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【2007年9月11日刊行】「この本は、前の世紀に出た最も重要な本の一冊であり、
 再刊が長く待たれていた」(立岩真也=解説より)
 ──自立生活運動、障害者運動を牽引した「青い芝の会」の脳性マヒ者、横塚晃一。
 その不朽の名著、待望の復刊!
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横塚晃一【著】 立岩真也【解説】
母よ! 殺すな

四六判上製 432頁 ISBN 978-4-903690-14-8 2625円
(書評情報:『看護教育』2007年10月号[立岩真也「医療と社会ブックガイド」]/立岩真也「私が選んだ3冊」『論座』2008年1月/『読売新聞』2007年10月21日付朝刊[評者:米本昌平さん]/『出版ニュース』2007年11月上旬号/『そよ風のように街に出よう』2007年10月15日号/紀伊國屋書店『書評空間』2007年12月[評者:川口有美子さん]/『図書新聞』2008年2月16日付[評者:岡原正幸さん]/『リハビリテーション』2008年5月(503)号[評者:臼井正樹さん])
日本における障害者解放運動、自立生活運動の内実と方向性を大きく転換させた「青い芝の会」、その実践面・理論面の支柱だった脳性マヒ者、横塚晃一が残した不朽の名著。
1981年すずさわ書店版を底本とし、未収録だった横塚の書き物や発言、映画『さようならCP』シナリオ、追悼文、年表などを大幅に補遺、解説に立岩真也氏を迎え、決定版として、ここに待望の復刊!
「泣きながらでも、親の偏愛をけっ飛ばす」と言い切って自立生活へと向かい、「あってはならない存在」とされることの不合理を身をもって糾し続けて、人々に大きな影響を与えたその思想は、自立の意味が改竄され、市場経済優先主義の中に掠め取られようとする危機にある今こそ、オルタナティブな価値意識の組み替えを目指すテキストとして、読まれなければならない!


【目次】

序 母親に殺される側の論理 本多勝一

I 脳性マヒとして生きる

  脳性マヒ者の親子関係について
 或る友への手紙
 T婦人との往復書簡
 母親の殺意にこそ──重症児殺害事件の判決を終わって
 施設のあり方について──施設問題への提言
 障害者と労働
 カメラを持って
 脳性マヒとして生きる

II 差別以前の何かがある

 ゴロゴロさま
 N女への返信
 差別以前の何かがある
 不合理な存在として
 脳性マヒ者としての自覚
 脳性マヒ者の社会参加について


III ある障害者運動の目指すもの

 ある障害者運動の目指すもの
 1 殺される立場から/2 あってはならない存在?
    /3 崩壊からの出発
 募金活動をふりかえって
 我々の手で小さな施設を
 優生保護法と私
 優生保護法改正は阻止された
 ボランティアに期待するもの
 鶏にみる「弱者考」

IV 「さようならCP」上映討論集

 須佐上映会レポート
 防府養護学校上映会
 長崎大学上映会
 九州リハビリテーション大学校上映会
 福岡県社会保育短期大学上映会
 八女上映会
 柳川上映会
 北九州大学上映会


あとがき

付録/亡き夫の介護ノートより 横塚りゑ

 駒込病院入院のこと
 手術及びその後のこと
 介護者への手紙
 妻沼行き
 健全者集団に対する見解
 心の共同体

(以上『母よ!殺すな』復刊部分)


補遺

1 横塚晃一 未収録の書き物と発言
 雇用促進懇談会に出席して
 話し合いを終わって
 「青い芝」神奈川県連合会第十二回総会 (1974年5月19日)での発言
 「青い芝」神奈川県連合会第十四回総会 (1976年6月6日)での発言
 「青い芝」神奈川県連合会第十五回総会(1977年4月3日)での発言
 障害者解放運動の現在的視点
 全日本運輸労働組合協議会への抗議文
 障害者の自立についての青い芝の見解
 河野氏への手紙:大阪から帰った後に、横塚氏が河野氏にあてた手紙
2 横塚晃一への追悼文
3 シナリオ さようならCP
4 青い芝の会・歴史

解説 立岩真也





【横塚晃一】(よこづか・こういち)
1935年12月7日埼玉県生まれ。52年6月整肢療護園へ入園、小学6年に編入され、53年3月小学校卒業。同年4月中学校入学、54年12月児童福祉法適用切れにより退園、以後不就学。55年4月国立身体障害センター入所、56年3月同センター終了。64年4月マハラバ村に参加、 66年10月関口りゑと結婚、 69年2月マハラバ村を出て川崎市生田に移る。70年5月「青い芝」神奈川県連合会副会長及び会長代行。71年3月川崎市有馬に移転、同年9月長男信彦誕生。72年11月「青い芝」神奈川県連合会会長。73年10月〜日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会総連合会会長。76年8月〜全国障害者解放運動連絡会議代表幹事。77年8月都立駒込病院に入院。1978年7月20日、同病院にて胃ガンのため 死去、享年42歳。
写真:原一男(写真の転載はご遠慮ください)