「生きるに値しない命」を地域と家庭の中に廃棄しては「親(家族)に殺させ」ようとする力動に静かに抗うために

殺す親 殺させられる親

重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行

児玉真美【著】

[定価]   本体2,300円(税別) 

[ISBN]978-4-86500-099-3 C0036
[判型]46並製
[頁数]392頁

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「私がリンゴの木を植えても植えなくても世界は明日滅びるだろう」という明確な認識を持ち、
世界の救いのなさにおののくしかないからこそ、私自身が今日を生きるために、私はリンゴの木を植える──。
透徹した絶望と覚悟を共有する中で、出会い、耳を傾け合い、認め合い、繋がり合うこと。
抗うすべと希望を、その可能性の中に探る。

【目次】


第1部 子どもの医療をめぐる意思決定

第1章 アシュリー事件
 二〇〇六年に世界で起こっていたこと/アシュリー事件/パーソン論/事件をめぐる倫理問題の議論

第2章  「白い人」の不思議な世界の不思議な「コンセント」
 NICUでの障害告知/小児科外来での障害告知/療育センターでの三回目の告知/「白い人」の不思議な世界
 深い溝/不思議なインフォームド・コンセント

第3章 子どもをデザインする親たち
 「子どもをデザインする親たち」/〝科学とテクノで簡単解決〟バンザイ文化/医療化
 遺伝子操作で子どもをデザインする時代/代理母ツーリズム/ラティマー事件
 抱え込み、愛で殺す……という隘路

第4章 ボイタ法
 母子入園/迷い/A先生との出会い/親子の共同作業が起こした奇跡/親と医療の不作為の共謀関係

第2部 「死ぬ・死なせる」をめぐる意思決定

第1章 「死ぬ権利」をめぐる議論
 「死の自己決定権」議論/概況/スイスの自殺ツーリズム/オランダとベルギーで起こっていること
 緩和ケアの一端に位置づけられていく安楽死・医師幇助自殺/対象者の拡大・指標の変容という「すべり坂」
 「障害のある生は生きるに(治療に)値しない」価値観の広がりという「すべり坂」
 代替的自殺手段VSED(自発的飲食停止)という「すべり坂」/「自己決定」原則の形骸化という「すべり坂」
 「死ぬ権利」から「自殺する権利」への変質という「すべり坂」
 POLSTなど医療システム効率化に潜む「すべり坂」
 「死の自己決定」が臓器移植と連結していく「すべり坂」
 政治的キャンペーンが個人と家族の物語を消費する「すべり坂」/家族介護者による「自殺幇助」への寛容

第2章 「無益な治療」論
 ゴンザレス事件/「医学的無益性」とは何か/「無益な治療」論でも対象者が拡大/英国の「無益な治療」論
 植物状態と最小意識状態の人からの栄養と水分の引き上げ/「無益」「潜在的不適切」「分配」

第3章 私たちはどのような存在にされようとしているのか
 マクマス事件/「意味のある人生」って、一体なに?/意思を翻した人たちの「なぜ」
 気持ちも思いも意思も関係性の中で揺らいでいる/贈り贈られるものとしての「尊厳」

第3部 「無益な治療」論を考える

第1章 「無益な治療」論が覆い隠すもの
 決定権の対立としての「無益な治療」論/「医療現場での差別」を覆い隠す「無益な治療」論
 「分配との相互正当化」を覆い隠す「無益な治療」論/医療の不確実性を覆い隠す「無益な治療」論
 家族同意へのプロセスを覆い隠す「無益な治療」論

第2章 日本型「無益な治療」論としての「尊厳死」
 「日本に生まれてよかった」のか?/新生児の「クラス分け」/日本集中治療医学会の調査と懸念
 「神経難病」と「重症心身障害者」ついに名指し/日本型「無益な治療」論としての「尊厳死」

第3章 意思決定の問題として「無益な治療」論を考える
 「対立」の中で家族を傷つけるもの/13/18トリソミーの子どものQOL
 ホームレスの両親が望んだ「あらゆる手段」/医療職と親も関係性の中で揺らいでいる
 医療職と患者の関係性をいかに問い直すか

第4章 「出会い」から意思決定を問い直す
 医療の世界との出会い/トラウマ/シンポジウムにて/いくつかの後日談

第4部 親であることを考える

第1章 強い者としての親
 強い者、支配する者としての母親/「強い者」である自分に気づき、問い直す
 せめて問い返す痛みを手放さないでいたい

第2章 相模原事件
 二〇一六年七月二六日/もうものを言えなくなった/重症心身障害児者のニーズ
 「見えないニーズ」は「ニーズがない」ことになる/地域資源整備と重症児者施設
 「できた」人たちが「できなかった」人に向けるまなざし/事件後に決定的に変わったもの/本当の敵
 重症児者・医療的ケア児者で進む「地域移行」の現実/親たちが老いてなお担っている介護
 似て非なる二つの「地域移行」「共生社会」

第3章 弱い者としての親
 「弱い者としての親」という視点/母親たちが担ってきたもの・今も担っているもの/ある父親の手紙
 親に殺させる社会/「弱さ」を語る言葉で出会い繋がるということ
 「二つのぶつかり合う論点を一体化して深める」

第4章「親を『ケアラー』として支援する」という視点
 ある日思いがけず「障害のある子の親になる」という体験/母親は「療育」機能、「介護」役割でしかない?
 自分で自分を追い詰めていく母親たち/海外のケアラー支援/付録

第5章 親にとっての「親亡き後」問題
 「あの山の向こう」/「もうしてやれないこと」が増えていく/老い、病み、ひとりになっていく親たち
 「親亡き後」と「ピンピンコロリ」/家族をつないでいるのは「役割」ではなく「関係性」
 母親たちは、なぜ、誰に、許してもらわなければならないのか/「一人の人であること」の回復を
 母親たちが「私」を語る言葉を取り戻すということ

最終章 リンゴの木を植える

あとがき