banner
border
新刊案内
NEW!
近刊案内
NEW!
既刊案内
ご購入案内
生活書院とは
お問い合わせ
生活書院ブログ
随時更新
 
 
 
【Web連載】


認知症とともに、よりよく生きる   9

〜ずっと、つきあっていく〜


水谷佳子


「くらしの研究会(注)」では、誰かのひと言から、それに応えるように、参加した人それぞれの考え方、思うこと、疑問、悩みがつながっていきます。「それぞれ」の具体が目の前でどんどん展開されていきます。 お医者さんと、どうつきあうか。薬と、どうつきあうか。くらしの研究会での話題を元に、じっくり、ひとりの人と話し合いたい。通院先は違うけれど、かれこれ4年越しのつきあいになる美穂さんを誘いました。今回は、私たちがよく行く喫茶店で、コーヒーを飲みながら聞いたお話です。

* * * * *

わたし:
    薬のイメージ、薬に対する考え方って
    人それぞれ違うんですよね。
    何が何でも薬だけは飲まない!という人もいれば、
    薬さえ飲んでいれば大丈夫、なんて人もいるけど
    美穂さんは、どう?

美穂さん:
    もともと、子どもの時から薬飲むの苦手なのよね。
    とにかく上手に飲めなかったの。
    特に粉薬なんかは、プーッと吹いたり、
    口に苦いのが残ったりして、泣く泣く飲んでたから、
    大人になってからもずっと、薬飲むのは苦手。

    口の中に薬が残ると、それが溶けてきて
    すごく嫌な味がするじゃない?
    お水ばっかり飲んじゃって、口の中に薬が残っちゃって、
    ちょっとオエッとしながら、
    慌ててお水でもう1回頑張って……ああ、嫌だ!って。

    今は大人なんで、そうは言っても飲んでるわよ。
    まぁ、しょうがないから、仕方なくね。

わたし:
    その……仕方なくっていうのは
    飲みづらいとか苦いって理由のほかに
    薬には頼りたくない気持ちもある?

美穂さん:
    そうね。
    私は血圧の薬を飲んでるけど、
    一般に、食生活とか運動で血圧は下がる、とか
    よく言われるじゃない。
    じゃあ、それをやれば
    血圧の薬は、飲まなくていいんじゃないかって思っちゃう。
    それで、ちょっとやり過ぎちゃったことがあって。

    高血圧には食塩がよくないっていうでしょ。
    一時期、食事をつくるのに
    お塩の量を減らして減らして、減らしすぎちゃった。
    ある時から主人が
    「俺は最近、すごい疲れるよ」って言うようになってね。
    実は私に内緒で、塩あめを買ってなめてたんだって。
    私もね、ちょっと運動しただけで疲れるなって感じてたから
    「あ、やっぱり、その(減塩しすぎた)せいかな」って思って
    元に戻しつつあるんだけどね。

わたし:
    そこまでの減塩生活をしちゃうって……
    その、そこまでして薬を飲みたくないっていうのは
    何でなんですか。
    もし私だったら、食事制限とか運動を頑張らなくても
    薬飲んで血圧下がるんならいいじゃん、
    っていう考えもあるかなと思うんですよね。

美穂さん:
    いや、やっぱり薬は嫌い、嫌いなんでしょうね。

わたし:
    できれば薬を飲みたくない……っていうのは
    抗認知症薬も?

美穂さん:
    ちょっと前に検査をしたとき、かなり成績がよかったのと
    普段の診察のときに、
    こう……私が話してるこの感じを先生が見て、
    「あまり進んでないみたいだから、うーん、薬やめましょうか」
    って言われたんですね。

    私にとっては大事なところだし、微妙な問題だし
    「やめましょうか」って、さらっと言われても
    その場で答えられることじゃないし、
    判断するだけの材料もないじゃない?

    薬を飲んでいるから
    今の状態がキープされている部分もあるだろうし、
    薬を飲まなくなって、状態が悪くなるのも嫌だなって思ったり。
    やっぱり不安じゃない。

    もともと薬は嫌いだけど、
    やみくもに少なけりゃいい、
    飲まなきゃいいってわけじゃないのよ。
    結局、その時は
    「やめちゃうのは心配です」って言って
    量を減らしてもらったのね。

    それでも、不安もあるもの……
    少ないままでいいのかなって。
    前よりも、ゆるやかに悪くなってるのかもしれない、
    だから、元の量飲んでた方がいいのかなーとか。
    たまに、ちょっと、ぼーっとしたり
    疲れて思考がうまく働かない時は
    薬を減らしたせいかしら、とか思っちゃう。

    その判断は、先生と話し合って決めればいいんでしょうけど
    言ったことは聞いてくれて
    薬の量を変えてくれるかもしれないけど
    “ただ、薬の量が変わる”
    だけになっちゃうような気がするんだよね。

わたし:
    量を変えるとか、やめるやめないとか
    その部分のことだけじゃなくて
    いま、適正な量なのか、
    いま、自分の生活の状況はこんな感じだけど
    これでいいのか……っていうような、
    そこに至るまでの過程を話し合いたい感じ?

美穂さん:
    そうそう。
    その場(診察の場)で決めても、迷うんだよね。
    家に帰った後、ネットで調べると色んな情報があるし
    新しい知識なんかをテレビとか誰かに聞いちゃうとね、
    ああ、そうなの?って……。
    何が正しいとか、何を軸に考えればいいかとか、分からないから
    色んな情報に振り回されちゃうし、やっぱり影響されるでしょ。
    それに、自分の状況だって変わっていくわけだし。
    診察の時間以外の、生活の中で、
    新たな疑問がわいたり
    質問したいことが出てきたりするのよ。

わたし:
    薬の知識なら薬剤師さんも詳しいけど
    お医者さんと話したい?

美穂さん:
    薬剤師さんは、効能とかを知ってても、
    処方を変えられるわけじゃないし
    量を調整できるわけじゃないでしょ。
    だから、何か聞いても
    「ああ、そうなんですか」と帰ってくるだけでしょ。
    薬のことは詳しいかもしれないけど
    処方は変えられないもんね。
    飲む飲まないを決める、
    量を決めるのはお医者さんだからね。

わたし:
    お医者さんと話し合いたいっていうのは
    全ての薬について?
    風邪とか下痢とか、その時々でもらう薬もあるじゃないですか。

美穂さん:
    うーん……そうねぇ……
    今は、抗認知症薬についてかな。

    一番心配な病気に対しての薬っていうのは
    やっぱり心配だからちゃんと聞きたい、とか
    説明もちゃんとして欲しい、とか
    ある程度納得してから飲みたい、って思う。
    ただ1回2回お腹こわしたから薬を貰うっていうのとは
    わけが違う。
    私にとっての重みが違うから。

わたし:
    これからの人生を大きく左右するかもしれない、
    そういう病気に対する薬だからこそ、
    美穂さんの暮らしとか、病気との向きあい方とか
    そういうことひっくるめて話し合っていきたい?

美穂さん:
    そりゃそうよね。
    そこまで先生と話せたらいいわよねぇ。
    そうしたら、薬の意味も分かるよね。
    ただ、「飲みなさい」「今まで通りの生活をしなさい」
    って言われても、イマイチぴんとこないのよ。

わたし:
    言葉って難しい。
    「『今まで通りの生活』って言うけど、それってどういうこと?」って
    ずっと、美穂さんが悩んできた話ですよね。

美穂さん:
    だって……そう言われてもね。
    先生はどういう意味で言ってるのかなって。

    例えば、朝起きてご飯食べてっていう意味では
    今まで通りの生活は続けてても
    診断受ければ、精神的にショック受けてるわけで、
    やること考えること、やっぱり診断の影響を受けるよね。
    そうすると、もう、今まで通りの私じゃないし、
    今まで通りの生活とは言えないじゃない。

    だから、先生との差を感じちゃう。
    先生が言ってること、
    結局どうしたらいいのか分からなくなっちゃう。

    でもね、その時には
    「ハイ分かりました」って帰ってきちゃうのよ。
    なにか、言葉だけ聞くと
    「ああ、今まで通りね」って分かったような気がしてね。
    でも、実際生活が始まると、今まで通りとは言えないのよ。

わたし:
    お医者さんに限らないかもしれないですけど
    そういうことまで伝えられる、話せる、話し合えるための
    条件って何なんだろう?

美穂さん:
    私のこと、一般論の「認知症の人」としてじゃなくて
    私と話してて、性格とか、私個人の生活とか、そういうのを……
    私個人を見つめて話をしてくれる先生は信頼できる。

わたし:
    そうか、この病気はこうです、じゃなくて
    美穂さんと話す、美穂さんの生活を知ろうとしてくれる?

美穂さん:
    そうそう。
    やっぱり人との関係ってそうじゃない。
    人を知ろうとして、知っていく過程があって
    信頼関係ができるかもしれない。

    そうしたら、自分が、悪くなっていくのも……
    先生から、「ちょっと進んじゃったね」って言われても
    それを受け入れやすくなるかな……

    「先生、進んじゃったって仰るけど、やっぱりつらいわ……」
    ってひとことね、言えたりとかね。
    「これから、どうしたらいいのかしら……」とかね。

わたし:
    つらいことを言える相手かぁ……
    お医者さんの前では頑張っちゃうんですよね、
    大丈夫ですって。

美穂さん:
    私なんか、つい言っちゃうわよね。
    「お変わりないですか」って言われてもね、
    「ハイ、変わりないです」って。

わたし:
    つらいわって、ひとこと言える人であったらいいですよね。

美穂さん:
    そうね、それは
    私自身のことを見つめてくれている先生だったら言える……

    やっぱり進んでいっちゃったら、つらいって……思うじゃない。
    だから、進んでいっても、一緒に話ができる……
    進んでしまったことについても、
    つらいって気持ち伝えながら、これからのことを一緒に話せる。
    そんな話ができる先生だったら
    最期までみていただけるかなっていう気はするよね。

わたし:
    ずっとつきあっていく病気だからこそ
    ずっとつきあっていく先生……

美穂さん:
    これは認知症に限らず、よね。
* * * * *

──つらいって気持ち伝えながら、これからのことを一緒に話せる
──ずっと、つきあっていく
お医者さんに限らず、そんな人がいるといいよね。お医者さんだからこそ、そんな関係であれたらいいよね。……まだ話し足りないことがあるような気がして、空になったコーヒーカップをいじっていたら、美穂さんが笑いながら言いました。「まだ時間いい?サンドウィッチ頼んでふたりでシェアしない?」「もちろん!何食べるー?」



─────────────────────

*水谷佳子(みずたに・よしこ)さんは、
 のぞみメモリークリニック(東京都三鷹市)の看護師。
 1969年東京都北区生まれ、コンピュータプログラマー、トレーラードライバーなどを経て、2005年に医療法人社団こだま会こだまクリニック入職、2012年からNPO法人認知症当事者の会事務局、2015年にのぞみメモリークリニックに入職されました。
 認知症がある人・ない人がともに「認知症の生きづらさと工夫」を知り、認知症と、どう生きていくかを話し合う「くらしの教室」を開催。「認知症当事者の意見発信の支援」を通じて、「認知症とともに、よりよく生きる」人たちの日々を講演等で伝えながら、「3つの会@web(http://www.3tsu.jp/)」という認知症の人が情報交換出来るウェブサイトの管理運営の支援もされています。

 以下は、このweb連載をはじめるにあたっての、水谷さんからのメッセージです。

認知症に関連する仕事をするようになって、
認知症の生きづらさ、認知症をとりまく様々なこと、
認知症とともに生きることを考えるようになりました。
答えのない問いや悩みの中で希望を探すうち
「認知症を考えることは、自分の生き方を考えることだ」と
思うようになりました。
認知症をきっかけに、「よりよく生きる」ことを一緒に考えていきませんか?


【連載は隔月に1度、偶数月中旬の更新を予定しています】