ボディふぃ~るだー! でぐちの
〈身遣い〉のフィールドワーク、はじめました〈16〉

出口泰靖    


 

第16回 

コトバがカラダに、カラダがコトバに響応する!? その1の巻

 

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(1)歯よ、おまえもか!――歯でもさえ力みすぎな、わたしのカラダ

 最近、左下の奥歯がしみるようになった。知覚過敏であるのだろうか?と思い、家の近くのデンタル・クリニックに行って、歯を診てもらった。すると、歯科衛生士さんか
ら、歯をかみしめすぎ、くいしばりすぎじゃないの?と言われたのである。どうやら、わたしもまた年をとったゆえなのか、歯周病のきざしがあるような歯がいくつか出てきているらしい。
 歯周病って、リンゴを丸かじりして「歯ぐきから血が出ませんか?」って昔CMでやっていた、あの、歯周病かいな。そういえば、一時期、歯みがきしていると歯ブラシに血がにじみついていたような。その、歯周病の原因とされるもののひとつとして、「歯を噛みしめること」があるという。言われてみると、日ごろから、わたしは力んで歯を噛みしめ、くいしばることが多いかもしれない。
 というのも、わたしが歯を噛みしめ、くいしばるようになったのはわけがあった。歴史好きのわたしは、高校生の頃、大学受験勉強そっちのけで司馬遼太郎の時代小説を読みふける日々をすごしており、坂本竜馬をはじめ、幕末の志士にどっぷりハマっていた。かれらの写真を眺めては、アゴをひき、口を真一文字にギュッと結んでいる姿にあこがれ、そのマネをして口を真一文字にギュウと結んでいた。そんな〝推し活〟をしているうち、いつの間にか、歯を噛みしめ、くいしばるクセがつくようになったのであろうか。
 ところで、結局のところ、歯医者さんに診てもらっても、左下の奥歯がしみる原因はよくわからなかった。だが、他の歯の歯周病のリスクがあることの原因のひとつとして、歯の噛みしめすぎ、くいしばりすぎ、口元の力みすぎがあったとは。どんだけ、「リキみすぎ」「キバりすぎ」な生活をおくってきたのだろう。そういや、歯科衛生士さんには、歯をみがくときも力を入れすぎています、と言われてしまったっけ。

 

(2)アゴや口元の力みがとれないわたし

 わたしが歯の噛みしめすぎ、くいしばりすぎ、口元の力みすぎであることの証拠として、舌の周囲に歯形がついていることを指摘された。歯科衛生士さんから手鏡を手渡され、自分で自分の舌のまわりを鏡で見てみて、と言われる。
 すると、なんということであろうか。わたしの舌のまわりは、リアス式海岸のようにデコボコしておるではないか。さらによくよく見てみると、そのデコボコは、わたしの歯形になっているではないか。これは、歯をかみしめ、くいしばることで、できるものだという。
歯科衛生士さんが言うことには、噛みしめすぎ、くいしばりすぎをなくすには、意識的に歯と歯のあいだを空いた状態にすればよい、とのことであった。歯科衛生士さんから、ちょっとやってみてもらってもいいですか?と言われ、わたしはやってみようとする。
 だが、日ごろの幕末志士の口元真一文字のクセがぬけないためか、なかなかムツかしい。歯を浮かせるようにすりゃあ、ええんかのー、と口元やアゴをガクガク、モグモグ、モギョモギョしてみる。すると、歯科衛生士さんに業を煮やされたのか、「すぐにできるようになるまで時間がかかりそうなので、しばらく、練習してみてください」と言われ、その日は帰ることとなった。

 

(3)アゴや口元の緊張をゆるめる?魔法のフレーズ!?

 歯のくいしばりすぎや噛みしめすぎをどうときはなったらええんかのー、と悩んでいたところ、アゴや口元の緊張をとるためには〝魔法のフレーズ〟を唱えるといい、ということを伝え聞いた。
 その〝魔法のフレーズ〟とは、「歯ぐきに血液が通い、舌はおもちのようにふっくらしています」というものであった。
 その〝魔法のフレーズ〟の提唱者の大橋しんさんという方は、理学療法士で、アレクサンダー・テクニーク国際認定教師であるという。その大橋さんが言うところによれば、口というのは、無意識に力が入りやすい場所だという(大橋 2021)。ストレスなんかがかかると、知らないうちに歯を食いしばっていたりするのだそうだ。大橋さんによれば、これは口や口の中が緊張している証拠だという。
 「歯ぐきに血液が通い、舌はおもちのようにふっくらしています」という〝フレーズ〟によって、アゴや口元の緊張をとり、口や歯、舌を動かす筋肉の緊張をほぐしてくれ、力みからときはなってくれるので、口の中のスペースが広くなっていくのだという(大橋2021)。このことは、わたしが歯科衛生士さんに言われた「歯と歯のあいだを浮かせる」ということに近いのではないだろうか。

 

(4)コトバによってカラダが響応する!?魔法のフレーズ

 このような〝フレーズ〟を唱えるだけで、そんなにカンタンに口や歯の力みからときはなたれるもんなのだろうか?とわたしは不思議に思った。
だが、大橋さんによれば、この〝フレーズ〟を唱えると、頭の中でイメージが生まれ、そのイメージが、本当にそうであるかのように感じようになるという(大橋 2021)。そういう意味で、この〝フレーズ〟は〝魔法〟なのであろうか。
 そこで大橋さんは、「梅干し」や「レモン」を例えに出している(大橋 2021)。「梅干し」や「レモン」を口に入れるところを思い浮かべる。すると、だ液がおのずと出てくる。わたしも「梅干し」や「レモン」を食べるところをイメージしてみる。するとツバ、いやもとい唾液がジワ~と出てくるボディふぃ~るがえられる。
 実際には、「梅干し」や「レモン」は口の中には入れていない。にもかかわらず、「梅干し」や「レモン」をイメージすることで、スッぱーい、とばかりに、だ液が口の中にあふれてしまう。「梅干し」や「レモン」というコトバから、カラダが響応してしまう。コトバによってカラダも響応する。
 〝魔法のフレーズ〟というのは、そういうコトバの〝魔法を用いて、カラダがカタくなっているところにアプローチしてゆく。そうすることで、気張ったり力んだりして緊張して、カチコチ、ガチガチになっているカラダをゆるめていく手法なのであろう。
 だが、「歯ぐきに血液が通い、舌はおもちのようにふっくらしています」というフレーズを唱えることで、実際にアゴや口元の緊張がとれるものなのであろうか。また、歯型がついてギザギザ、デコボコになったわたしの舌のまわりは、おもちのようにふっくらするのであろうか。
 しばらくの間、〈身遣い〉のフィールドワークの活動の一つとして、わたしは〝魔法のフレーズ〟を唱えて、そのときのカラダをボディふぃ~るする必要がありそうだ

 

(5)背骨はどこまで?――背骨の誤解と思い込み

 またもう一つ、大橋さんが言うことには、わたしたちは「背骨がどこまであるのか、誤解している」と指摘している。
 わたしも含めて、ほとんどの人たちが背骨は「腰から首まで」だと思っている。だが、それは誤解、思い込みだと大橋さんはいう(大橋 2021)。
 それでは、そもそも、背骨というのは、どこからどこまでのことなのであろうか。
大橋さんが言うには、「尾てい骨から〝頭の下半分〟のところまで」(大橋 2021)が背骨だというのだ。これは思ったよりもけっこう長い。
 この〝頭の下半分〟というのは、どのあたりかというと、ほお骨の出っ張りの下、あるいは両方の耳の穴からほっぺたの方向へ水平に4センチくらいの位置から下のことをいうらしい。

 

(6)「姿勢の急所」を〝フンワリ〟〝ユッタリ〟と

 ちなみに、ほお骨の出っ張りの下、あるいは両方の耳の穴からほっぺたの方向へ水平に四センチくらいの位置のことを大橋さんは「姿勢の急所」と呼んでいる(イラストその1、注1)。この「姿勢の急所」というのは、「姿勢にとっての勘所や急所」という意味で、そう呼んでいる(大橋 2021)。

イラストその1

 「姿勢の急所」とは、頭と背骨が接するところであり、専門的には、「頭蓋骨と背骨(頸椎)が接している部分」であるという(大橋 2021)。医学用語では「環椎後頭(かんついこうとう)関節」というらしい(大橋 2021)。
 この「姿勢の急所」が〝フンワリ〟〝ユッタリ〟とユラユラゆらいでいれば、カラダ全体も〝フンワリ〟〝ユッタリ〟とユラユラゆらいでいるそうだ。逆もまたしかりで、カラダ全体が〝フンワリ〟〝ユッタリ〟とユラユラゆらいでいれば、「姿勢の急所」も〝フンワリ〟〝ユッタリ〟とユラユラゆらいでゆくのだという。

 

(7)「背骨が頭を支えている」のではなく、「背骨が頭からブラブラぶら下がっている」!?

 前述したように、背骨は「首から腰まで」と思い込まれているが、実際には、背骨は「『姿勢の急所』から尾てい骨まで」であるという。
 このように、背骨はとても誤解の多い部位だという。
 そのほかにも、もう一つ、背骨は「棒のように固定されたもの」というイメージを持たれがちである。だが、これもまた実は誤ったイメージである、と大橋さんは言っている(大橋 2021)。
 実は、背骨というのは「くさりのように椎骨がつながって、しなやかに動くもの」であるというのだ。本来、背骨は「姿勢の急所」から下に垂れ下がっているのだという。
わたしたちはえてして、「背骨が頭を支えている」と思い込んでいる。実はそうなのではなく、「背骨が頭からブラブラぶら下がっている」のだというのである。
 このように、背骨というのは、本来ならば、「しなやかに動く鎖」のようであるらしい。だが、わたしたちは「背骨が頭を支えている」と思い込んでしまっているため、背骨そして首まわりの筋肉でガッチリと固定させてしまっているのだという。
 そこで、本来の背骨を取り戻すための〝魔法のフレーズ〟が、「背骨が鎖のように揺れています」というコトバである。「背骨は鎖」とイメージしてみるのだそうだ(イラストその2)。

イラストその2

 この「背骨が頭からブラブラぶら下がっている」というボディふぃ~るも、なかなかつかみとるには時間がかかりそうだ。これもまたしばらくの間、〈身遣い〉のフィールドワークの活動の一つとして、「背骨が鎖のように揺れています」という〝魔法のフレーズ〟を唱えながら、そのときのからだをボディふぃ~るする必要がありそうだ。

 

(8)頭の上半分は〝フンワリ〟〝ユッタリ〟とプカプカ浮かんでいる!?

 大橋さんは、「頭」についても、こう言っている。

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そもそも、頭部は知らず知らずのうちに緊張させやすい部位です。悩みごとや考えごとがあったり、嫌だなと思うことに遭遇したときに、眉間にしわを寄せて頭を緊張させてしまう。歯をくいしばって、ぐったりと疲れてしまう。みなさんも身に覚えがあるのではないでしょうか(大橋 2021)。。

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 その通りだ。わたしも、クヨクヨと、モンモンと、小さなコトから悩んだり考え込んだりしてばかりである。先ほども述べたように、歯をくいしばり、噛みしめすぎてばかりだ。そんな、気張ってばかり、力んでばかりの暮らしをしていると、頭や首を緊張させてしまい、ガッチガチに固まってしまっているのであろう。
 大橋さんによると、人間の頭というのは、体重の十%ほどの重量があるという。たとえば、体重が五十キロの人であるのなら、頭の重さは約五キロになる。これは、けっこう、かなり重たい。
 大橋さんが言うには、その重たい頭をなぜ支えきれないのかというと、首や背中の「筋肉」で頭を固定して支えようとするからだというのだ(イラストその3)。意外なことのようなのだが、かなり重たい頭を「筋肉」で固定して支えきることはできないのだという(大橋 2021)。

イラストその3

 大橋さん曰く、背骨がブラブラとぶら下がっているように、頭も本来はフワフワ、プカプカ浮いているものなのだという。本来はフワフワと浮かんでいる頭を、これまた首の筋肉をガッチリとかためて固定させてしまっているのだそうだ。
 じゃあ、頭をフワフワ、プカプカ浮いている感じにするためには、どうすればよいというのだろうか。
 そこで大橋さんは、「頭の中で小舟が静かに揺れています」という、これまた別の〝魔法のフレーズ〟を編み出している。そのフレーズを唱えて、背骨や「姿勢の急所」の上に頭をフワっとのせるのだという(大橋 2021)。
 この、「頭の中で小舟が静かに揺れています」というフレーズを唱えながら、頭の中に水が広がり、頭と背骨が接する「姿勢の急所」に水面が広がっている様子をイメージしてみる。加えて、その水面に小舟がユラユラ、プカプカと浮かんでいるのをイメージする。
 頭の上半分には小舟が浮かんでいて、ユラユラとさざ波がゆれている。頭がプカプカと浮かんだような心地になる。すると、おのずと首の筋肉の緊張や力みがゆるんでゆく。そして、頭の重さがときはなたれ、頭が〝フンワリ〟〝ユッタリ〟と背骨にのっかるようになるのだという(イラストその4)。

イラストその4

 ちなみに、「背骨が鎖のように揺れています」と「頭の中で小舟が静かに揺れています」といったフレーズは、慣れるまでは指先で「姿勢の急所」を軽く押さえたまま唱えることを大橋さんはおすすめしている。人さし指と中指、そして薬指の三本の指先で軽く「姿勢の急所」の位置を押さえてみる。そして、そのままの状態で〝魔法のフレーズ〟を唱えてみるのだそうだ。

 

(9)「ガンバる」「キバる」「リキむ」ことによる「筋緊張」をとりはらってゆく

 大橋さんの専門でもある「アレクサンダー・テクニーク」というのは、「ガンバる」「キバる」「リキむ」ことによる筋肉の緊張、すなわち「筋緊張」をとりはらってゆくアプローチであるのだという(大橋 2021)。
 とくにアレクサンダー・テクニークというのは、「しようとしていないのに、無意識にしてしまっていること」をやめることで、「筋肉の緊張」すなわち「筋緊張」から解放していこう、というアプローチなのだそうだ(大橋 2021)。
 大橋さんによれば、わたしたちは誰もが、自ら気づいていないところで、自らのクセに対してある特定の筋肉を緊張させているという(大橋 2021)。そのクセというのは、たとえば、ソファでくつろいでいる、と自分で思っていたとしても、自らの体の姿勢のクセから腰の筋肉や背中の筋肉を緊張させてしまっている、というものだという(大橋 2021)。
 また、精神的な要因によって、「筋緊張」を生じてしまう場合もあるという。たとえば、しつけの厳しい父親に育てられた人が、社会に出てから「父親と似たタイプの人」を前にすると、無意識に筋肉を緊張させてしまうことがあるのだそうだ(大橋 2021)。
 さらにほかにも、異性と話をする場面になると身構えてしまったり、地位や身分の高い人と話をしなければならない場面に立つと緊張して身をかがめてしまったり、といったクセがついている場合もあるという(大橋 2021)。

 

(10)筋肉が緊張する「筋緊張」のわけ――海でおぼれかけたときと似てる!?

 それでは、なぜわたしたちは、無意識に筋肉を緊張させてしまうのであろうか。
 大橋さんによれば、わたしたちは不安やプレッシャーを感じてしまうと、その不安やプレッシャーから生じる不安定さを嫌って、なんとか安定させようとするあまり、かえって筋肉を緊張させてしまうのだそうだ(大橋 2021)。
 これは、海でおぼれかけたときに似ているのだという。「ヤバい! おぼれてしまう!」と思ったとき、力んでジタバタしがちである。すると、実際のところ、体はかえってブクブクと沈んでしまったり、おまけにジタバタしてしまうことで体力を消耗しまう。結局、おぼれてしまう。ガンバればガンバるほど、事態は悪い方向へ、いってしまう。だが、ジタバタともがくのをやめ、体の力を抜いてプカプカと体を水面にゆだねて浮かばせてみると、おぼれることはないのでは、と大橋さんは言っている(大橋 2021)。
 ただし、わたしも大いにそうであるのだが、わたしたちは重大な事態にせまられたときほど、ガッチガチに緊張してしまいがちである。そういう体のクセをときはらうためには、どうしたらいいのであろうか。
 それこそ先ほど〝魔法のフレーズ〟で取り上げたように、今までのわたしたちの「思い込み」をとりはらって、からだの考え方、とらえ方を変えなければならない、と大橋さんは言う(大橋 2021)。
 具体的には、「姿勢をよくしたいときほど、力をぬいていく」「不安やプレッシャーを感じたときほど、力をぬいていく」といった考え方やとらえ方にからだを変えてゆくのだそうだ。これは、ふだんからわたしたちがやっていることの「逆」だという(大橋 2021)。
 というのは、わたしたちは「姿勢をよくしなさない」と言われたら、ついつい、力を入れて、力んで、気張って、胸を前に出してピンとはってしまう。プレッシャーがかかったりピンチになったりすると、体をガッチガチにかためてしまって身がまえてしまう。その逆であることの「力をぬく」。そうしたらよいのだと大橋さんは言っている(大橋 2021)。

 

(11)「力をぬく」ためには「ゆらぎ」!?――フンワリ、ユッタリ、ユラユラとゆらぐ!?

 だがしかし、これまたわたしもそうなのでが、「力をぬけばよい」と言われても、実のところ、具体的にはどーすれりゃいいのさ?と思う。また、力をぬこう、ぬこうとすれればするほど、かえって緊張してしまい、ガンバって、キバって、力んじゃったりしてしまいそうなので、これはこれでまた、どーすれりゃいいのさ?とも思う。
 ドント、ウォーリー。安心してください。大丈夫です、力はぬけられますよ。と、大橋さんは言う。大橋さんは〝魔法のフレーズ〟と同じように、だれもがカンタンに力をぬくことができるイメージを提案している。
 それは、「ゆらぎ」であるという。「ゆらぎ」は「こりかたまる」とは正反対のことであるという(大橋 2021)。その流れに身をゆだね、波間をユラユラと漂うかのようにすれば、ムダな力がとれていき、カラダが緊張からときはなたれてゆくという。
 大橋さんは具体例として、バランスボールを頭に思い浮かべてみるとよい、という(大橋2021)。丸いバランスボールに腰を下ろすと、前後左右にユラユラとカラダがビミョ~にゆれて、ゆらいでゆく。カラダがゆらいでいるとき、カラダを緊張させることはできない。筋肉をかためて姿勢を保つことが、できなくなってしまうからだという(大橋 2021)。
 すると、その不安定さの中でバランスを取ろうとして、カラダは背骨で姿勢をキープしようとするのだという。姿勢にゆらぎがあると、姿勢を「骨で立てる」ことができるようになるのだそうだ(大橋 2021)。
 骨でカラダを支えることができると、外側の筋肉でカラダを支える必要がなくなるので、疲れることもないという。「疲れにくい」姿勢には必ずゆらぎがあり、骨で立っている「体の芯の強さ」があるのだという。そこには、「ガンバり」や「リキみ」、そしてムダなキンチョーはないのだというのだ(大橋 2021)。
 大橋さん曰く、「ゆらぎ」というコトバには、迷いや動揺が生じたことを意味する「心がゆらぐ」であったり、中心的な支柱が危うくなっていることを意味する「屋台骨がゆらぐ」であったり、「ゆらぎ」に対して「不安定さ」などネガティブなイメージを持っている人が少なくない、という(大橋 2021)。だが、大橋さんは、人間のカラダの姿勢に関しては、ユラユラとした「ゆらぎ」があるほうが、カラダにシッカリ芯が通ったものになるのだというのだ。

 

(12)「キバる」「リキむ」ことなく、「キバる」「リキむ」ことなく、〝フンワリ〟〝ユッタリ〟とゆらぎたいものだゾ!?

 この連載でも何度か話をしてきたが、わたしは「ボディふぃ~るだー!!」として、「筋トレ・筋力偏重」で「筋力」によりかかりすぎている「介護予防(運動)」における「筋力〈強化・増強〉至上主義」的な〝きたえる身体〟としての身体観をふっとばそうとしてきた。そのためにわたしは、〝気にかける體〟としての身体観を提唱し、一部分だけの筋肉・筋力によりかからない、「ガンバらない」「リキまない」「キバらない」「いためない」「つかれない」といった〝ないないづくし〟の〈身遣い(気にかける體(からだ)のうごきのはたらかせ方)〉のフィールドワークをはじめていたつもりであった。
 だが、ここにきてもまだまだ、冒頭で述べたように、歯の〈身遣い〉にいたっても、かみしめすぎのくいしばりすぎで、キバって、リキんでばかりである。まったくもって、めざそうとしていることと、実際に日頃やっていることの開きが大きすぎてなんとも恥ずかしい限りだ。
 筋肉だけではなく、体に生じている、ありとあらゆることに感じ響き応じてゆく。そんなボディふぃ~るを、わたしもまた、「キバる」「リキむ」ことなく、〝フンワリ〟〝ユッタリ〟とゆらぎながら、みがきあげてゆきたいものだなあ、とつくづく感じるボディふぃ~るだー!なのであった。
 そいでもって、歯みがきもまた、気張ることなく、力むことなく、〝フンワリ〟〝ユッタリ〟とみがいてゆきたいものだなあと、痛いほど感じているボディふぃ~るだー!なのであった。

 

【注】
(1)わたしが描いている、その1からその4までのイラストは、大橋(2014、2016)さんの本や、その本に描かれているイラストを参考にして、わたしなりのイラストにして描いてみている。

 

【文献】
大橋しん(2021)『魔法のフレーズをとなえるだけで姿勢がよくなるすごい本』飛鳥新社

 

「ボディふぃ~るだー!でぐち」のぷろふぃ~る
 説明しよう。「ボディふぃ~るだー!でぐち」は、自らの身をもってからだを動かし、自らのからだで得られた感触をことばやイラストで描こうとするフィールドワーカーである。「ボディふぃ~るだー!でぐち」がホソボソと活動して、はや20年。一時期その名を封印し、数年前までひっそりとなりをひそめていた。だが、昨今の「鍛える身体」「気張る身体」としての身体観にとらわれた「筋力増強至上主義」的な筋トレブームにモヤモヤしたものを感じはじめた。そこで、あらためて再び密かに「ボディふぃ~るだー!でぐち2号」を名乗り、「からだのはたらかせ方」に気にかける〈身遣い〉のフィールドワークをはじめることとあいなった。「鍛える身体」「気張る身体」としての身体観とは異なる、「気にかける身体」「ゆるま~る身体」としての身体観にもとづいた〈身遣い〉を、さまざまな身体術の達人から学びながらボディふぃ~るし、シノゴノと感じ考えたことをツラツラとことばやイラストで描いてゆきたい。
 (「ボデイふぃ~るだー!でぐち」の本名は、出口泰靖。世を忍ぶ仮の姿は千葉大学文学部教員。専攻は社会学。著書に『あなたを「認知症」と呼ぶ前に』〔生活書院〕など)

 

*この連載は偶数月の月末にアップいたします。