特集1 シノゴノの10年
特集2 ぬすむ、かくす、にげる
支援 Vol.10
創刊から10年。雑誌『支援』はなにを考えようとしてきたのか。
「シノゴノ、ジタバタ」のその歩みを、そして編集委員ひとりひとりの来し方と今をあらためて振り返る、
特集1「シノゴノの10年──『支援』10号、そして次へ」。
十人十色の〈生の技法〉を語るシリーズ特集2の第5弾は「ぬすむ、かくす、にげる」。
10年を振り返りそして次のステップを踏み出す「シノゴノ、ジタバタ」雑誌第10弾!
【目次】
特集1 シノゴノの10年──『支援』10号、そして次へ
ケアできない「原罪」──家事・育児をめぐる煩悶とこの10年 井口高志
社会福祉士とか、実習とか 岩永理恵
おかて──区切ること、有限であること 岡部耕典
「声」をきくことの無理 堅田香緒里
それでも、逃れがたきもの、「家族」 土屋 葉
〝予め、ふせぐ〟ことからのおいてけぼり
──青い空の下で、もれ出ずる〈ウンチ〉とわたしの自己エスノグラフィ 出口泰靖
〈引き継ぎ〉問題──自立生活運動と介助者たちの10年 深田耕一郎
あのころの私に 三井さよ
私が読みたいもの・書きたいこと、立ち止まっていること
──〈現場〉から受けた負債の返済は、まだ難しいけれど 山下幸子
10年──福島でしなかった農作業を見沼田んぼでするということ 髙橋 淳
特集2 ぬすむ、かくす、にげる
【ぬすむ】
波止場の「荷抜き」と寄せ場の「キセル」 原口 剛
ぬすむということ――まるみえのこちらとあちら 橋本久美子
【かくす】
隠すでも、隠さないでもなく――パートナーとの日常生活を通して 吉村さやか
私たちにとっては当たり前の「かくす」ということについて Aさん、Bさん
【にげる】
逃げられる。そう信じるための自由な身体を 北原みのり
生きることの困難さ、生きることの難しさから逃げない 岡部宏生
エッセイ
わたしの大変さがうまく伝わらない理由──バルネラブルな知識の交換のために(8) 飯野由里子
「介護予防」は人の生の〝あおり運転〟になってしまわないか?
──「介護(非)予防(無)運動(未)指導員?」への道すがら 出口泰靖
支援の現場を訪ねて
①ウイズタイム/ウイズタイムハウス(練馬区)──心にげんこつはあるけれど 三井さよ
②トータルサポートたいとう(台東区)──仕事でなく生業として 三井さよ
③NPO法人女性サポートあじーる(Asyl)(札幌市)──支援に「正解」なんてない 堅田香緒里
くまさんのシネマめぐり⑨
ドキュメンタリーの「まなざし」を考える──『ニッポン国 VS 泉南石綿村』 好井裕明
書評
「声を聴く」のではなく──遍在する分解を呼び起こすために
(『分解者たち』猪瀬浩平著、森田友希写真) 井口高志
ブックガイド
ちょっと長めのブックガイド(『ポバティー・サファリ』ダレン・マクガーヴェイ著 他) 岩永理恵
文化としての終末期ケア(『生きられる死』服部洋一著) 田代志門
語りからみえてくる施設の在りよう(『施設とは何か』麦倉泰子著) 土屋 葉
「ふつう」とか「ふつうじゃない」とか(『みえるとか みえないとか』ヨシタケシンスケ・伊藤亜紗著) 土屋 葉
渡辺一史のオネスティ(『なぜ人と人は支え合うのか』渡辺一史著) 深田耕一郎
フェミニストは黙らない、でも、黙ったっていい
(『私たちにはことばが必要だ』イ・ミンギョン著) 堅田香緒里