認知症とともに、よりよく生きる 19
〜環さんとしげるさん〜

 


水谷佳子    


 

その日、環(たまき)さんは予約の時間から20分すぎて、夫のしげるさんの後からクリニックに入ってきました。汗を拭くのもそこそこに、環さんは話し出しました。

* * * * *

環さん:
今日、ここに来る途中でね、
この人だけ信号先に行っちゃって、見えなくなって……
それなのに、
当たり前にわかってるんだろうっていう感じなんですよ。
こっちは、分からないからうろうろしてるんですよ。
だけど、そんなのは何回も来てるんだからわかるだろって。

しげるさん:
だから、わからないんだったらわからないで、
何ていうのかな、一生懸命ついてくるとかなんかすればいいのにさ。

環さん:
一生懸命ですよ!
はっきりわかってたら、さっさと来ますよ!

しげるさん:
まったく……なんだかんだ思い出した感じがするとかで、
変なところへちょろちょろ行くから、結局
ここに来るのが遅くなっちゃって。

わたし:
まぁまぁ、事故とか怪我なく、おふたりで来られてよかったですよ。

環さん:
大体のところはね、分かってるんですよ。
だけど、この人はさっさと行っちゃうし、で、曲がっちゃうでしょ。
目の前を車がだあーっと通ったりしてタイミングが狂っちゃうと
どっちに行くっていうのがわからなくなっちゃうんですよ。

わたし:
後についてればすいすい来れる道でも
信号で離れちゃったり、車が間に入ったりすると
急にひとりで放り出されたみたいな……

環さん:
そうそう、そうそう!
あれっ?あれっ?確か、こっちだったよねって。
で、自分の過去のあれを探っていくんですけど、
それが間違ってたりするとね、
あっちに行ったり、こっちに行ったり……

しげるさん:
そうやって余計なことするから結局時間かかるんじゃないの。

わたし:
その場では、何とかしなきゃって焦りますよね。
しげるさんの後ろ姿が見えなくなっちゃったらね。

環さん:
そう、そう、そう、そう!
あっ、いなくなっちゃったっていう感じで。
自分では、ここの場所は大体わかってるような気がしてるんだけど
前にこの人がいないと、
やっぱり、ちょっと違うな、わからないなって……

しげるさん:
こういうときはどうしたらいいんですかね。
ああ、いいよいいよってニコニコしてりゃいいんですかね。

わたし:
いや、あの~ひとつの提案としてはね
できればしげるさん、
少しだけ後ろの環さんを気にかけてもらえたら……
ついてきてるかなって。
間に別の自転車が入ったら先に行ってもらうとか、
信号のない道を渡るとき
微妙なタイミングで車が来てたらやり過ごすとか、
いまは信号が青でも
環さんが渡るときには点滅しそうかなって思ったら止まるとか。
前にしげるさんが見えていれば、
環さんは後ろをついてくることに専念できると思うんです。

しげるさん:
ああ、そういうことですか。
家からここに来るのは、バスは不便でね、
自転車じゃないと来られないんで。

*****
環さんとしげるさんは学生時代に出会って、文通で遠距離恋愛をはぐくんで、ときには環さんが夜行列車でしげるさんに会いに行ったんだそうです。クリニックでは認知症の話題になることもありますが、それぞれの生き方考え方の話になることもあります。
*****

環さん:
もう、家で悶々としているのは嫌だから、
まず動こうと思って、それで、毎日歩こうと。
せっかくだったら景色のいいところがいいと思ってね。

わたし:
それはそうですよね。いいところあるんですか?

環さん:
家の近くなんですけどね。
公園もあるし、飽きたら川沿いの道もあるんです。
それで、歩くのも楽しいけども、
ちょっとスケッチでもするかと思って。
絵を描くのが趣味ですから。

それこそ、暑中見舞いの葉書に
ちょこっと絵を添えると涼し気でいいかな、
なんて思って(笑)
そういうことをしてるんですよ。

歩いてるといいですよ~。
時間は決めないで、用事を終わらせてからとかお天気次第でね、
何も昼ばっかりじゃなくて、朝は朝焼けがいいし、
夕は夕陽の沈むときもいいし、夜は月とか星とかがきれいで
いろいろ楽しいですよ(笑)。

わたし:
その日その時の風景、いいですよね……
お互い一人の時間も大切にしたいですよね。

環さん:
こういうあれがあったってね、
自分も、人生楽しんで生きなきゃつまらないでしょう、ねぇ?
で、この人は趣味がないんですよ、どういうわけか。

しげるさん:
今度、会社の定年退職者の集まりがあるんですよ。
新宿の演芸場で弁当を食べながら落語を聴くっていうので、
結構参加者が多いらしいんですけども、
行かない?って言われてるんですけど、遠慮してるんですよね。

環さん:
お友だちとか、そういうあれも少ないんですよ、この人は。

しげるさん:
テレビで落語やってると録画して見るんですけどね、
はっはって笑うような、面白いなっていう感じがしないんですよ。
それで、もう、面白くないからブチーンって切って、
録画消しちゃってね(笑)

わたし:
録画したのに?(笑)

しげるさん:
とにかく何とか好きになろうと努力はしてるんですよ。
みんなが面白いって言うんだから、
なんか面白いんじゃないかと思って見るんですけど、
まあ~~、さして面白くない。

環さん:
何でも面白くないんですよ。

しげるさん:
ほんとにつまらないな。
どうやったら「つまる」あれがあるのかね。
こんな人が認知症になったらどうなるんだろうと思ってね。

環さん:
ねえ。まだ私はいろんな好きなものを持ってるからね。
それと、友だちもいっぱいいますからね、
どこどこ行こうって誘いがいっぱい来るんですよ。
だけどこの人は、もう、何も好きじゃないから
ほんとにかわいそうな人だなって。

しげるさん:
とにかく私自身、非常にかわいそうというか、
例えば、お刺身が出た、何が出たっていって、
みんな「美味しいな」って食べるけど、
別にそれを食べたいとも思わないし。
だけど、そういうのが美味しいなと思える楽しみがあるっていうのは
いいことだなと思うんですよ。
いいことだとは思うけど、すごい興味がわくわけでもない(笑)

環さん:
ほんとにこの人、生きてて楽しくないと思いますよ。
私はどちらかっていうと何でも興味を持つから、
いろんな人が誘ってくれて、それで話が合うんですよね。
この人は何も合わないのよ。

しげるさん:
まあ、ほんとにグルメも駄目だし旅行も興味ないし
こんなに面白味がないっていうのは困ったものだなと自分でも思う。
で、何か趣味がある?とかって、よく聞かれるんですけど、
齢七十になってから見つかるっていうもんでもないし。
まあ、すごい探したわけじゃないけども、
生まれてこの方普通に生活をしてきて、
そこそこのいろんな趣味のことが耳に入ってきましたけど
やってみたいとかって思うようなものがあまりないからね。
だから多分、この先もないんじゃないかなと思うの。
さあ、こういう人が認知症でのぞみに来るようになったら、
水谷さんはどうするのかなと思って(笑)。

わたし:
どうするんでしょうね。
でも、しげるさんとしゃべってると面白いんですよね。

しげるさん:
あっ、面白い?

わたし:
うん。

しげるさん:
ああ、それがあったんだね!
(環さんに向かって)あなたもね。

環さん:
(笑)
な~んかよくわからない、この人は(笑)
何なんだろう……私とは全然違う(笑)

しげるさん:
まあ、それで何十年間も続いてるからね。

環さん:
この人は何でも几帳面なんですよ。
昔の話ですけど、手紙出せば必ずすぐに返事がくる。
私なんか、いいかげんにしてるけど…。
それから、食べるものでも、例えば、お寿司っていったって、
いまは、魚だけじゃなくて、肉とかいろんな素材のお寿司があるでしょう。
でもやっぱりこの人は、決まったものしか食べないからね。
だから、こういう人もいるんだな~っていう感じ(笑)
私の場合は、いろんなことやってきて、友だちがいて、
私は人生楽しかったですね。

わたし:
ああ!そうですか。
そういう意味では、しげるさんは人生振り返って……

しげるさん:
いい人生っていうか、いい人生を知らないからね。
だから、「ああ、これが人生だ」と思ってるからね(笑)

わたし:
あっ、「これが人生だ」……、そうか(笑)。

環さん:
こういうものの考え方が、ちょっと変わってますよね(笑)

しげるさん:
あのね、退職してから
高齢者施設でボランティアをやったこともあるんですけど、
まあーー、ほんとにつまらないっていうぐらい、つまらない。

わたし:
ボランティア活動そのものがつまらないってこと?

しげるさん:
いや、もう、ボランティアはボランティアだから、
つまらなくてもいいけども。

わたし:
あ、来てる人たちが楽しそうじゃないっていうこと?

しげるさん:
そう、そう。だから、何しに来てるんだろうって。

環さん:
私は、いろんなところに行っても、結構そこはそこで楽しいんですね。

しげるさん:
まあ~~、ちいちいぱっぱで。
ちいちいぱっぱが好きかどうか知らないけど、
我慢して時間が過ぎるのを待ってるのかね。
こんなふうに話ができるっていう場はまず、ないね。

わたし:
うーん……

しげるさん:
まあ、そんなわけなんです。
ああ、でもこの間録画した歌番組はよかった。
「憧れのハワイ航路」、私が小学生ぐらいだったんじゃないかな。
それで、作詞者はハワイに行ったことがないんですよね。

わたし:
へぇ!そうなんですか。

しげるさん:
だから、もう、空想の中で、
ああ~こうだったらいいな、ああだったらいいなって
それが歌詞になってるって聞いた気がしますよ。

わたし:
じゃあ、ほんとに「憧れの」ハワイ航路だったんですね~

しげるさん:
そう、そう、そう、そう!
あれだって、そうだよ、「汽車の窓からハンケチ振れば」って。
今の磐越西線かなんかのところを通ってた汽車っていうので
こうだったらいいのになっていうことを夢見てつくって。

わたし:
知らなかったです、そうなんだ~面白い!
そういうお話を聞くと、次に聴いたときのイメージというか、
印象がすごい変わりそう。

しげるさん:
それがさ、録画をさ、間違って自分で消しちゃったんですよ。
もう、救いようがない(笑)

* * * * *

クリニックには、認知症がある人が書いた書籍を紹介するコーナーがあります。トイレから戻った環さんが足を止めたので、横に並んで一緒に眺めました。環さんは前を向いたまま言いました。
「認知症ってなんだろう。皆さん、どうしているんだろう。何が不足して、何が生きがいになって、私はこれからちゃんとしていられるんだろうか」
「馬鹿になったと自分でがっかりするけど、脳で何が起きてるのか自分じゃ分からない。出来ないこと頑張っても仕方ないでしょ、それが出来ないから困ってるんだもん」
環さんはこちらに向き直って、更に言葉を重ねました。
「だから、したいこと、するしかない!好きなことやってると、もっとやりたいとか教えてほしいとか(気持ちが)出てくるでしょ、その気持ちを伸ばせばいいんだもの。そうしてる自分が一番楽しいし、それを見てる周りの人が『私もやりたい』ってなるじゃない?」
「この世に生まれてきて、『何していいんだかわかんない』じゃつまらない。私は面白そうなことをやり続けて生きていきたい」

* * * * *

ここで紹介するお話は、「暮らしの中にあるひとりの人」の声をできるだけそのまま伝えることを目指しています。本人の言葉は極力編集していません。また、個人情報に配慮し、実名掲載の承諾を得られた人は実名で、それ以外の人については適宜改変した名前で掲載しています。

─────────────────────

*水谷佳子(みずたに・よしこ)さんは、
のぞみメモリークリニック(東京都三鷹市)の看護師。
1969年東京都北区生まれ、コンピュータプログラマー、トレーラードライバーなどを経て、2005年に医療法人社団こだま会こだまクリニック入職、2012年からNPO法人認知症当事者の会事務局、2015年にのぞみメモリークリニックに入職されました。
認知症がある人・ない人がともに「認知症の生きづらさと工夫」を知り、認知症と、どう生きていくかを話し合う「くらしの教室」を開催。「認知症当事者の意見発信の支援」を通じて、「認知症とともに、よりよく生きる」人たちの日々を講演等で伝えながら、「3つの会@web(http://www.3tsu.jp/)」という認知症の人が情報交換出来るウェブサイトの管理運営の支援もされています。

以下は、このweb連載をはじめるにあたっての、水谷さんからのメッセージです。


認知症に関連する仕事をするようになって、
認知症の生きづらさ、認知症をとりまく様々なこと、
認知症とともに生きることを考えるようになりました。
答えのない問いや悩みの中で希望を探すうち
「認知症を考えることは、自分の生き方を考えることだ」と
思うようになりました。
認知症をきっかけに、「よりよく生きる」ことを一緒に考えていきませんか?

【連載は隔月に1度、偶数月中旬の更新を予定しています】