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【Web連載】


『生死の語り行い・1』出てます 予告&補遺・6


立岩 真也  
(2012/12/24)

・…

 *以下は、(いつ出るかわからないけれども、毎年は出ている)万人のための雑誌、『そよ風のように街に出よう』に書かせてもらっている、やはり連載の体をなしていない連載の、そのうち出るであろう号の一部ほぼそのまんまです。なお次回は、もうすぐ発売の『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』について書くつもりです。

『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』
 安楽死・尊厳死に関わる本を出してもらった(有馬斉との共著、生活書院、2012、詳細はHP――と書く場合はたいがい「生存学」で検索すると出てくるhttp://www.arsvi.com/)を指します→「arsvi.com 内を検索」で検索してください)。私にはすでにこの主題について『良い死』(2008)、『唯の生』(2009、ともに筑摩書房)という本があって、そこに書くべきことはだいたい書いた。また『ALS――不動の身体と息する機械』(2004、医学書院)でもこの主題にふれている。基本的なことについて加えて書くべきことはない(と私は思っている)。
 にもかかわらず、もう一冊出してもらってしまった。第1章には私の短文と韓国の国会議員会館で二〇〇九年に開催された「安楽死問題韓日国際セミナー」での講演原稿を再録し、第2章には今記した法案やらそれに対する意見やらを年代別に列挙した。第3章では哲学・倫理学を専攻する有馬が倫理学の一つの立場である「功利主義」の立場からの安楽死肯定論を紹介している。第4章では日本で出版された外国や日本の事情についての本やこの件に関わってきた人たちの本を紹介している。当初意図していたもの――ブックガイドのようなものを考えていた――は第4章だけで、そして全体として変わった作りの本になっている。それはわざとのことではある。
 一つ、今年になって、「尊厳死法制化を考える議員連盟」により「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」が示され、法案提出の可能性が出てきた。結局、二〇一二年にそれはなかったのだが、この法制化を積極的に進めてきた日本尊厳死協会は、理事長が井形昭弘氏(この方については前述のHPにかなり情報あり)から元厚生労働省医政局長の岩尾總一郎氏に代わり、このたび(二〇一二年十二月)の選挙絡みでもこのことにかかわる(積極的な)発言がときに見受けられたりし、以前にまして「あり」な話になりつつある。
 この法案が出された時、それに対して、様々な組織・人から意見が出された。そして、法制化の動きは今回を含め過去に三度あった。一九七〇年代後半に一度。私は高校生だったはずだが、まったくなんの記憶もない。そして二〇〇四年前後に一度。そして今度。それらの各々の法案――あまりかわりばえがしない――や、その時々に出された意見を収録した。その多くはこちらのHPにも掲載はしている。ただ、そこにあるからと読んだ気になる(なって終わり)ということがけっこうある。それをまとめて順番に、あるいは行ったり来たりしながら、読んでもらえたらよいと思ったのだ。
 一つ、昨年(二〇一二年)の十月、「日本生命倫理学会」の大会というのが私の勤め先の立命館大学であった。私は、まったくなにもしなかった(できなかった)のだが、だからまったく名ばかりの、「大会長」というものをつとめることになった。「生命倫理学」といってもいろいろなのだが、英米流の――というのもずいぶんおおざっぱな括りだが――それ(バイオエシックス)の大きな部分は、いわゆる(死ぬために注射したりすること等の)「積極的安楽死」「医師による自殺幇助」も含め、肯定的な立場をとる。  第2章に収録した中の反対論・慎重論と、第3章で紹介されている議論とは、同じ主題についてであるはずなのだが、それぞれなんだか別の世界の話をしているようで、ずいぶん言うことが違う。まずそのことを知ってほしいと思った。その学会の大会で――新聞などでごく短く伝えられることはあるが、それ以上であることはまずない――違う意見の人たちが(「学会」なるものにはあまり縁がないにせよ)いることを知らせることには一定の意義があると考えた。そんなことがあって、大会にまにあうよう、かなり急ぎで、本にしてもらった。
 実は、「欧米」の状況はもっと「進んでいる」。つまり、積極的安楽死を認める国・(米国では)州は多くはないが、それを認めさせようという裁判やら立法の動きやら、たくさんある。その「先進国」の実情については児玉真美が『SYNODOS JOURNAL』に書いた「安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること」(これもウェブ上で読むことができる、こちらからもリンクさせている)を読んでもらいたい。そして、加えて一つ、それらの国々で反対論を積極的に展開している部分の大きな一つは、どこでも障害者たち、その組織であることは意外と知られていないかもしれない。今度の本でもそのことはいくらか記すことはしたし、HPにもいくらか情報がある。「障害学」の英語のほうのメーリング・リストなどにもこの話題はしばしば登場し、オンラインでのアンケートというか投票というかへの(合法化反対の)反対票を、といった投稿がなされる。今日もこの原稿を書いている最中にカナダの「Euthanasia Prevention Coalition(安楽死阻止同盟)」のニューズレターが転送されてきた。
 そしてそうした国々では、「バイオエシックス」対「障害者運動・学」という構図に、おおざっぱには――というのも、前者にも反対派・慎重派はいるし、後者にも「よいではないか」という人たちもいるからだ――なっている。そのことも、たぶん日本ではあまり知られていない。第3章と第2章は、第3章は英語圏での議論の紹介、第2章は日本のでのこと(批判・慎重論を多く集めた)の紹介と、その対立に対応している。そして、とくにそこまで話が進んでしまっている――めでたいことだと私は思わない――国々でもないと、たぶん双方の言い分を互いに知らない。繰り返すが、読んでもらうとわかると思うのだが、同じことについて言ったり書いたりしているはずなのに、まるで違った世界にいるように感じられるはずだ。それはいったんなんだということになる。考えてみたい人は考えてください。慎重派・批判派も、賛成派の理論――中でも「ラディカル」なもの――について、どうしても知らねばならないとまでは言わないが、いくらかでも理屈っぽい話に耐えられる人なら、読んでもらいたいと思う。私も、書けたら、この本を出す直前に数回生活書院のサイト上でこの本の準備・広告のためにさせてもらった連載の続きでその「ずれ」がどこから発しているのか、書いてみる、かもしれない。

■じつは日本の障害者はかなり早く問題にし、そしてまた動き出している
 日本では、このテーマについて障害者運動の側はどうだったのか。一九七〇年代後半の時には、松田道雄――彼が後に立場を変えることについても今度の本に記した――他「有名人」たちによる反対声明が出された。それを支えたのが看護師・看護学の教員を長く務め、『生体実験――小児科看護婦の手記』(一九六四年、三一新書)、『増補 生体実験――安楽死法制化の危険』(一九七九、三一新書)他の著作のある清水昭美だった(その著作もこんどの本で紹介している)。医師、看護師、作家(野間宏・水上勉)といった人たちが反対を言っている。それに対して、調べが足りないからかもしれないのだが、そしてその(当時は「日本尊厳死協会」と改称する前の「日本安楽死協会」の法制化の動きとそれがいったん消える――「リビング・ウィル」を普及する活動の方に力を注いでいく――までの間が短かったせいかもしれないのだが、障害者側からの動きがあったという情報は得ていない。
 だが、ああこの人たちはこのことにも目を向けているんだなと思ったのは、それよりもっと前の時期に出されたしののめ編集部編『強いられる安楽死』(しののめ発行所、一九七三年、五三頁、二〇〇円)という冊子によってだった。次に紹介する『生の技法』を書くために、東京の山手線の品川駅からしばらくのところにある「東京都身体障害者福祉会館」の資料室――これが閉鎖されそうになって花田春兆さんらが反対の運動をしたことがあったのだが、その後どうなったのだろう?――に雑然と並べられたり積まれたりしてあった本・資料をあさっていた時、偶然見つけた。(コピーはとってある。こういう今はほとんどどこにも残っていないだろう冊子等をディジタル・データで保存・公開しようという案がある。すでに一部については『関西障害者運動の現代史――大阪青い芝の会を中心に』(生活書院、二〇一〇)の著者定藤邦子『関西青い芝連合』創刊号『がしんたれ』創刊号他を全文入力したものを掲載している。そういうことをどこまでやるか。(『そよ風』創刊〇号も、コピーだが、ある。他は、誰盗んでいってないのなら、全部現物があるはず。)定藤さんはボランティアでやってくださったのだが、費用のこともさることながら、書き手や組織(もうなくなっているものも多い)の了承をもらうか、としてそれが可能か、等々をどう考えようか、ただいま思案中。)
 その冊子は、「安楽死の行なわれている事実」(山北厚)、「歴史の流れの中で」(花田春兆)、「安楽死”をさせられる立場から」(山北厚)、「福祉・社会・人間」(花田春兆)という構成になっている。そこではまず「自己決定」としての安楽死というより、殺人、例えばナチス政権下のドイツで行なわれた安楽死、というよりたんなるそして大規模な障害者・病者の虐殺がとりあげられている。そしてそのことは最初のページに明記されてもいる。

 「ここでとりあげるのは、厳密な意味での安楽死ではありません。
 それは、確実な死が眼前に迫っているわけでも、耐えがたい肉体的苦痛が身をさいなんでいるわけでも、本人の死を希望する意志が確かめられたわけでもないからです。安楽死を肯定しようとする人々でも、正常な神経の持ち主ならば、当然数えあげる筈の最低の条件を満たしていないことになります。
 ですから、それは、安楽死という名をかりた殺人に違いないのです。」(一頁、「出版にあたって」)

 ただ、その殺人・虐殺をとりあげつつ、今でいう(「自己決定」としてなされる)安楽死・尊厳死も問題にする。例えば、花田は次のようにも記している。

 「昨秋、いわゆる“安楽死”事件が二つ続いたとき、安楽死を法的に認めさせようとし、日本安楽死協会の設立を目指した動きが、クローズアップされたことがありました。ことさらに法的に認めさせようとする動きの底に、権力と結びついて、生産力となり得ないものを抹殺しようとする暗い圧力、となりかねない力を感じないわけにはいかないのです。たしかに、それは杞憂と呼べるものかもしれません。しかし、それが杞憂に終るのだ、という保証はどこにもないのです。」

 だから何もなかったわけではなく、すでにこの時期、問題にする声はあったということだ。もう一つ、(どうやら私と「同郷」の人らしいのだが)本間康二が出していた個人誌といってよいだろう『月刊障害者問題』(これも「レアもの」で、私のところにも何号分かのコピーがあるだけだと思う)で一九七六年、七九年とカレン事件のことが書かれている。カレン・クインランは、米国・ニュージャージー州の人で、七五年に意識を失い(失ったと判断され)、親が同年、「延命」の停止→死を求める裁判を起こし、二つの裁判所の審理・判決を経て、七六年には呼吸器が外され――こんなに早くものごとが動いたのだと今さらながら思う――すぐに死ぬかと思われたがそのあと十年生きた女性だった(この事件をとりあげた本も今度の本で紹介した)。その事件はさきほどの「生命倫理学」にも大きな影響を与えたとされる。
 もっとないか、調べなおししたらよいだろうと思いつつ、手をつけられないでいる。(なにかご存知の方は教えてください。)私がしたのは、しかし誰か読んで記憶に留めていくれているのかな?と思うのは、私の最初の本(単著)『私的所有論』(一九九七、勁草書房、二〇一三、生活書院から文庫半で第二版刊行予定)の序(の注)でこの冊子にふれたことだけだった。以下の文の「人達だった」のところに注が付いていて、その注にその冊子が紹介されている。

 「例えば、死に対する自己決定として主張される「安楽死」「尊厳死」に対して早くから疑念を発してきたのも障害を持つ人達だった。ここには矛盾があるように見える。私自身、かなりの部分は「自由主義者」だと思う。生命に対する自己決定が肯定されるべきだと思う。ここからは、ほとんど全てが許容されることになるのだが、ではそれに全面的に賛成かというとそうでもない。ここにも矛盾がある。少なくともあるように思える。これは場合によって言うことをたがえる虫のよい御都合主義ではないか。しかし、私は肯定と疑問のどちらも本当のことだと感じている。引き裂かれているように思われる(とりあえず私の)立場は、実は一貫しているはずだと感じる。両方を成り立せるような感覚があるはずである。」

 ではどのように一貫しているのか。それを考えて書くのが私の仕事ということになった。それをその本やその後の本に書いた。
 その中身を(いつもそうだが)一切省き、その後のことを記すと、二〇〇四年前後の第二次の法制化の動きの時にも「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会 」が立ち上がった。それを実質きりもりしたのも、その間は二五年ほども空いているのだが、清水さんだった。代表は、先日、二〇一二年六月十二日に亡くなられた、水俣病に関わる研究・医療…の活動で有名な(と今どきは説明を補わねばならない)原田正純さんに(清水さんが)お願いした。私もその会に名を連ねてはいるが、したのはいくつかの会での話や司会であったにすぎない。司会をいつのまにかすることになったしまった二〇〇五年六月二五日、「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」発足集会でお会いしたのが、私が原田さんに直接お会いする最初で最後の機会だった。
 障害者団体も、この第二次のときには動きを見せた。「DPI日本会議」の総会(大阪・二〇〇六年六月)でこの主題がとりあげられ、私も呼ばれて話をさせていただいたことがある(私が送った原稿――他に書いたものの使い回しだが――とプログラムもHPからご覧になれる)。またその機関誌『DPI われら自身の声』二二巻二号(二〇〇六年八月)の特集が「障害者の「生」と「尊厳死」――尊厳死って?」だった。(私は「わからないから教えてくれと聞いてまわるのがよいと思う。」という文章を書いている。また、同じ号で、さきのシンポジウムにも招かれた森岡正博は、米国の障害者たちが米国の生命倫理学会に乗り込み、ひとしきり言うことを言い、学者たちは排除したりはせず、しかし、その連中が去っていくといつもの学会・学会の世界に戻っていきましたとさ、という話、「米国の障害者運動の現在」を書いている。)
 そしてこのたび、第三次法制化運動にあたっては、障害者団体、全国組織では、そして古い(古くからの)ところでは「青い芝の会」、そして「DPI日本会議」、また「人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)」――本誌編集部の河野秀忠さんがこの会に関わっていることを、私は東京であった二〇周年記念の集会の時にお会いするまで知らなかった――等々、が意見を表明している。それには、ALSの人たち(「さくら会」の橋本操――「さんづけ」あるなしが入り乱れてますが乞御容赦)は第二次の時の「阻止する会」のよびかけ人の一人でもあった)や「バクバクの会」の人たちやなど「難病」――これは日常語であるとともに日本独自の行政用語のような言葉でもある――という肩書ももちつつ、(最)重度の障害者たちが声をあげていることが大きい。長いこと、「病人」でもありながら「障害者」でもある人たちの多くは、たしかに医療者・医療機関とのつきあいが長いこともあり、病人としての意識の方が強く、障害者の組織や運動とつながりをもつことがなかった。それがこの十年ほど、そのつながりができてきている。そして実際、その「最重度」の人たちにとって尊厳死はまったく(他)人ごとではない。そしてそうした人たちとのつながりをもった(普通の?)障害者たちも、これが自分たちのことであることを実感し――先述したように、以前からなくはなかったのだが、より多く――発言するようになっている。二〇一二年に立ち上がったのは「尊厳死の法制化を認めない市民の会」(呼びかけ文を本に収録)と「尊厳死法制化に反対する会」――とくに主張に違いがあるから二つあるわけでもないようだ。後者のよびかけ人には中西正司(肩書は「DPI日本会議理事」)・川口有美子(肩書は「難病患者会」になっている)が入っている。
 私は、「優生思想との対決」ということを最もはっきり言ったのは日本の障害者運動(の一部)だったと考えている。優生保護法「改悪」反対が主張され、それがながいことかかっていちおう「撤廃」にも行ったことは知られている(と思う)。ただ、私は同じくあるいはそれ以上に――という比較が可能なのかわからないのだが――「死の決定」のことは重要であり、楽しくはないでしょうが、もっと気にしてほしいと考える。そこで今度の本を作ってもらった。(見えない人は聞くこともできる)電子書籍版も用意した。どうぞよろしく。


■生活書院の本(3つずつぐらい)

◆利光 惠子 20121130 『受精卵診断と出生前診断――その導入をめぐる争いの現代史』,生活書院,339p. ISBN-10:4865000038 ISBN-13:978-4865000030 \2940 [amazon][kinokuniya]

◆児玉 真美 20110922 『アシュリー事件――メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』,生活書院,264p. ISBN-10: 4903690814 ISBN-13: 978-4903690810 2300+ [amazon][kinokuniya]

◆立岩 真也・有馬 斉 2012/10/31 『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』,生活書院,241p. ISBN-10: 4865000003 ISBN-13: 978-4865000009 [amazon][kinokuniya]

『受精卵診断と出生前診断――その導入をめぐる争いの現代史』表紙     『アシュリー事件――メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』表紙     『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』表紙


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