ボディふぃ~るだー! でぐちの
〈身遣い〉のフィールドワーク、はじめました〈9〉

出口泰靖    


 

第9回 

〝こきゅーの、たんきゅー!?の巻(その2)
―「全集中の呼吸っ!」ていうより、「ふだんの息遣いっ!」なんだろな

 

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(1)こきゅーを、たんきゅー!?するんだー、ボディふぃ~るだー!

 

 前回の連載では、「あくび(欠伸)」や「溜息(溜息)」というネガティブな体の働きとしてのみとらえがちな「息」を、ポジティブなからだのはたらかせ方としてとらえてみた。そして、「みずからゆるめる」というよりむしろ「おのずとゆるま~る」ような〈身遣い〉として気にかけてみた。
 今回も、「息」「息すること」や、「呼吸」そして「呼吸法」と呼ばれているいろいろさまざまな息遣いとしての〈身遣い〉を、もう少し、いろいろさまざまにボディふぃ~るしてみようと思う。

 

(2)イビキがうるさいゾー!、ボディふぃ~るだー!

 

 先ほども述べたように、前回の連載では、「あくび」や「ため息」といった、マイナスにとらえがちな体の働きが、気にかけようによっては実はポジティブなからだのはたらかせ方(〈身遣い〉)としてとらえ直すことができるのでは、といったことを述べてみた。
 ただ、息や呼吸のなかにも、気をつけた方がよさそうなのもあるのでは?そう思ったことが最近あった。
 というのも、最近わたしは、夜中によく、「イビキ」をかくようになった、らしい。「らしい」と書いたのは、わたし自身は、あまり自覚がないからだ。
 しかーも。その「イビキ」というのが、かなり、うるさい。らしい。
 夜、わたしが寝ていると、となりに寝ている妻が時折フトンをトントントンとたたいて、「イビキかいてるよ」という信号?を送ってもらうことがある。ときにそれで目が覚めることもある。それにより、やっと「ほい、イビキをかいとったんか」とわたしは気づく。
 とくに、この頃、とみにイビキの音が大きくなったらしい。「なんかの病気かもよ? 病院行く?」と少々心配されてもいる。

 

(3)「イビキ」は、どんな息なのか?

 

 ところで、そもそも、「イビキ」というのは、どんな息なのだろうか。いろいろ調べてみると、「イビキ」というのは、「寝ている際に、のどが狭くなった状態で、空気が通る時に出る音」であるという(参考:「いびきの原因を知ろう!いびきは隠れた病気のサイン!」なかいまち薬局ホームページ)。
 これまた調べてみるに、「イビキ」をかきやすいタイプの人というのもいるという。
 まずタイプのひとつに、「肥満」の人があるという。太ってる人は、舌やのどの内側の脂肪により、のどが狭くなり、イビキをかきやすくなるのだという。
 わたしも、この2、3年でかなり太ってしまった。なので、イビキの原因は、太ったことによるものなのかもしれない。
 しかし、太っていなくてもいびきが出する人はいるのだという。
 例えば、慢性的なアレルギー性鼻炎の場合、空気がうまく取り入れられず大きないびきになりがちであるという。また、晩酌などしてお酒を飲んで寝たりすると、舌が喉の奥に落ち込んでしまいイビキをかいてしまいがちであるという。
 さらに、連日夜遅くまで勉強や仕事をしている人も、疲労が原因で、イビキが大きくなってしまうこともあるという。たしかに、仕事で疲れて帰ったその夜は、大きいイビキをかくイメージがあるなあ。
 こうやってみると、いろいろネガティブなストレスがたまりやすいこの現代社会において、イビキをかかないで眠れている人のほうがまれ、のような気もしないでもない。といっても、わたしがイビキをかいてしまっているのを開き直っているわけでもないのだが。
 ただ、「あくび」や「ため息」のような息や呼吸のように、「イビキ」における息や呼吸をポジティブなからだのはたらかせ方(〈身遣い〉)としてとらえ直すことは、できそうにないかもしれない。

 

(4)「深呼吸」や「呼吸」に潜む固定観念

 

 ところで、前回の連載では、「深呼吸」というのを、「胸を開いて」「上を見上げて」「両手をあげて横にひろげて」と思い込みがちになっているが、「背中は少し丸く、手は内巻きに、脚も少し内またに」してみると、深く息を出し入れしやすいボディふぃ~るがえられることについてもふれてみた。
 そして前回ではまた、「呼吸」という体の働きを「まずはじめに吸ってから吐く」と思い込みがちなのだが、「呼吸」というのは「まずはじめに吐く」ことに気にかける〈身遣い〉でもあるのでは、ということについても取り上げてみた。
 この連載で何回も取り上げている野口体操の創始者の野口氏も、わたしたちは「深呼吸」や「呼吸」に関して先入観や固定観念にとらわれているのではないか、と次のように疑問を投げかけた文章を残している。

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 一般に行われている体操の中に、「深呼吸」と呼ばれている運動がある。「イーチ」で腕を下や上の斜側にひろげたり、上に挙げたりしながら胸を反らして拡げ、十分に息を吸う。「ニー」でその腕を元に戻したり、あるいは前下に交差したりしながら十分に息を吐く。
 この運動は胸式呼吸と呼ばれるものであって、疲労が回復し気が落ち着き爽快になり……その他諸々の効果があるという。これはほとんどまったく正しいことであるといっても間違いではない。
 また、「腹式呼吸」という運動がある。両手の掌を下腹に当ててやることが多い。「イーチ」で下腹を前にふくらませて十分に息を吸い、「ニー」で下腹をへこませて息を吐く。この運動はとくに気分を落ち着かせ健康のためには欠かせないほど大切であるという。これもまたほとんどまったく正しいことであるといって間違いではない。それにもかかわらず、今ここで、どうしても問題として再検討してみなければならないことがある。それは、胸式呼吸においては「呼吸運動-始め」というように、一般に呼吸運動の代表であるように扱われ、このようにやるのが人間の呼吸の正常なものである、という先入観を、ほとんど決定的と思われるまでに固定してしまう結果になっていることである。
 腹式呼吸においては「手を下腹に当て……」というようにやるために、腹を前にふくらませたり、へこませたり、前だけが腹であるかのような間違った固定観念をつくりだしてしまっている(野口 2003)。

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 このように野口氏もまた、「深呼吸」を「胸を反らして拡げ」ることに疑問を呈していたり、「呼吸」を「まずはじめに吸う」ことにも疑問を投げかけている。

 

(5)なぜ「吐く」が先なのか

 

 野口氏は、「呼吸」というからだのはたらかせ方において、なぜ「吐く」のが先なのか、次のようなことを述べている。

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 次の実験をやってみていただきたい。/柔道・空手・拳法などの基本技の一つである「前突」である。もちろん、前突でなく、前蹴りでも前打でもさしつかえない。いずれにしても、自分でやりやすいと思う技を選ぶ。/最初は呼吸のことなど意識しないで何回か突いてみる。調子が整ってきたと思ったら、まず、「エイッ」「ヤァッ」「トウッ」と気合をかけながら、あるいは「シュッ」と鋭く息を吐きながら突く。/つぎに、息を吸いながら突いてみる。/さて、どんな感じがするであろうか。ほとんどすべての人が、このふたつの動きに、あまりにもはっきりとした差があることに気がつき、思わず失笑してしまうほどであろう。吸いながらの動きでは、何とも頼りなく宙に浮いたような、ギクシャクした不統一感・違和感を感じたことと思う。(野口 105-106頁)

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 たしかに、野口氏が述べているように、武術や武道、ボクシングなどの格闘技もまた息を吐いて技を繰り出している。言われてみると、声を出すことひとつとってみても、そのためには息を吐かねばならない。息を吸いながら声を出すことはできない。トランペットやクラリネット、フルートなどの楽器も、息を吐いて音を出している。ただ、ハーモニカのように、息を吸っても音が出る楽器もあることはあるが。

 

(6)息はどこに入っているか気にかけているか?

 

 先ほど引用した野口氏の文章に、気になる一文があった。ここで、再度、引用しておきたい。

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 腹式呼吸においては「手を下腹に当て……」というようにやるために、腹を前にふくらませたり、へこませたり、前だけが腹であるかのような間違った固定観念をつくりだしてしまっている(野口 2003)。

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 これもまた、言われてみると、さもありなんかな、と思う。腹式呼吸であれ、胸式呼吸であれ、わたしは呼吸することに気にかける際、「からだの前」「からだの表」ばかり気にして「からだの後ろ」「からだの裏」は気にかけてなかった。
 そういえば、わたしがヨーガを学んでいる際、ヨーガの先生から「背中に息を入れて~」とか、「背中に~、ひと~いき~」といったような声をかけられたことがある。そんなとき、ふとわたしは「背中に息? 背中になんか、息がはいるものなんか?」と疑問に思ったりした。
 だが、スヤスヤとうつ伏せて眠っている赤ん坊も、プク~プク~と背中のほうがふくらむという。また、聞くところによると、声楽家の人たちのなかにも、胸や腹だけではなく、からだの後ろ側である背中や、からだの横側である脇の方も、息が入ってプク~とふくらむらしい。
 そうしてみると、わたしなんかは、からだの前面や表面にばかり気にかけて息を入れてしまっているなあ、と思う。
 わたしも赤ん坊にもどった気になって、背中やからだの後ろにも息が入れられているか、気にかけてみたいものである。

 

(7)全集中の呼吸!!

 

 ところで「呼吸」といえば、以前「鬼滅の刃」というマンガやアニメがブームになっていることについて以前に触れたことがあるが、そのマンガやアニメで出てくるセリフの一つに、「全集中の呼吸!!」というのがある。
 「鬼滅の刃」の物語の中では、「鬼殺隊」と呼ばれる鬼狩りの剣士たちが数多く登場する。この物語の「鬼」というのは、過去の人生で恨みや悲しみを抱いた人間から生まれたような者である。だが、なぜか人を喰らい、不老不死で腕や脚を切られてもすぐに再生してしまう、なかなか手強い、たやすく倒せそうもない怪物になってしまっている。
 その鬼たちに闘うために「鬼殺隊」の隊員たちが用いる特殊な呼吸法が「全集中の呼吸」なのである。この「全集中の呼吸」には、「水の呼吸」や「炎の呼吸」など、「鬼殺隊」の隊員たちが用いる呼吸法がさまざまにある。主人公も、鬼と闘うときなど、「全集中!!水の呼吸!!水面斬り!!!」と雄叫びをあげている。
 だが、作中ではこの呼吸法のやり方については、あまり詳しく説明はされてはいないようだ。作中では、「全集中の呼吸」について、「体中の血の巡りと心臓の鼓動を速くする。そうすると、すごく体温が上がって、人間のまま鬼のように強くなれる」(『鬼滅の刃』一巻)というセリフがあることにはある。また、「とにかく肺を大きくすること、血の中にたくさん空気を取り込んで、血がびっくりしたとき、骨と筋肉があわてて、熱くなって強くなる」(『鬼滅の刃』一巻)というセリフがあったりもする。ようするに、からだの隅々まで空気を巡らせるように呼吸をおこなうことによって、「全集中の呼吸」なるものができるようになるというのだ。
 ただ、「全集中!!」と言わねば(叫ばねば)ならないくらい、「呼吸」というものは集中せねばならないものなのであろうか(イラスト1)。そんなギモンもフト生まれてはくる。

イラスト1

 

(8)全集中!常中?

 

 「鬼滅の刃」の作品のなかには、「全集中・常中」という言葉も出てくる。 作中では、「柱」という「鬼殺隊」の隊員たちの隊長が何人かいる。その「柱」たちは、常に日ごろから「全集中の呼吸」ができている、というのである。しかも、寝ているあいだも「全集中の呼吸」ができている、という。まさに、朝も昼も夜も、四六時中、常に「全集中の呼吸」ができている。そのことを「全集中・常中」というようだ(『鬼滅の刃』6巻より)。
 その「全集中・常中」ができるための訓練方法の一つに、「ひょうたんを吹いて破裂させる」というのがある。近年、飲料が入っていない空のペットボトルを口にくわえ、ペコペコへこましたりふくらませたりするエクセサイズがあるらしい。現代でいえば、そのようなものであろうか。
 ただ、ひょうたんはペットボトルよりもメッチャ硬いらしい。しかも、通常のひょうたんよりも硬い特殊なひょうたんを使うという。そんなガッチガチに硬いひょうたんを吹いて破裂させるというのだ。「鬼殺隊」の隊員によっては、子どもほどの大きさのひょうたんを破裂させて割るくらいのことができる。
 わたしなどは、ひょうたんを割る訓練までして、強靱な体を手に入れたいとは思わない。だが、「鬼」と闘う必要が出てくれば、ひょうたんを破裂させる呼吸法を会得したいと思うのであろうか。

 

(9)クンバカ呼吸法をボディふぃ~るする

 

 ところで、これまた「呼吸」といえば、ヨーガという行法は、「呼吸」というのをとても重んじている。ヨーガには、たくさんの「呼吸法」があるらしい。そのなかで、「クンバカ呼吸法」というのがある。これは、「息を吸い上げて止める」呼吸法であるという。「クンバカ」というのは、「息を止める」という意味だという。
 ここで、その「クンバカ呼吸法」をボディふぃ~るしてみたい。以下の記述は、わたしが何人かのヨーガの先生から教わったものや、ヨーガのインストラクターが書いたオンラインの記事(石上 2019)を参考にしたものである。
 鼻がつまっていない人は、なるべく鼻呼吸でおこなう。呼吸する前に、耳と肩の距離を遠ざけるように、肩の力をぬく。あぐらの姿勢でも椅子にすわった姿勢でもよい。手は楽な位置においておく。坐禅をするときのように、目は軽く閉じるか、半分くらい閉じて、どこか一点を見つめる。
 その姿勢でまず、鼻から一度、息を吐き切る。息を吐ききったら、鼻からゆっくりと息を入れてゆく。
 息を入れ、からだに息が満たされるように空気を吸い込んだら、五秒間ほど息をとどめる。このとき、力んで口を強く結んだり、息を止めることを意識するのではなく、からだに息が満たされ、とどめた空気がからだ中に染み渡ってゆくようなイメージをするとよいという。できるだけ、肩や背中の力をぬいてゆく。ついでに、お尻の穴をキュッとしめるとよいという。
 その後、鼻からゆっくりと息を吐き出してゆく。このとき、お尻やお腹まわりの緊張を少しずつ解いてゆく。 このような呼吸を何回か繰り返してみる。
 このような呼吸法をやってみると、わたしなどは、気を張っていることでコリコリに固まったからだがゆるんでいくボディふぃ~るがえられるときがある。仕事をしている頭がキリキリしているときに、この呼吸法をしばらくしてみると、頭がスッキリするときもある。
注意することとしては、高血圧の方はこの呼吸法は控えたほうがよいという。また、息苦しさや辛さを感じたら、すぐに中断し、いつもの呼吸に戻したらよいという。
 また、この「呼吸法」は無理をするものではないので、まだ慣れないあいだは、息を止める時間を3秒間にするなど短くしてみてもよいという。

 

(10)カパラバディ呼吸法をボディふぃ~るする

 

 つぎに、ヨーガにおけるもう一つの呼吸法として、「カパラバティ呼吸法」というのをボディふぃ~るしてみたい。
 「カパラバディ(kapalbhati)」の「kapal」は「頭蓋」「前頭」を意味するという。また、「bhati」は「光」「輝き」や「知覚」「知識」という意味であるという。直訳すると「光る(輝く)頭蓋骨」という意味になる。「カパラ(頭蓋骨)」と「バーティ(輝く、知識)」という意味を表す言葉が組み合わさっている。この呼吸法をすると、頭蓋骨から光るというのだろうか。
 この呼吸法での姿勢は、あぐらや正坐などですわる。背筋を伸ばし、肩や首、おなかの力をぬく。そして、一秒につき一回のペースでフッ! フッ! フッ! フッ! フッ!と、おなかをへこませながら両鼻から強く一気に息を吐き出すことを繰り返してゆく。吸う息は、へこませたおなかが元にもどる時に、おのずと息が入ってゆくので、吸うことは意識せずにおこなう(イラスト2)。

イラスト2

 イメージとしては、「鞴(ふいご)」のように息を吐き出していくと言われている。「ふいご」というのは、たき火や暖炉の火や炭に酸素を送り込む時に使用する器具のことだ。ただ、「ふいご」と言われても、そもそも「ふいご」がなんなのか、わからない人もいるかと思うが。
 この呼吸法では勢いよく息を吐きつづけたりするため、酸欠状態に陥りやすくなるので気をつけたほうがいいと言われている。そして、呼吸法を終えた後は、何度かゆっくり自然な呼吸にもどしてゆく。
 この「カパラバティ呼吸法」にも注意する点があるという。それは、「必ず空腹時に行うこと」であるということだ。この呼吸法は、おなかまわりの内臓をしっかり動かしていく。そのため、胃や腸のなかにたくさん食べ物がはいっていると、消化不良などを起こしてしまうというのだ。したがって、この呼吸法をおこなう場合、食べてから3時間以上してからやるのをおすすめしている。
 また、この呼吸法は、おなかを圧迫するので、妊娠中の方は避けたほうがよいと言われている。さらに、おなかがポンプのように動くことによって、一気に血流が強くなるので、高血圧の人や心臓疾患などがある方も避けたほうがよいという。

 

(11)「吐くにまかせる」

 

 さて、前回の連載では「吐く」「吐ききる」ことについても取り上げていた。だが、わたしなどは、「息を吐こう」、「吐ききろう」と意識しすぎるあまり、かえって力んでしまったことがあった。
 合気道家の藤平氏は、「息を吐く」ことについて、次のように言っている。

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 心地よく吐く。体の中から自然に息が出ていくように。これを「吐くにまかせる」と言っている。体のどこにも力みなく、心地よく息を吐く。静まってゆく。(藤平 2022)

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 藤平氏は、ふだんの生活の中で、どこにも力みなく、心地よい息を吐いているときというのがある、という(藤平 2022)。だが、「何秒吐こう」とか「長く吐こう」とか、呼吸をコントロールしようとしていると、かえって逆に「息苦しく」なってしまうという。
 藤平氏が言うことには、日ごろからしている心地よい呼吸をするだけで、自然に深い呼吸になっていくのだという。こうしてみると、彼が「吐くにまかせる」と言っているように、「息を吐く」というのは、むしろ「息を抜く」というぐらいの、リラックスした感じの方がよいのかもしれない。

 

(12)「呼吸法」と「呼吸」は違う?!

 

 このように、いくつか「呼吸法」について取り上げてみた。だが、前回の連載でも紹介した鍼灸師の森田氏は、「呼吸法」とはあくまでも「促すもの」である、と述べている。

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 呼吸法というのは法というくらいですので、やり方です。何かをやるというのは、何かのためにやるものであるので何かを促すためのものです。/あえて大きく、深く、早く、強く、呼吸するというようなやり方を用いるのは、狙いをもっているからです。/自律神経を整える、覚醒する、落ち着かせる、意識を丹田に落とす、さまざまな狙いによって、それに該当する呼吸法が存在します。(森田 2016)

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 それでは、「呼吸」というのは、「呼吸法」と、どのように異なっているのだろうか。
 森田氏によると、「呼吸法」は「学びの場」だとすれば、「呼吸」というのは、「学んだ結果を出すところ」であるという(森田 2016)。先ほどの言葉で言うと、「呼吸法」というのは「促し」であり、「呼吸」というのは「促された結果」ということになる。
 また森田氏は、「呼吸法」に対して「呼吸」というのは、「日常の息づかい」であり、「ふだんの呼吸の状態」であるという。くわえて、「呼吸」は「落ち着きどころ」という表現も用いている(森田 2016)。
 さらに森田氏は、あくまでも「呼吸法」は「方法」であるので、「呼吸法」をすること自体はゴールではない、という(森田 2016)。ゴールは、日常の「ふだんの呼吸」への落とし込みにある、というのだ。
 したがって、「呼吸法」はあくまでも「促すもの」、「呼吸」は「ふだんの落ち着きどころ」という観点から考えてみると、「呼吸法」というのは「ふだんの呼吸」を変えるために存在するということになる。
 このように、森田氏は、「呼吸」と「呼吸法」は対極に存在するものであり、異なるものであるという。そこを混同すると、ふだんも「息をスーハースーハー(まずはじめに吐く、という発想だと「ハースーハースー」になるのだが)と深呼吸して一日を過ごす」という所業になりはててしまいかねない、というのだ。言われてみると、たしかにそうかもしれない。

 

(13)ふだんの息づかい

 

 森田氏は、日常の呼吸がどのように変わるかということが重要なのだと主張している。たとえ日ごろから習慣的に「呼吸法」をおこなっていたとしても、実際に「ふだんの呼吸」が変わらなかったり、整っていなかったりするなら、からだは変わらない、からだは不調になりやすい、と述べている。逆に習慣的に「呼吸法」などおこなっていなくとも、「ふだんの呼吸」が整っていれば、からだは不調になりにくい、と言っている(森田 2016)。
 したがって、「呼吸法」をおこなうことで事足りるわけではなく、むしろそれだけでは不十分であって、「ふだんの呼吸」の状態、つまり「ふだんの息づかい」に気にかけることが大事だということになる。わたしも、「呼吸法」を日ごろ試みておこなっていたりしてはみている。だが、いざ会議の場となると息が吸えない状態におちいっていた。どんだけ、「ふだんの呼吸」というものが整っていないのか、わかろうものだ。
 まさに、先ほどふれた「鬼滅の刃」という漫画作品で出てきた「全集中・常中」のようではないか。「鬼滅の刃」で出てくる「鬼殺隊」の隊長(柱)は、鬼を倒すことのできる「全集中の呼吸」というのを寝ているときにも使える状態にする。常に日ごろから「全集中の呼吸」ができている。しかも、寝ているあいだも「全集中の呼吸」ができている。朝も昼も夜も、四六時中、常に「全集中の呼吸」をおこなう「全集中・常中」ができているからだをつくれている。すなわち、「全集中の呼吸」という「呼吸法」を訓練、鍛錬することで、「全集中の呼吸」をふだんの呼吸(「全集中の呼吸・常中」)に落とし込むことができているといえよう。
 ふだんから「全集中の呼吸・常中」を会得したいかどうかはともかく、平々凡々たるわたしは、気になる「呼吸法」をふだんの暮らしのなかで落とし込めるよう、気にかけていきたいものであるなあ。そう思う今日のこの頃である。

 

(14)「ふだん」の乱れ?

 

 このように、「呼吸法」をおこなうことだけでは不十分で、「ふだんの息づかい」に気にかけることが大事になる。
 実際に、森田氏は、鍼灸師として多くの不調に悩む人たちと接してきた経験から、「ふだん」の自分に気を使えない人、些細なことを雑にしてしまう人は、からだの不調から治りにくい、という(森田 2016)。
 さらに森田氏が言うところには、「ふだんの乱れ」というものが、近年において加速されていると指摘している。医療技術が発達し、治療法や健康法が増えても、不調に悩む人の問題は複雑化している。ストレッチをする、有酸素運動をする、マッサージを受けるというやり方探しをするよりも、もう少し「ふだん」の自分に目をむけることが大事、と主張している(森田 2016)。
 なんともはや、〈身遣い〉のやり方探しをしているようにみえるわたしにとって、頭が痛い話である。わたしはというと、日中いくつかの呼吸法をためし、ボディふぃ~るしているつもりでいた。日中起きているときには息遣いに気にかけているつもりでいた。だが、日中は日中で会議の場に立つと息が吸えない状態になり(前回の連載を参照されたし)、夜寝ているときは、寝息に気にかけることなくイビキでまわりを困らせている。
 これは、日ごろやっているつもりの「呼吸法」が、「ふだんの呼吸」、「ふだんの息づかい」に落とし込めていない、ということなのだろうか。いわば、日ごろやっているつもりでいる「呼吸法」と、日中は会議で息が吸えない状態で夜は夜でイビキがうるさい「ふだんの呼吸」とで、わたしのからだは引き裂かれているようだ。
 いやいやいや、そんな、こ難しい話などではなく、イビキがうるさいのは、ただたんなる太りすぎなのかもしれない。
 いやはや、ここにきても、よもや、よもや、だ。からだに気にかけて暮らしていきまっしょい、と唱えようとしているボディふぃ~るだー!ともあろうものが。自分のからだへの〈身遣い〉、息づかいのなさといったら。なんたる不覚。不甲斐ない。穴があったら入りたい。
 そんなわたしに、「呼吸法」と「ふだんの呼吸」が出会うときがおとずれるだろうか。
 まずは、さまざまな「呼吸法」を取り入れるよりもなによりも、わたし自身の暮らしの「ふだん」の些細なからだのはたらかせように気にかけ、「ふだん」から学ぶことからはじめてみよう。そう思うボディふぃ~るだー!なのであった。(んでもって、連載はまだまだ続くのであった。)

 

【文献】
石上友梨(2019)「息するだけで疲労回復――自律神経を整える簡単な『呼吸法』とは」ヨガジャーナルオンライン
森田敦史(2016)『なにもしていないのに調子がいい――ふだんの「呼吸」を意識して回復力を高める』クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
野口三千三(2003)『原初生命体としての人間――野口体操の理論』岩波現代文庫
藤平信一(2022)『姿勢と呼吸の整え方』大和書房

 

 

「ボディふぃ~るだー!でぐち」のぷろふぃ~る
 説明しよう。「ボディふぃ~るだー!でぐち」は、自らの身をもってからだを動かし、自らのからだで得られた感触をことばやイラストで描こうとするフィールドワーカーである。「ボディふぃ~るだー!でぐち」がホソボソと活動して、はや20年。一時期その名を封印し、数年前までひっそりとなりをひそめていた。だが、昨今の「鍛える身体」「気張る身体」としての身体観にとらわれた「筋力増強至上主義」的な筋トレブームにモヤモヤしたものを感じはじめた。そこで、あらためて再び密かに「ボディふぃ~るだー!でぐち2号」を名乗り、「からだのはたらかせ方」に気にかける〈身遣い〉のフィールドワークをはじめることとあいなった。「鍛える身体」「気張る身体」としての身体観とは異なる、「気にかける身体」「ゆるま~る身体」としての身体観にもとづいた〈身遣い〉を、さまざまな身体術の達人から学びながらボディふぃ~るし、シノゴノと感じ考えたことをツラツラとことばやイラストで描いてゆきたい。
 (「ボデイふぃ~るだー!でぐち」の本名は、出口泰靖。世を忍ぶ仮の姿は千葉大学文学部教員。専攻は社会学。著書に『あなたを「認知症」と呼ぶ前に』〔生活書院〕など)

 

*この連載は偶数月の月末にアップいたします。