ボディふぃ~るだー! でぐちの
〈身遣い〉のフィールドワーク、はじめました〈12〉

出口泰靖    


 

第12回 

「股関節」に気にかけ、入れ込んで の巻

 

***************

 

(1)床中心の生活で、かえって痛めた腰らしきところ

 

 前回の連載で、わたしの〝腰痛〟について少しお話しをした。この、わたしの腰らしきところの痛みをやわらげるため、こころみたことがある。それは、「床を中心にした生活」をしてみることであった。
 というのも、わたしがもっている腰らしきところの痛みというのは、イスにすわりつづけることからくるものではないか?と、思い込みに近いような勝手な解釈をしたからである。床中心の生活をしたならば、腰らしきところに負担をかけることは少なくなるのでは?と、これまた自分勝手な解釈をしたわけである。
 そこで、自分の職場や宿舎の部屋におけるイスはもちろん、テーブルや机もとっぱらい、畳や床に文机がわりのこたつ机を置き、床にすわる生活というものに切り替えてみた。また、便所も和式便器を主に用いて、しゃがんで用を足してみた。そして、寝るときもベッドではなく、畳の上にフトンをしいて寝る。そんな、「床を中心にした生活」なるものに切り替えてみたのである。
 ところが、しばらくすると、かえって腰らしきところをさらに痛めることが、ときおり、いや、多々あった。痛めた腰らしきところをさすりながら、これはどうしたもんじゃろうのー、としばらく自問自答していた。
 考えてみたところ、どうやら、床から立ち上がるときや、床にすわるときの、わたし自身の体の動き自体に難があるらしかった。その動きから、ぎゃくに腰らしきところに負荷がかかってしまい、痛めてしまったのでは、と思うようになった。

 

(2)「床中心の生活」にするだけでは、腰らしきところの痛みはやわらげない?――「お腹曲げ」「ひざ曲げ」中心のうごきがアカンかったのか?

 

 これはおそらく、前回の連載でも取り上げたように、「お腹曲げ」と「ひざ曲げ」で立ったりすわったりしたことからくるものでなかったかと思う。床からの立ち上がり方や床へのすわり方も、からだを「いためない」、からだが「つかれない」ような「からだのはたらかせ方」があるはずだった。だがしかし、ふりかえってみれば、わたしの場合、たとえば床にすわるときなど、お腹を中心に曲げ、ひざを中心に曲げ、ドスンとおしりを落としてしまうようなすわり方をしていたように思う。床から立ち上がるときもまた、ほとんど「お腹曲げ、ひざ曲げ」中心の動きしかしてなかった。
 それらに気づかず、「からだのはたらかせ方」に気にかけることなく、やみくもに床から立ったり床にすわったりしてしまい、かえって腰らしきところを痛めてしまっていたのではなかっただろうか。
 ただたんに床中心の生活にしたからといって、わたしの腰らしきところの痛みがやわらぐわけではなかった。ボディふぃ~るだー!なんて名のっておきながら、なんという、浅はかな考えだったか。

 

(3)床からの立ちあがり、床への坐りのポイントは、「股関節」に気にかけること!?

 

 前回の連載でも紹介した岡田慎一郎さんによれば、床中心の「和式の生活」をすること自体でからだの動きがよくなるわけではないと、述べている(岡田 2015)。また、岡田さん曰く、和式生活をおこなっているにもかかわらず、体を痛める人も少なくない、と言うではないか。まさに、このわたしのことではあるまいか。
 ただ、床中心の「和式生活」をしてきた古の人たちの「からだのはたらかせ方」、〈身遣い〉をシッカリとおさえておけば、からだを痛めることはないし、からだが疲れることもない、と岡田さんは言っている。
 それでは、たとえば具体的に床からの立ち上がりや床への坐りにおいて、「ひざ曲げ」中心にならないような、「お腹から曲げ」ないような、からだを「いためない」、「つかれない」ような〈身遣い〉というのはどういう「からだのはたらかせ方」なのだろうか。
 その〈身遣い〉のポイントとなるのが、「股関節」だという。
 前回、岡田さんの「ヤンキー坐り」という「しゃがみ姿勢」を紹介した。そして、その応用として、日常の暮らしのなかで「ヤンキー坐り」を取り入れるのに最適なものの一つとして、「草取り」を取り上げた(岡田 2015)。
 前回も紹介したように、「草取り」におけるしゃがみ方の〈身遣い〉としては、お腹を中心に曲げることなく、ひざを中心に曲げることなく、「股関節」を気にかけながら骨盤と腰骨はまっすぐにし、「股関節」からしゃがむのがコツというものであった。

 

(4)「ひざ曲げ」中心ですんでしまってる、なおかつ「股関節」を使わすにすんでしまってる現代の生活

 

 だが、この「草取り」が、つらかったり、うまく動かせなかったりする人もいる(わたしもまた、そのひとりだ)。その場合、その理由として考えられることとして、岡田さんは「ひざ関節中心に動く」というクセがついているのでは、と指摘している。
 そして、「ひざ関節中心に動く」というクセがついてしまう背景にあるものの一つとして、現代における「イスによる立ちすわり」という生活スタイルにあるのでは、とも岡田さんは指摘している(岡田 2015)。この「イスによる立ちすわり」という「洋式」的な生活スタイルが、「ひざ曲げ」中心の立ち座り動作だけですませてしまっているというのだ。
 さらにいえば、その「イスによる立ちすわり」という「洋式」的な生活スタイルは、「股関節」をあまり使わずにいられるのだともいう。なぜなら、現代における生活の動作はというと、「股関節」を九〇度だけ曲げてさえいれば、ほぼすべての動作が完結することになってしまっているからだ(岡田 2015)。たとえば、イスにすわるとき。またたとえば洋式便座にすわるとき。さらにベッドに寝るとき。それらの暮らしのなかでの動作というのは、「股関節」を九〇度だけ曲げればよい。そんな暮らしの動作のみで完結してしまっている。
 それに対し、「和式」の床中心の生活では、「股関節」を九〇度曲げているだけでは成り立たない。そのなかでも、「股関節」を九〇度曲げているだけではもっとも用が足せないものの一つが、〝排泄の動作〟があるという。というのも、洋式便座であったら「股関節」の角度は九〇度だけで用が足せてしまうにもかかわらず、和式便座にしゃがむには、「股関節」の可動域が一二〇~一三〇度は必要となってしまうからだ。
 このように、和式の床中心の生活ではそのほかにも、床にすわったり、床に寝たり、床から起きたり立ち上がったりと、「股関節」の可動域を、おおいに幅広く使ってゆくことになるという(岡田 2015)。
 しかしながら、えてして、現代の社会においてわたしたちは、「イスによる立ちすわり」という「洋式」的な生活スタイルにどっぷりつかってしまっている。そのために、「ひざ曲げ」中心の立ちすわり動作だけですませられて「ひざ関節中心に動く」というクセがついてしまっている。おまけに「股関節」もあまり使わず、九〇度曲げれば用が足せてしまう生活に甘んじている。ひいては、からだをお腹から折り曲げてしまうような「お腹曲げ」中心の生活動作のクセもついてしまっているのだろう。それらの結果、いまのわたしの腰らしきところの痛みにつながっているのかもしれない。

 

(5)「股関節」に気にかけるには、同時に「つま先」も気にかける――「股関節」に気にかけるポイントは「つま先」にあり?!

 

 先ほど、床からの立ち上がりや床へのすわりで気にかけるのは、「股関節」であるということを紹介した。ただ、「股関節」というのは、なかなか意識もしにくいし、どのように動かせば良いのか、わかりにくい部位でもあるという。このわかりにくい「股関節」をうまく動かすためのポイント、それは「つま先」になるという。「つま先」を意識して体を動かすことで、「股関節」はおのずから適切な動きをし、最終的には腰やひざを含めた下半身全体の連動性を導き出すという(岡田 2021)。
 これまた何度も述べているが前回の連載で、「草取り」にふさわしい「からだのはたらかせ方」を紹介した。とくに、からだを「いためない」、からだが「つかれない」ような〈身遣い〉を紹介した。それは、お腹が曲がっていくようなしゃがみ方ではなく、またひざ中心にして曲がっていくのでもない(岡田2015)。そうではなく、「つま先」を外側に開いてゆくことで「股関節」もつられて開かれてゆき、それにあわせて「股関節」を気にかけながら下半身を床の方へ落としていくような感じである。
 そこで、「つま先」を広げてゆき、骨盤と腰骨を真っ直ぐに保ったまま、しっかりとしゃがんでゆく。すると、お腹から曲がってしまうことはなくなる。そのため、腰にも負担がかかりにくくなるという(岡田2015)。
 のように、「股関節」に気にかけるには、同時に「つま先」も気にかけると良いらしいのだ。「股関節」に気にかけ、「つま先」も気にかけるこの〈身遣い〉は、床からの立ちあがりや、床へのすわりにおけるからだのはたらかせ方にもおおいに用いることができそうだ。

 

(6)レッツ、ボディふぃ~る!!「股関節」と「つま先」に気にかけて床から立ちあがる

 

 それでは、まずは実際に、「お腹中心」に曲げず、「ひざ中心」に曲げず、「股関節」ならびに「つま先」に気にかけて立つ、床からの立ちあがりの〈身遣い〉をボディふぃ~るしてみたい。ここでは、岡田さんが提唱している床からの立ち上がり(岡田 2021)をボディふぃ~るしてみたい。
 えてして、現代人は、立てたひざを中心にして、脚の力でふんばって立ち上がろうとしてしまいがちである。その結果、からだに力が入り、力んでしまい、ひざや腰らしきところに負担がかかり、痛めてしまうという。
 そこで、岡田さんは、「立てた片ひざのつま先を見ながら、股関節を使って立ち上がること」をおすすめしている。
 まず、正坐した姿勢になってみる。正坐の状態では、骨盤と上体が、かかとの上にある。そのため、「つま先」が動かせない。まずはそのことを確認する。
 その姿勢で、「股関節」に気にかけながら、「股関節」からからだを前に傾けてみる。すると、頭の重さでおのずから骨盤が上がってくる。からだの上体が前に傾いてゆくことで、かかとへの重さが減り、「つま先」が動かせるようになる(イラストその1)。

イラスト その1

 そこからさらに頭の重さにひかれるようにからだを前に傾けてゆき、骨盤がかかとから離れたタイミングで、「つま先」で床をほうきで掃くようにして、片ひざを立ててゆく(イラストその2)。立てた片ひざのつま先を見ながら、骨盤をあげていくと、股関節から片足が振り子のように振られ、「つま先」が一歩前に出され、立ちあがってゆくことがボディふぃ~るできる。
 横から見ると、真っ直ぐ真上に立つのではなく、斜めに立っていく感じであるという(岡田 2015)。岡田さんによれば、「飛行機が飛び立つようなイメージ」だという。
 逆に、お腹中心に曲げて、からだを前に傾けてしまうと、骨盤が上がってこない。そのため、どうしても、脚の力で「ふんばって」立ち上がってしまう。これでは、からだに力が入り、力んでしまい、ひざや腰らしきところに負担がかかり、痛めてしまうのもわかる気がする。

イラストその2

 

(7)レッツ、ボディふぃ~る!!「股関節」と「つま先」に気にかけて床にすわる

 

 それではつぎに、「お腹曲げ中心」や「ひざ曲げ中心」にならず、「股関節」や「つま先」に気にかけて床にすわる〈身遣い〉をボディふぃ~るしてみたい。
 これもまた、えてして現代人は、ひざを中心に曲げて、脚の力でふんばって、あと腕の力できばって、体勢を支えながらすわってゆきがちであるという。これもまたその結果、からだに力が入り、力んでしまい、ひざや腰らしきところに負担がかかり、痛めてしまうという。
 そこで、岡田さんは、「つま先を見ながら、股関節とひざを曲げ、上体を前に傾かせてすわること」(岡田 2021)をおすすめしている。
 まず、立つ姿勢から、骨盤と腰骨をまっすぐにして、「股関節」に気にかけながら「股関節」とひざを少しずつ曲げながら上体を前に傾けてゆく。「つま先」を見ながらさらにからだを傾けてゆき、頭と骨盤のバランスが取れたところで、軸足の「つま先」を見たまま、片方のひざを引くことでひざをついてゆく。そして、立てた片ひざの「つま先」が引かれるのを見続けるようにすると、ひざがつき、そのまますわって正坐の姿勢をとってゆく。
 イメージとしては、屏風がたたまれていくような感じで順番にからだを折りたたんでゆきながらすわってゆく感じだという。
 床へのすわりについても、脚力に頼ったすわり方だと、太ももやひざに負担がかかってしまいがちになる(岡田2022)、という。ここで大事なのは、脚の力ではなく、「股関節」から前に傾けてゆくことだという。ポイントは、上半身の前傾と足を引くタイミングを同時におこなうとよいそうだ。
 こうした「股関節」に気にかけ、と同時に「つま先」にも気にかけてゆくようなからだのはたらかせ方の立ちすわりの〈身遣い〉だと、「お腹曲げ」「ひざ曲げ」中心の体の動かし方にならず、脚の筋力にトコトン頼らずにすみそうなボディふぃ~るがえられそうだ。

 

(8)一部分を集中して使いすぎているんじゃないか?ポイントは「全身の連動」――腰やひざの負担を分散させるために「股関節」に気にかけてうごかす

 

 岡田さんによれば、腰痛やひざ痛の原因というのは、「お腹曲げ」や「ひざ曲げ」を「集中的に使っているから」だという(岡田 2021)。岡田さんは、どんなに筋トレで鍛えていても、腰やひざを中心に使えば、やがて負担が集中して痛めることにつながる、という。また、たとえ開脚ができるくらい柔軟性がある人でも、腰やひざを中心に使っていれば、腰もひざも痛めやすくなるという(岡田 2021)。
 現代社会において、わたしたちの体の動きというのは、「ひざ曲げ」中心で、「お腹曲げ」中心と成り果ててしまっている。イスから立ち上がるとき、イスにすわるとき、階段をのぼるとき、などなど、これらの生活動作というのは、「ひざ曲げ」中心におこなってしまっている。また、床に落ちたものを拾うとき、お風呂の掃除をするとき、物を持ったり持ち上げたりするとき、上半身を前に傾けさせ、お腹から曲げてしまうような「お腹曲げ」中心の生活動作をおこなってしまっている。
 そうした日々の暮らしのなかで、腰らしきところやひざに負担がかかり、その負担が腰痛やひざ痛となってあらわれている、というのだ(岡田 2021)。
 また、わたしたち現代人は、腰らしきところやひざのような、からだの「部分」のみを集中して使うクセがついてしまっている、と岡田さんはいう。からだの「部分」のみを集中して使うことは、「全身の連動」というものが腰らしきところとひざで止まっているということになるのだという。
 「股関節」を気にかけ、「股関節」がしっかりとうごいてくれるようになれば、腰らしきところで止まっていた動きが上半身に至り、ひざで止まっていた動きも下半身に至るようになり「全身が連動してくる」のだという。(岡田 2021)
 岡田さんは古武術におけるさまざまな〈身遣い〉を応用して、現代の暮らしのなかでさまざまなからだのはたらかせ方を提案している。そのポイントとなるのが、「局所的な動き」をするわたしたち現代人のクセをとりはらい、「全身が連動する」からだのはたらかせ方をおすすめしている。
 岡田さんは、その「全身が連動する」ということについて、次のように述べている。

*****

古武術の体の使い方の特長は、「全身が連動する」ことにあります。全身が連動するとは、体の一部分だけを使うのではなく、「全身がつながって、協力して力を出す」ということです。私たちは、体の一部分だけを使った「局所的な動き」をしやすい傾向にあります。肩こりや腰痛、ひざ痛に苦しむ人はとても多いですが、その原因は肩や腰、ひざを部分的に使っていることにあります。疲れについても同様で、局所的な動きが原因となっているケースが大半です。そこで、古武術式の全身が連動する体の使い方に変えてみるのです。(略)たとえば、腕は背中から意識して動かす。足は股関節を中心に動かす。(岡田 2022)

*****

 「全身が連動する」というからだのはたらかせ方というのは、以前の連載のなかでも、モノを拾うときやモノを持ち上がるときには、腕だけの局所的な動きに頼らず、背中や肩甲骨に気にかける〈身遣い〉について取り上げたことがある。今回の連載で吟味したように、床から立ち上がるとき、床にすわるときにも、脚だけやひざだけの局所的な動きに頼ることなく、「股関節」に気にかけ、なおかつ「つま先」にも気にかけながら、からだをはたらかせる。そして、「股関節」と「つま先」のからだのはたらかせ方に気にかけ、「全身が連動していること」をボディふぃ~るできるようになれれば、と思う。
 そのような〈身遣い〉が日ごろからできるようになれば、腰らしきところやひざなどのからだに無理な負担をかけることにもならずにすむのではなかろうか。疲れや痛みもやわらいでゆくのではなかろうか。あらゆる生活動作がラクにおこなえるようになるのではなかろうか。
 わたしもまた、これから、しばらく、まずはじっくりと「股関節」に気にかけ入れ込んでボディふぃ~るしてみよう。そう思うボディふぃ~るだー!なのであった。(そいでもって、まだもうちょいしばらく連載は続くのでもあった。)

 

【文献】
岡田慎一郎 2015 『体の使い方を変えればこんなに疲れない! 体力&筋力がなくても大丈夫!!』SHC
岡田慎一郎 2017 『40歳からの不調がみるみる良くなる体の使い方』SHC
岡田慎一郎 2021 『腰痛ひざ痛が消える つま先の使い方』産業編集センター
岡田慎一郎 2022 『古武術式 疲れない体の使い方』三笠書房

 

「ボディふぃ~るだー!でぐち」のぷろふぃ~る
 説明しよう。「ボディふぃ~るだー!でぐち」は、自らの身をもってからだを動かし、自らのからだで得られた感触をことばやイラストで描こうとするフィールドワーカーである。「ボディふぃ~るだー!でぐち」がホソボソと活動して、はや20年。一時期その名を封印し、数年前までひっそりとなりをひそめていた。だが、昨今の「鍛える身体」「気張る身体」としての身体観にとらわれた「筋力増強至上主義」的な筋トレブームにモヤモヤしたものを感じはじめた。そこで、あらためて再び密かに「ボディふぃ~るだー!でぐち2号」を名乗り、「からだのはたらかせ方」に気にかける〈身遣い〉のフィールドワークをはじめることとあいなった。「鍛える身体」「気張る身体」としての身体観とは異なる、「気にかける身体」「ゆるま~る身体」としての身体観にもとづいた〈身遣い〉を、さまざまな身体術の達人から学びながらボディふぃ~るし、シノゴノと感じ考えたことをツラツラとことばやイラストで描いてゆきたい。
 (「ボデイふぃ~るだー!でぐち」の本名は、出口泰靖。世を忍ぶ仮の姿は千葉大学文学部教員。専攻は社会学。著書に『あなたを「認知症」と呼ぶ前に』〔生活書院〕など)

 

*この連載は偶数月の月末にアップいたします。