をうまく活かしながら、「からだのはたらかせ方」に気にかけてゆくか、ってことなのだろうと思う。

 

(6)「小指」をめぐる〈身遣い〉、いろいろ、さまざま。

 
 前回、林さんの小指を母指球につける、手の内に巻き込む〈身遣い〉というのを取り上げた。しかし、その後、小指をめぐる〈身遣い〉について、“〈身遣い〉の達人”たる身体術の実践家から、さまざまな意見をいただいた。
 そのうちの一つが、小指と薬指を母指球につけた状態で相手を引っぱろうとしても、人によってはやりにくいのでは?という意見であった。また、小指を母指球につけることによって、かえって小指から肩甲骨につながるボディふぃ~るがえられず、手先だけの力でうごかそうとしてしまう人もいるのでは?という意見もあった。
 さらに、腕っぷしや腕力といった部分的な筋力に頼らない技法としては同じなのだが、指の使い方としては違いがあるよ、という意見もあった。そこでの具体的な例えでいうと、こういうことであった。
 テーブルのコップをつかんで持ちあげてみる。そのときには、小指はコップについたままである。だが、そこからコップを口につけて飲むときは、力みがない状態であるならば、おのずと小指はコップから離れてしまっている。もしくは、先述したマイクを持つ手のように、「小指ピーン」になっている人もいるであろう。
 またの例えで言うのなら、刀やゴルフのクラブを持つ場合においても同じような指のはこびになるのではという。まず、下を向いているときには小指は刀やクラブについているだろう。だが、刀やクラブを上にふりかぶったときはどうだろうか、そのときにはやはりまた、やや小指が少しばかり離れるのではないだろうか、というのだ。
 わたしなどは、コップやタンブラー、ペットボトルをつかんで飲むとき、つかむときは五つの指でもって持ち上げたりするのだが、飲むときにコップやペットボトルを傾けて口につけようとするとき、小指ではなく人さし指がのびている場合もある。さらに、人によっては、コップをもつとき、小指をコップの底につけている人もなかにはいるようだ。
 ここで、大切なこととしておさらいしておきたいのは、ここでの連載では「〈身遣い〉のフィールドワーク」と称して、腕っぷし、腕力だけでモノを持ったり、人を持ち上げたり抱き上げたりせずにして、パワーレスなチカラを出す「からだのはたらかせ方」に気にかける〈身遣い〉をさぐっている、ということであった。
 まず、林さんがおすすめする〈身遣い〉では、小指を母指球につけると、小指から肩甲骨そして背中にまで全身と連動する、そのことによって腕力でモノを持ったり持ち上げたりせずにいうパワーレスなチカラが出せる、ということであった。だが、小指を離してコップやマイクをもつとき(とくに上げ下げをする場合)など、力まない状態でうごこうとすれば、腕のうごきの上げ下げによって、小指はおのずとついたり離れたりする(あるいは小指がピーンと伸びる)場合もある。
 ここで述べたように、小指を手のひら側の母指球につける〈身遣い〉もあれば、「小指ピーン」のように小指をしっかり伸びることでチカラを加減して「つまむ」うごきができたり、小指をついたり離れたりすることでチカラが抜けた状態でモノを持つことができる場合もある。
 こうしてみてみると、「小指」に気にかけた〈身遣い〉をさぐってみることだけでも、いろいろ、さまざまなボディふぃ~るがえられるということなのではないだろうか。要は、それぞれの人の体型や体格、そしてからだのクセ、などに見合った最適な〈身遣い〉をいろいろさぐってゆくことが大切になってゆくのであろうか。

 

(7)そもそも「指先」ってどこにあるんか?指先、指の腹、つめの先

 
 ところで、さっきから「指先」というコトバを発していたりしているのだが、そもそも「指先」ってどこにあるのだろうか。
 えてして、わたしたちは「指先」と聞くと、「爪の先」あたりをイメージしてしまいがちだ。だが、この連載で何度かご登場頂いている“〈身遣い〉の達人”の甲野陽紀さんの言うところの「指先」というのは、わたしたちが思い込んでいる「爪の先」あたりとはちょっと違っている(甲野、甲野 2016)。
 陽紀さんの言うところの「指先」というのは、「爪の先」と「指の腹」の間の「ななめになっているところ」であるという(イラストその1)。

イラストその1


 その「ななめになっているところ」と言われても、ななめっているところというのはどこじゃいな?と、“〈身遣い〉の達人”ではないわたしなどは、おおいにとまどってしまう。陽紀さんがすすめるところによれば、あまり意識をせずに、両手の指を合わせてみる。そのとき、自然に指と指とが合わさるところ、そこが「指先」であるという。
 または、壁に指でサラサラと字を書くようなマネをするときに常に触れているところが「指先」であるともいう。さらには、携帯電話のボタンやパソコンのキーボードを押すときに触れているところが、「指先」であるという(甲野、甲野 2016)。実際、壁に指でサラサラ書くマネをしてみると、なるほど、ここか、とあらためて「指先」というところに気がつく。そういや、今まさにこの原稿をパソコンのキーボードでパコパコと打っているのだが、キーボードのボタンを押すときに触れているところがまさに「指先」なのであったことよ。

 

(8)レッツ、ボディふぃ~る!「指先」を合わせると姿勢がブレない!?

 
 こうやって「指先」をよくよくみてみると、一言で「指先」とか「指の先」と言っても、「つめの先」であったり、「指の腹」であったりと、いくつかの部分に分かれているのだなあ、と感じ入っている次第である。
 さらに陽紀さんは、立っている姿勢で腕をあげ、両手の十本の指を軽く合わせてみてみましょう、その状態で相手に肩のあたりを押してもらい、そのときの体の安定感をたしかめてみてみましょう、というボディワークをすすめている(甲野、甲野 2016)。
 そのさい、「指の腹」を合わせたときと、「指の先端(つめの先)」を合わせた場合、そして「指先」を合わせたとき、という三つのパターンのそれぞれの違いについて、実際にたしかめていることをすすめている。
 わたしもまた実際にためしてみると、「指の腹」を合わせたときと、「指の先端(つめの先)」を合わせた場合だと、相手に体を押されるとグラついてしまう。立っている姿勢がブレブレにブレてしまう。だが、「指先」を合わせた状態の姿勢で相手に押されても、グラつくことはないというボディふぃ~るがえられる。
 「指の腹」ではなく、「指の先端(つめの先)」でもなく、「指先」に気にかける、という〈身遣い〉をするだけで、立つ姿勢がブレなくなるのは、とても不思議なボディふぃ~るではある。

 

(9)レッツ、ボディふぃ~る!「指先」に任せた「立つ」と「すわる」

 
 それではつぎにまた陽紀さんがおすすめしている、「指先」に任せた「立つ」と「すわる」という〈身遣い〉をボディふぃ~るしてみたい(甲野、甲野 2016)。
 まず、左手を前ならえのかたちをとって、人さし指をのばして「指先」をつくってみる。そこから、左手の指先が後ろに引かれると、そのうごきにうながされるように、左足が後ろに引かれてゆき、片ひざ立ちの姿勢がおのずとできてゆく(イラストその2(注1))。

イラストその2


 同じように、右手の指先が後ろにひかれると、これまたそのうごきにいざなわれるかのように右足のうごきが引き出され、後ろに引かれてゆき、「すわる」体勢の姿勢がとられてゆく(イラストその3)。

イラストその3


 この、「指先」に任せた「立つ」と「すわる」というのは、「すわろう」という自らの意思が、まるでまったくはたらいていないかのような、おのずと「すわる」姿勢ができてゆくボディふぃ~るがえられる。
 陽紀さん曰く、「指先」を「先導役」にして、「指先のうごきにつられるように」、「立つからすわる」、「すわるから立つ」といううごきを何度かやってみると、態勢を崩しやすいうごき出しもなめらかになる、という。また、このうごきの場合、ついつい「指先だけを動かす」ことに気がむいていきがちなのかもしれないが、うごきの要というのは、「指先を動かすことで全身が連動して動く」ことだと陽紀さんは述べている(甲野、甲野 2016)。

 

(10)「指先」は身体の司令塔!?

 
 陽紀さんは、「指先」だけが持っている力が実はあるのだという。そして、その「指先」だけがもつ力というのは、身体のつながりを引き出すとても大切な役割をもっている、という(甲野、甲野 2014)。
 たとえば、暗闇の中でわたしたちがうごくとき、身体はどこからうごきだすだろうか、と陽紀さんは問いかけている。陽紀さん曰く、真っ暗闇のなかで身体を動かすときに、最も重要な役割を担うのは、「指先」なのだという。
 ためしにわたしも、部屋の中を暗闇にしてみて、身体をうごかしてみてみる。やってみるとわかるのだが、たしかに、真っ暗闇の中で、おそるおそる、まるで「指先」をセンサーのようにして手を出し、「指先」に壁がふれると、まさに手さぐり状態のように、「指先」を壁に触れつづけながら、つたい歩きをするような身のうごかし方になる。もっといえば、足の「指先」もまた、さぐりさぐり床に触れながら、「抜き足、差し足、忍び足」というように、歩みをすすめてゆく感じだ。
 陽紀さんまた曰く、真っ暗闇で身体を動かすときには、「指先」より先にヒジやヒザやアタマのほうが動くということはまずない、というが、まさにそんな感じだ。
 陽紀さんによれば、「指先」が先頭に立って暗闇の中に危険なものがないかを確認し、大丈夫であれば身体は「指先」についてすすんでいき、もし「指先」が尖っているものに触れたりしたときは、手は瞬時に引き戻される。状況を把握するのは、つねに「指先」なのだという。陽紀さんはさらに、そういう意味でいえば、まさに「指先」は「身体の司令塔」なのだ、と言っている。

 

(11)レッツ、ボディふぃ~る!「指先」「末端」に気にかける「ムドラ」

 
 そういえば、わたしがしばらく学んでいる「ヨーガ」をおこなう場合にも、「指先」やからだの「末端」に気にかけるというのは、とても重要な「からだのはたらかせ方」であることを学んだことがある。
 そのなかでも、「ムドラ」というのがある。「ムドラ」とは、サンスクリット語で「手や指でつくるしぐさ、ジェスチャーあるいは姿勢」という意味であるという(類家 2018)。「ムドラ」は、手のひらを合わせたり、指を様々な形(手印)に組んだりするような、手の使い方のことを指しているのだそうだ(類家 2018)。
 また、「ムドラ」というさまざまな指のかたちをつくることで、ヨーガのアーサナ(ポーズ)をとるときや瞑想の際に心を落ち着かせたり、体内のエネルギーを整えるともいわれている(吉田 2020)。例えば、座禅をするときに膝に手を置いたりするが、その形も「ムドラ」の一つであるという。
 さらに、とくに「ムドラ」では、右手指と左手指を組んだり、手指を足指や床や肩においたりして手足をつなぎ合わさせる。不思議なことに、そのような手指の組み合わせをすることで、おのずと骨格の可動域がひろがり、ブレない姿勢でアーサナ(ポーズ)をとることができたりもする(類家 2018)。
 それでは、ここで、「指先」やからだの「末端」に気にかけることで、骨格の可動域を広げる「ヨーガ」の〈身遣い〉を少し取り上げてボディふぃ~る!してみたい。
 まず、さまざまにある「ムドラ」のなかで、「チンムドラ」というのを取り上げてみたい。この「チンムドラ」の手や指のかたちとしては、親指と人さし指の先をあわせて小さな輪っかをつくる。残りの指は、伸ばして手のひらを上に向ける(イラストその4)。

イラストその4


 この「チンムドラ」の「チン(Chin)」とは、「意識」を意味し、「人さし指」は「エゴ(個人の意識)」、「親指」は「自分をとりまく宇宙(志高の意識)」を意味しているという。このふたつを合わせることによって、個人と宇宙をつなぐとされているという(吉田 2020)。
 チンムドラでは、人さし指の爪のあたりを親指の腹につけるのが本来の指の合わせ方であるという。だが、慣れないうちはそれぞれの指先どうしを軽く合わせても良いとされている。指の合わせ方が気になってしまうことで、腕や手に余計な力が入ったり、気が散ったりしないように、やりやすい方法を選ぶとよいという(吉田 2020)。
 この「チンムドラ」をすることで、イラストその5のように、ヨーガの姿勢がブレずに安定するといわれる。

イラストその5


 つぎに、「親指ムドラ」というのも取り上げてみたい。この「親指ムドラ」というのは、親指で組むムドラである。親指をカギのようなかたちにして親指と親指同士を重ね合わせて組み合わせ、左右に引っ張り合わせるようにする(イラストその6)。

イラストその6


 この「親指ムドラ」もまた、からだの「末端」の指と指をつなげ合わせることで、全身の連動性をもたらし、前屈、後屈、左右の曲げ、ひねりの体幹運動がより深くできる。この「親指ムドラ」によっても、からだ「末端(指先)」に気にかけることで、身体の可動域がひろがるボディふぃ~るがえられる。
 たとえば、左右の曲げをしてみる。その曲げも、親指ムドラをしていないとそれほど左右に深く曲がらない。だが、親指ムドラで指と指とを組み合わせるだけで、背中の片側が深くカーブし、きれいなアーチをとって曲げることができる(イラストその7)。

イラストその7


 現代では、「体幹」が大事、とよく言われている。だが、「指先」をはじめ、からだの「末端」や、「末端」に気にかけることで、いろいろさまざまなボディふぃ~るがえられるなあ、と、あいかわらず身動きのしづらい右手の小指をうごかしながら、そう感じるボディふぃ~るだー!なのであった。

 

【注】
(1)以下でわたしが描いているイラストのうち、その2からその7までのイラストは、甲野(2014、2016)と類家(2018)にある写真を参考にして、わたしなりにイラストに描いてみている。

 

【文献】
林久仁則(2022)「『手の内』とは?~小指・薬指に隠されたチカラ」『古武術に学ぶ体の使い方 脱!筋トレ!?いにしえの知恵で暮らしの動作が楽になる』 (「NHK 趣味どきっ!」2022年 2月1日~3月29日Eテレ毎週火曜日放映)NHK出版
甲野善紀、甲野陽紀(2014)『驚くほど日常生活を楽にする 武術&身体術 「カラダの技の活かし方」』山と渓谷社
甲野善紀、甲野陽紀(2016)『甲野善紀と甲野陽紀の不思議なほど日常生活が楽になる身体の使い方』山と渓谷社
類家俊明(2018)『〝手のカタチ〟で身体が変わる!』BABジャパン
吉田加代子(2020)「よくするけれど実は意味を知らなかった…手のポーズ「ムドラ」とは?」ヨガジャーナルオンライン2020.5.29

 

「ボディふぃ~るだー!でぐち」のぷろふぃ~る
 説明しよう。「ボディふぃ~るだー!でぐち」は、自らの身をもってからだを動かし、自らのからだで得られた感触をことばやイラストで描こうとするフィールドワーカーである。「ボディふぃ~るだー!でぐち」がホソボソと活動して、はや20年。一時期その名を封印し、数年前までひっそりとなりをひそめていた。だが、昨今の「鍛える身体」「気張る身体」としての身体観にとらわれた「筋力増強至上主義」的な筋トレブームにモヤモヤしたものを感じはじめた。そこで、あらためて再び密かに「ボディふぃ~るだー!でぐち2号」を名乗り、「からだのはたらかせ方」に気にかける〈身遣い〉のフィールドワークをはじめることとあいなった。「鍛える身体」「気張る身体」としての身体観とは異なる、「気にかける身体」「ゆるま~る身体」としての身体観にもとづいた〈身遣い〉を、さまざまな身体術の達人から学びながらボディふぃ~るし、シノゴノと感じ考えたことをツラツラとことばやイラストで描いてゆきたい。
 (「ボデイふぃ~るだー!でぐち」の本名は、出口泰靖。世を忍ぶ仮の姿は千葉大学文学部教員。専攻は社会学。著書に『あなたを「認知症」と呼ぶ前に』〔生活書院〕など)

 

*この連載は偶数月の月末にアップいたします。