ボディふぃ~るだー! でぐちの
〈身遣い〉のフィールドワーク、はじめました

 


出口泰靖    


 

第1回 

「きたえる身体」でなく「きにかける身体」へ、「ボディメイク」ではなく「ボディふぃ~る」へ、の巻

 

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(1)〈身遣い〉のフィールドワーク、はじめました。

 

 〈身遣い〉のフィールドワーク、はじめました。
 まるで、中華料理店が、「冷やし中華、はじめました」と看板や旗をかかげているかのようだが、わたしは、この頃、「〈身遣い〉のフィールドワーク」というのに取り組んでいる。
 世の中には、「気遣い」「心遣い」という所作がある。なのに、〈身遣い〉という「からだのはたらかせかた」があまり気にかけられていないのではないだろうか。そんなわたしの素朴な疑問から、この〈身遣い〉という言葉を用いることにしている。ここでいうところの〈身遣い〉というのは、「自らのからだのはたらかせかたに気にかけること」と、ここではとりあえず言っておきたい(注1)。
 今の社会に生きるわたしたちは、「自らのからだのはたらかせかた」にどれほど気にかけているだろうか。どのような〈身遣い〉をしているだろうか。
 たとえば、ときにわたしは、身体障害をもつ友人の身体介助をすることがある。その際、わたしは相手を介助する「自らのからだのはたらかせかた」にどれほど気にかけているだろうか。
 そう省みてみると、わたしは日頃から「自らのからだのはたらかせかた」にそれほど気にかけて暮らしていないことに気づかされる。「自らのからだのはたらかせかた」に気にもとめずに、気にもかけずに、ノホホンと暮らしている自分がいる。
 そんな「自らのからだのはたらかせかた」に気にかけずに暮らしている、わたしのからだを問いなおせないものだろうか。そのために、まずは、さも〝あたりまえ〟であるかのように気にもとめずに気にもかけずにいる「自らのからだのはたらかせかた」を見つめなおし、問いなおしてみたいと思う。
 そこでまず、最初に、なぜわたしが「自らのからだのはたらかせかたに気にかける」という〈身遣い〉のフィールドワークをはじめたのか、その理由を話しておきたい。

 

(2)「け、毛穴がひらいとるがな!」

 

 「じゃあ、いまから、〝フリー〟はじめるか!」
 季節は夏だった。稽古で場所を借りていた蒸し暑い小学校の体育館に、コーチの高らかな声だけが大きく響いた。
 わたしは大学生の時、ある流派の武術の部に入って稽古の日々をおくっていた。
 〝フリー〟というのは、自由に技を繰り出し合う組手のことだ。ただ、競技試合のかたちではないので、相手をなぐったりけったりする寸前で止めるような、いわゆる〝寸止め〟はない。
 ここでの〝フリー〟というのは、貫手(ぬきて)という技で目を突いたり、下段蹴りで金的を蹴り上げたりするのもアリなのだ。つまり、目突きや金的はもちろん、相手を倒すのであれば武器を用いない以外、素手の技であればなんでもあり、というものだ。
 わたしは、大学のOBの先輩と、〝フリー〟をすることになった。その順番がきたとたん、武者震いなのか、自分でも、からだのいたるところが、プルプルと、小刻みにふるえているのがわかった。
 「それでは! はじめぃ!」。コーチの高らかの声がまた響き渡った。
 OBの先輩が、静かに、腰をすぅーと落として、右半身になって構えた。右手は手のひらを上空に向けて柔らかに手首をまわしている。その余裕な構えかたに、わたしはまた恐れをなす。ガッチガチに身構え、両足は体育館の床にはりついてしまったかのように固まった。
 ふと、自分の腕の毛の毛穴という毛穴が、ぶわっ、と開ききっているのが目に入った。思わず、「け、毛穴がひらいとるがな!」と心のなかで叫んでいた。
だが、こんな緊迫した場で、自分の毛穴に見入ってしまうのは、我ながらあまりにもノンキさであるにもほどがある。そんなことに驚いていたところに、OBの先輩はスキあり、とばかりに、わたしの懐に飛び込んできた。
 気がつけばそこからは、掌底突きをあてられたり、スネに下段げりをくらったり、ボッコボッコにやられまくり、見るも無残に倒されてしまっていた。

 

(3)なぐることも、けることも、できひんやん

 

 正直、わたしは、〝フリー〟をやるのがこわかった。でも、この武術の部活をつづけている以上は、イヤでもやらねばならなかった。〝フリー〟の最中、金的をかわした、と思っていたら、部活後、みごとに股間が内出血して腫れあがっていて、しばらくは、股を閉じられずガニ股の姿勢で歩かねばならない、そんなときもあった。
 武術をはじめてから、わたし自身のなかに、「致命的な欠陥」があることに気づかされた。それは、そもそもわたしは、人をなぐることも、たたくことも、けることも、したくない、できない、ということだった。
 思い起こしてみれば、幼い頃から、学校でクラスメイトたちがプロレスごっこをしているのを毛嫌いしていた。なぜ大学生になって今さらのように、人をなぐることも、たたくことも、けることも、したくない、できないということに気づかねばならぬのか。アホちゃうか、自分。
 後輩と〝フリー〟をやるのも、イヤでイヤでしょうがなかった。後輩の手前、かっこ悪いところは見せたくなかった。だが、後輩をなぐることも、けり上げることもしたくはなかった。
 後輩との〝フリー〟の最中、後輩が突いてくるのに対し、体さばきをしながら出した掌底が、後輩の横っ面にピチャリ!とたまたま入ってしまった。そのときわたしは、稽古で技を磨いてきた体さばきや掌底の技がきまったことを素直に喜べばよかったのだろう。
 だが、このときのわたしは、このまま技が決まったことをぬか喜びすることができなかった。むしろ、これをきっかけに技を繰り出すことに快感を覚え、相手を自在にあやつり、相手を即座に倒したり転ばしたりして悦に入ってばかりのごう慢な人間になってしまいそうになることに恐怖を感じた。それは決してしてはならぬ。むやみになぐったり、けったりしてはならぬ。そう自ら肝に銘じようとしている自分がいた。
 だが、人をなぐるのもけるのもできぬくせに、不思議なことに「武術をやめる」ことは考えなかった。

 

(4)〝なべブタの身のこなし〟にあこがれて

 

 なぜわたしは、武術をやめずに続けていたのか。武術の技を身につけてケンカに強くなりたいなど、そんな理由は、はじめからさらさらなかった。そもそも、なぜ、武術をやろうと思い立ったのか。
 そこには、〝なべブタの身のこなし〟へのあこがれがあった。
 ひとり囲炉裏で暖をとる老人。そこに、背後から忍び寄る殺気。その気配を感じた老人、相手の振り下ろした刀をとっさにサッと「なべブタ」で受けとめる。
 剣術の達人である塚原卜伝が囲炉裏にあたっている時、まだ若かりし修行の身の宮本武蔵が刀で試合を挑もうとする。それを、卜伝がとっさに囲炉裏に架けてあった鍋の蓋で受け止めた、という逸話である。
 実際のところ、1571年に亡くなっている塚原卜伝と1584年生まれの宮本武蔵が剣を交えることすら有り得ない話らしいのだが。
 その頃のわたしは、人の気配をいち早く察知したり殺気を感じて身をかわすというような、そんな〝なべブタの身のこなし〟を身につけたかったのだろうか。京都の五条の大橋で、弁慶がくり出してくる薙刀を、ひらりひらりとかわしていく牛若丸のように、「身のこなし」がすぐれた人になりたかったのだろうか。
 なぐることも、けることもできないくせに、「武術の達人」のような身のこなしを身につけたいなんて、なんともいいかげんで不純な動機なのだろう。われながら自分の浅はかさにあきれる。わたしという人間はなんとも「都合のいい達人」になりたかったのであろうことか。

 

(5)「きたえる身体」の限界

 

 大学1年の夏に部の合宿があった。夏合宿では、寝泊まりしていた民宿近くの公民館を借りて、ひたすら一日中稽古三昧だった。朝昼夕の食事とお風呂の時間以外、ほとんど稽古しかやらなかった。「突き百回」「蹴り百回」などのノルマをこなさねばならない、まさに稽古漬けの日々が続くと、階段の上り下りもおぼつかないほどの筋肉痛に見舞われた。
 そして、ついに、わたしのからだは悲鳴を上げてしまった。「回し蹴り」を何十回もおこなう稽古をしている最中、疲労困憊の状態で、ヘンな感じでフラフラになりながら足をまわし続けてしまったためなのだろうか。右足側の股関節が亜脱臼のような状態をおこしてしまった。外側から見ても、太ももから足のつけねまでがパンパンに腫れあがってしまっていた。
 合宿後、まだ体が若かったせいもあるのか、さらなる稽古で体を鍛えまくったせいもあるのか、股関節の痛みはとくにあらわれずにいた。股関節がときに痛み出してきても、稽古を積み重ねることで、ごまかしごまかしやりすごしてきた。
 しかし、なんということであろうか、その古キズが十数年もたった頃になって、まるで封印がとけた妖怪のごとく、「腰痛」というかたちでわたしのからだを容赦なく攻め立ててきた。
 大学時代は、「突き百回」とか、「蹴り百回」という形式の稽古をするような、ただやみくもに、ただただ数をこなすだけの、突き、蹴り、型、組み手の稽古をしてきてしまっていた。わたしはもう、以前のように稽古三昧の日々で体を鍛えて股関節まわりの筋肉をプロテクターのように覆い包むような「きたえる身体」に限界を感じるようになっていた。
 わたしにとって、どのようにからだと向き合って生きていけばいいのか、思い悩みはじめた。

 

(6)「古武術介護」の出合い

 

 股関節の古傷が痛みだし、「きたえる身体」の限界を感じるようになったころ、わたしは「古武術」の身体技法を見つめ直し、そしてその身体技法を応用させた「古武術介護」と出合うことになる。
 「武術研究者」の甲野善紀さんは、古の武術を参考にして常に進化し続ける独自の術理を現代に紹介してきている。彼が提唱している身体技法は、さまざまなスポーツや楽器演奏、そして介護などに応用されて注目を集めてきた。
 そして、甲野さんが提唱した身体技法を介護技術に応用させ、さらに独自の身体技法を編み出している人に、介護福祉士で理学療法士でもある岡田慎一郎さんがいる。
 介護の現場では、「体力や筋力がないと介護ができない」という身体のとらえかたが、いまだに主流となっている。そのため、「介護しても腰痛にならないような身体」をつくろうと、筋力トレなどで筋力をアップさせるような腰痛予防の体操などが出まわっている。そんななか、甲野さんや岡田さんは、そのような筋力をつける「きたえる身体」のとらえかたに疑問を投げかけている。
 甲野さんによると、古武術の身体技法というのは、単に「筋肉を鍛えて身体を丈夫にする」といったことではなく、例えば、すぐ働いてしまう腕を特殊な手指の使い方で封じておき、それによって背中や腰といった、より大きな力を持っている部位を活かすようにする技術などが説かれているという(甲野 2016)。
 岡田さんもまた、古武術的な発想の大きな特徴は、ともかく筋力をつけたり筋力をアップさせたりするのではなく、「もともとあったのに気づかなかったチカラ」という身体の使い方、チカラの生み出し方を工夫する、という(岡田 2006)。

 

(7)「キツネさんの手」

 

 たとえば、岡田さんが提唱している身体技法のひとつに、「キツネさんの手」というのがある(注2)。
 後ろから立っている人を抱きかかえ上げる場合、何も考えずやると、腕をまわしてギュウッと握ってしまいがちになる。このかかえ方だと腕に力が入り、かなり筋力をつかう。また、相手が重いと、かなりキツい。
 そこで、岡田さんは、古武術的な身体技法の工夫をひとさじ加える。それは、「両手をぐっと握る」のではなく、両手の中指と薬指で「キツネさんの手」をつくり、それを互いにひっかけて組み、そのまま腕には力を入れずに相手の身体を自分の身体に乗せるように抱え上げる。
 常識的には、「力を入れて握る」方法がしっかりと抱きかかえられることができると思い込んでしまう。しかしながら、「キツネさんの手」をつくるほうが、相手の身体を楽に抱きかかえることができる。実際にわたしも「キツネさんの手」をためしてみると、抱き上げる際に腕に力を込めることなく、ヒョイと抱き上げることができた(一つ目のイラスト参照(注3))。


 甲野さんは、従来の抱きかかえる方法というのは、相手を持ち上げようとする働きに「手を含めた腕が出しゃばり」になってしまうため、大きな力が出てこないのだと指摘する。そのため、出しゃばって働いてしまう腕を特殊な手指の使い方で封じ、それによって背中や腰といった、より大きな力を持っている部位を活かすことができるのだという(甲野 2016)。
 岡田さんの方で提案している「キツネさんの手」という〈身遣い〉もまた、より大きな力を持っている部位を活かすようにするため、手と腕の「出しゃばり」をなくし黙らせ、あえて働かせないようにするための身体技法であるのではないだろうか。そして、岡田さんが言うような、「もともとあったのに気づかなかったチカラ」という「からだのはたらかせかた」でもあるともいえるのだろう。

 

(8)「きたえる身体」にとりつかれていた!?

 

 甲野さんは、もともと武術の稽古というのは、「動きの質的転換(甲野 2016)」をさがしもとめるセンスを養うことであると言う。そして、「きたえる身体」に対して以下のように述べる。

私が武術の稽古においても、「人が十回やれば自分は三十回やる」といった、誰にでも分かりやすい単純な努力に疑問を呈するのは、このセンスがそうした単純な反復稽古的努力では決して養われないと思うからなのです。/本当に身につく、役に立つ稽古やトレーニングは、夢中になってやった結果としての数稽古であり、意識してノルマとして課す猛稽古、数稽古は、もちろんそれなりの成果は得られるでしょうが、センスそのものを養うかどうかは、極めて疑問と言わざるを得ません。(甲野 2016)

 こうしてみると、大学生の頃のわたしは、ノルマをこなすだけの反復稽古や数稽古ばかりしてきたのだろうか。からだを鍛え上げ、筋肉をつけ、筋力をアップさせるような「きたえる身体」ということばかりをめざしてきたのだろうか(だが、わたしが教わったコーチからは、一つひとつの技の意味について、とても詳しく手解きを受けた。そのことについては、二回目以降の原稿で描いてみたい)。
 そうではなく、技のひとつひとつを取り上げて吟味し、このからだの身のこなしの〈身遣い〉にはどういうはたらきがあり、どのような意味があり、日頃の暮らしにどう活かせるのか、とことん吟味していけばよかったのではないか、とつくづく悔いがのこる。
 まるでわたしは、「キツネつき」にあったかのように妙な「武術の達人」にあこがれ、「きたえる身体」にとりつかれていたのだろうか(2つめのイラスト参照)。

 

(9)「ボディメイク」ではなく「ボディふぃ~る」へ、「きたえる身体」ではなく「きにかける身体」へ

 

 昨今の世の中では、「筋肉」「筋トレ」ブームのようである。「美ボディ」を手にいれようと「ボディメイク」という名のもとで、体を鍛え上げて筋肉をつけるような「きたえる身体」としての「からだのとらえ方」が花盛りのようだ。
 だが、「きたえる身体」としてひたすら「ボディメイク」するのではなく、「きにかける身体」として「からだのはたらかせかた」に気にかけ、「ボディふぃ~る」していく道をさぐっていきたい。つまりは、「からだのはたらかせかた」ひとつひとつを取り上げて吟味し、このからだの身のこなしの〈身遣い〉にはどういうはたらきがあり、どのような意味があり、日頃の暮らしにどう活かせるのか、からだの感触(ボディふぃ~る)をとことんさぐりつかみとっていきたい。
 そこで、ここでは、ひたすら「きたえる身体」へ向かおうとしている現代社会の身体観を問いなおしたい。そして、その身体観を問いなおし、「きにかける身体」として「からだのはたらかせかた」に気にかけ新たな身体術を編み出している人たちの〈身遣い〉をとりあげてみたい。
 そして、わたしも「ボディふぃ~るだー!」として(ボディビルダーではない)、実際に自身のからだを用い、自らのからだを動かしながら、わたし自身の「からだのはたらかせ方」を吟味し、その〈身遣い〉に気にかけて(ボディふぃ~るして)いく。
 〈身遣い〉を自らのからだでこころみ、ためしながら、そこで感じた(ボディふぃ~るした)ことを、たどたどしくなるかもしれないが、シノゴノ悩み、クヨクヨ迷いつつも、ツラツラと描き書いてみたいと思う。


(1)〈身遣い〉という語は、武術や修験道など古来の身体術について語られる際にはよく用いられている。
(2)「キツネさんの手」は岡田さんが用いている名称である。同じ動きで甲野さんによる当時の名称では「折れ紅葉」というものになるという。
(3)「キツネさんの手」のイラストは、岡田さんの本(岡田 2006)にある図やイラストや写真などを参考にして、わたしなりに描いてみた。

文献
甲野善紀 2016 『できない理由は、その頑張りと努力にあった 武術の稽古で開けた発想』PHP研究所
岡田慎一郎 2006 『古武術介護入門』医学書院

 

「ボディふぃ~るだー!でぐち」のぷろふぃ~る
 説明しよう。「ボディふぃ~るだー!でぐち」は、自らの身をもってからだを動かし、自らのからだで得られた感触をことばやイラストで描こうとするフィールドワーカーである。「ボディふぃ~るだー!でぐち」がホソボソと活動して、はや20年。一時期その名を封印し、数年前までひっそりとなりをひそめていた。だが、昨今の「鍛える身体」「気張る身体」としての身体観にとらわれた「筋力増強至上主義」的な筋トレブームにモヤモヤしたものを感じはじめた。そこで、あらためて再び密かに「ボディふぃ~るだー!でぐち2号」を名乗り、「からだのはたらかせ方」に気にかける〈身遣い〉のフィールドワークをはじめることとあいなった。「鍛える身体」「気張る身体」としての身体観とは異なる、「気にかける身体」「ゆるま~る身体」としての身体観にもとづいた〈身遣い〉を、さまざまな身体術の達人から学びながらボディふぃ~るし、シノゴノと感じ考えたことをツラツラとことばやイラストで描いてゆきたい。
 (「ボデイふぃ~るだー!でぐち」の本名は、出口泰靖。世を忍ぶ仮の姿は千葉大学文学部教員。専攻は社会学。著書に『あなたを「認知症」と呼ぶ前に』〔生活書院〕など)

 

*この連載は偶数月の月末にアップいたします。