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【Web連載】


『生死の語り行い・1』出てます・続 連載:予告&補遺・7


立岩 真也  
(2012/12/27)

・…

 前回は、『そよ風のように街に出よう』のそのうち出る号掲載の連載?の前半に書いた『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』の紹介を(かなり)水増しものだった。今回は、もうすぐ発売の『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』について書くつもりだったが、書店で買えるようになるまですこしかかりそうなので、その『生死の語り行い・1』の補足の補足のようなことを。
 前回、「じつは日本の障害者はかなり早く問題にし、そしてまた動き出している」という節?で、しののめ編集部編『強いられる安楽死』(しののめ発行所、1973年、53頁、200円)という冊子のことを紹介したのだが、昨日、ぜんぜん別のことでこちらのHPを検索していて、今記した冊子にも関係している花田春兆さんのページに行き着き、見たら、もっと前にあったことを発見した。というか、前回に紹介したのと同様、「東京都身体障害者福祉会館」の資料室で発見し、そのメモをとったのは明らかに私なのだが、忘れていた。
 花田春兆 19681020 『身障問題の出発』,しののめ発行所,しののめ叢書7,163p.,350円
 この本のコピー、(たぶん)手元にない――どなたか本なりコピーなりお持ち出したら、お貸しください→責任をもって拙著のなにかとともにお返しいたします。太田典礼らが「安楽死協会」を設立したのが1968年1月(同年6月「日本安楽死協会」と改称)。この年の10月に出されたということである。
 私がとったメモによれば、「序・友人として」が松田道雄による文章。松田は、今度の本の第4章で取り上げた人でもあり、1970年代末の第一次の法制化運動の時には「阻止する会」の発起人の一人でもあった(が、かなり以前から、その態度には微妙なところがあり、晩年には賛成の立場の著作を書いていることは本で紹介した)。
 そしてこの本は、基本的には『しののめ』に掲載された文章の再録という形のもので、最初に置かれる文章が1962年6月、『しののめ』47号、特集:安楽死をめぐって、に掲載された「現代のヒルコ達」。これは、かなり(とても)早い。私は――『しののめ』に「青い芝の会」の主要な人物が関わったこと、その雑誌(に集った人たち)がもとになって会が作られていったことは知りつつ――どうも文芸誌とういうものがが苦手で、というか、それ以前に(たしか当時)入手できなかったこともあって、この雑誌はほぼまったくみていない。と書いて、荒井裕樹『障害と文学――「しののめ」から「青い芝の会」へ』(2011、現代書館)があったではないかと思い出し、目次を見ると第2部が「いのち」の価値の語り方」で、そこに「安楽死」を語るのは誰の言葉か」、「文芸同人誌『しののめ』に見る生命観の変遷」という章がある。書いてないはずはないのだが、やはり手元にない(こちらは、買ってあるのだが、私が買った本はすべて「生存学研究センター」の書庫にあり、今そこにいないというだけの意味でない、ということ)。別に紹介することにしよう。
 そして(やはりメモだけによれば)次が、「切捨御免のヒューマニズム」(『しののめ』50号、1963年6月)で、『婦人公論』1963年2月号の座談会「奇形児は殺されるべきか」が取り上げられている。座談しているのは石川達三・戸川エマ・小林提樹・水上勉・仁木悦子。
 作家の水上勉(「みなかみ」と読みたくなるが、「みずかみ」が正しいらしい)はやはり1978年の「阻止する会」の声明の発起人の一人だが、この座談会では「審議会を作って適正な判断を下し適正を処置をして生死を分けて了う」といったことも述べている。そしてその人は、こちらは教科書の類にも書いてあるかもしれないのだが、自身障害児の親であり、1963年の『中央公論』に「拝啓池田総理大臣殿」を発表した人でもあり(それが再録されているらしい『日本の壁』という本の古本がアマゾンのマーケットプレイスに1冊だけあったので、ちょっと高かったが、いま注文した)、それが重症障害児への施策(具体的には民営でほそぼそと数少なくあった施設に対する公的な支援、そして施設の設立)につながっていったとされる。
 また仁木悦子(1928〜1986)は推理小説家として知られた人だが、脊椎カリエスの障害のある人でもあった。ついでに、二日市安(〜2008、翻訳家、脳性まひ、」障害者の生活保障を要求する連絡会議(障害連)」等で活動)は、その人の夫だった。(私は、1980年代後半、二日市さんの世田谷の自宅で行なわれていた「「障害者の10年」研究会」というのに、幾度か、参加というか見学というか、させていただいたことがある――今度の『生の技法 第3版』にもちらっと書いたような気がする。お宅には仁木さんの写真があって、亡くなられたことは聞いたが、それがうかがっていたまだ数年前のことであることは今日まで気がつかなかった。『生の技法』のためのHP上のページを作るにあたって、今回過去に書いたものとか、整理かたがた見てみたら、私がその1993年に研究会に提出したメモがあり、前からHPに掲載されているのに気がついた。1990年代にも続いていたということだ。どうもこのへんからして記憶が怪しい。)ついでに、石川達三も作家。中学か高校の時に読書感想文の課題図書というやつで読まされて、くだらないと思ったので、そう書いた記憶しかない。
 そして小林提樹(ていじゅ、1907〜1993)は島田療護園(1992年に島田療育センターと改称)を1961年に設立した人として、そちらの業界ではたいへん有名な人であるはずだ。
 次は『しののめ』48号(1962年9月)掲載の「休暇村より生活村を」。『女性自身』の7月9日号に「私を殺してほしい」 という記事が載り、それに関西のある肢体不自由者協会会長が抗議したこと、その報道があったこと――「「女性自身」に抗議。身障者をべつ視」『朝日新聞』 (大阪本社版,7月10日)が紹介されている。
 しばらく飛ばすと『しののめ』51号(1963年10月)の「お任せしましょう水上さん」。水上が島田療護園を訪れた記事 (『婦人倶楽部』)が紹介され、さらに、女性雑誌『J』にサリドマイド剤を服用して奇形児の可能性の確率を確かめようとし、胎児を堕した父母の手記が載って、それに対する抗議があったことが記される。
 といった具合(のよう)だ。今度の私たちの本の第4章でとりあげたのは、米国やオランダ事情を紹介した本の他は、清水昭美松田道雄斎藤義彦向井承子香川知晶といった人たち。 前回も紹介したように清水は、大学務めもしたが、「学術論文」というのとは別の媒体でものを書き、「阻止する」側の裏方を担った人。松田は膨大な数の「一般読者」向けの本を書いた「市井の」小児科医。斎藤は新聞記者(毎日新聞社)。向井はノンフィクション・ライター。著書『死ぬ権利――カレン・クインラン事件と生命倫理の転回』(2006、勁草書房)を紹介した香川知晶だけが普通の意味での学者ということになる。だから学者の言う(書く)ことだけ知るだけでは「偏り」が出てしまう。(『生の技法』にも書いたことだが)実際に既にあったことが、後に輸入されたものであるかのようにされてしまう。それはまず、よくない。そしてもちろん問題はその「中身」だ。こんどの本(もう一度繰り返すと、『生死の語り行い・1――尊厳死法案・抵抗・生命倫理学』)の第2章(のいくつかの文書で言われていること)と、第3章で有馬が紹介している議論とはどういう関係になっているのか。記せる機会があったら記すことにしよう。以下に記す3冊の本の2冊の著者でもある児玉真美が本書にふれた文章も読んでおいてもらいたいと思う。→http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/archive/2012/12/14

■上記とひとまずべつに、生活書院の本(3つずつぐらい)

◆利光 惠子 20121130 『受精卵診断と出生前診断――その導入をめぐる争いの現代史』,生活書院,339p. ISBN-10:4865000038 ISBN-13:978-4865000030 \2940 [amazon][kinokuniya] ※


◆児玉 真美 20120920 『海のいる風景――重症心身障害のある子どもの親であるということ 新版』,生活書院,278p. ISBN-10: 4903690970 ISBN-13: 978-4903690971 1600+ [amazon][kinokuniya] ※

◆児玉 真美 20110922 『アシュリー事件――メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』,生活書院,264p. ISBN-10: 4903690814 ISBN-13: 978-4903690810 2300+ [amazon][kinokuniya] ※ be. eg.

『受精卵診断と出生前診断――その導入をめぐる争いの現代史』表紙    『海のいる風景――重症心身障害のある子どもの親であるということ 新版』表紙    『アシュリー事件――メディカル・コントロールと新・優生思想の時代』表紙