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【Web連載】


これは腎臓病何十万人のため、のみならず、必読書だと思う・2 連載:予告&補遺・27

立岩 真也  (2013/07/17)
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  前回に続き、有吉玲子『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』の冒頭に収録された私の文章 (の続き)を掲載する。
  と、細切れに載せてもらっても、読みにくいだろうから、全文は全文として掲載することにした→「これは腎臓病何十万人のため、のみならず、必読書だと思う」。こういう本は、各自買うのが一番だが、すくなくとも、全国津々浦々の図書館に1冊ずつあるべきだと思う。学校の図書館・図書室や地元の図書館にリクエストしてください。(もしそれが実現するなら、この本だけでなく生活書院の本の多くの初刷りぐらいはなんとかなると思う…。ついでに、私は、大学生・大学院生のころはそうやってリクエストして大学の図書館でほとんどまにあわせていた。おかげで、昔読んだはずの本はほとんど手元にはない。本を買い出したのは、大学に勤め出した後、とくに信州に移った後、学生に読んでもらおうということで集め出したからである。)
  そのうえで前回の続き。

 ――以下――

あとは本を
  そして筆者は調べられるだけのことを子細に調べた。文献を探して読むだけでなく会うべき人に会った。そしてまとめた。結果、本書は圧倒的である。
  ごく基本的なこととして、かつて腎臓病の人達たちが金を払えず死んでいったことがあることをどのぐらいの人が知っているだろうか。私は、著者が書くものから長く教えられてきたので、自分で知っていたつもりのことと著者から教えられたことと区別がつかなくなっているのだが、自己負担が大きくて、たいへんだった時期があったこと、けれども本人たちの組織の活動があり、加えて新聞のキャンペーンもあって、本人のお金がかからなくなって、透析を受けられるようになったといった程度のことは聞いて知っていたのかもしれない。ただせいぜいそんなものだった。本書に書かれているほとんどについて知らなかった。
  もちろん私たちがまず驚くのは、一九六〇年代から七〇年代の、とくに「更生医療」といった策の手前の状況であり、それを動かそうとし、動かしてきた人たちの動きだが、それについてここで加えることは何もない。その記述の厚さゆえ、一度に読み通すのは難しいかもしれないが、疲れたらいったん休んで、何度でも、読んだ次のところから読み始めてもらったらよいと思う。
  そして、公費負担と一言で括れば括れるその仕組みの全体の形成と変容が、すくなくとも私は、初めてわかった。そしてこれはたんに複雑な制度であった・あるというだけのことでなく、その仕組みがわかることによって、言えることが出てくるはずなのだ。このことについては少し後で記す。

  ここではいくらか周辺的なことについて。例えばハンセン病や結核の療養者たちの先駆的な運動があってその影響があったということ。これらの運動が日本で先駆的であったことは私も記したことがあるが、それが腎臓病の人たちの組織・運動にもつながっていたことは初めて知った。その人たちは不当・不幸にも定まった場所に集められ、そこで暮らした。そこに共通の利害や集合的な行動が現われた。そしてそこには政党も絡んでいる。例えば「日患同盟」は朝日訴訟に関わったことでも知られる組織だが、日本共産党系ということになるだろう。私自身はそちらとは別系列の(むしろそちらとは仲のよくなかった)運動のことを知ったり書いたりしてきたけれども、それと別に役割を果たしてきたものが事実あったことをもちろん否定するものではない。そのあたりの分かれ方や陣の構え方をきちんとみておく必要はあると思う。すると、朝日訴訟が最初に置かれるような教科書や本も――「患者運動」で検索すると出てくるのは今でも長宏氏の『患者運動』(勁草書房、1978)だけのようだ――それはそれで「一つ」の流れを汲むものとして見ることができるようにもなる。
  そしてその時代は、国会の答弁で大臣が、堂々と、「結核でありますとか、あるいは精神病患者、さらにはまた、らい病のように、何といいますか、反社会的な要素をおびておるもの」(◇頁)などと言われる時代であるとともに、「社会主義(的)」なものが大嫌いだったことで有名な日本医師会会長・武見太郎が、これは公費でまかなって当然だといったことを言っていたり(◇頁)、たしかに「厚労族」ではあり、業界のことをよく知っていた人ではあるだろう――そして総理大臣を少しの間務めたこともある――橋本龍太郎もそれなりにまっとうな質問をしていたりする(◇頁)。そして「革新自治体」がそれなりの役割を果たしもした――ただ同時に施設に文句を言う人たちや精神病院を問題にした人たちはそこからも除外されたのでもあった(きわめてわずかに言及しているだけだが、前者について安積純子他『生の技法』(第3版、2012、生活書院)、後者について立岩『精神医療 造反有理』(2013、青土社)。そうした時代をどう見るか。
  そして、それでもその時、いったん、ともかく福祉や医療は進められるべきものとされた。それがそんなに長くない間に風向きが変わったように思える。それはどうしてか。やってみたら大きな金がかかったからだというのは一つの答ではあるだろう。ただそれだけのことか。それらがつまりは何だったのか、考えるだけのものを私たちはもっているだろうか。それは過去において現在だったから、知っているつもりでいる人もいる。しかし実際にはたくさんのことが単純にもう知られていない。そしてこれから考えてみるべきことがある。
  本書は、腎臓疾患・障害の人たちについての本だが、それだけではない。様々を考えるための手立てを与えてくれる。例えば「難病」のこと。腎臓病・人工透析はこの範疇に入れられなかったから、それは本書の中心的な主題からは外れるのかもしれない。しかし、当時様々が捻り出された、複数の制度、制度の利用・解釈・改釈の一部として置かれた難病対策についての本書の記述にしても、その記述よりも詳しい研究がなされているか、どれだけなされているかということである。これはこれで本格的になされるべきである。そしてそれは、透析に関わる危機を感じて本書が書かれように、「難病」政策の再編がなされようとしている現在、必要なことである。
  さらに細かなことでは、『読売新聞』がこの問題を取り上げたという話は聞いていたような気がするが、掲載されたのは大阪本社版(だけ)であったこと。東京と大阪は別会社で、給料も違うのだといったことを、読売の大阪の、医療・福祉関係で腕利きの記者をやってきた原昌平さんに聞いたことはあるのだが、単純に、すこし、驚いた。そしてこの領域で一番活躍してきた(私とほぼ同年代の)原さんも、彼にうかがった時の私の記憶が正しければ、読売大阪独自のキャンペーン記事のことを御存知でないとのことだった。『朝日新聞』の大熊一夫の連載とそれが『ルポ精神病棟』という本になったこと、それが相当に影響力があったことは、いちおう今でも書かれている。さらに少数の書き物では、そのすこし前(まで)の『朝日』の記事が、大勢としては「野放し批判」であったことも書かれてはいる。だが透析についてはどうか。報道はどのようになされ、どう影響し、そしてやはりそう時間をおかず、どのように変化していったのか。しかしその前に、あったことに、そして変化自体に気づかれていないといった具合なのだ。


 ――今回はここまで――

 補足の補足のようなことを書くより、まずは読んでもらえばよいのだが、とにかく、詳しいところがわからねばならないことはわからねばならない、と思った。まず、上記した(そして次回に再録する部分でその意味にふれたのだが)自己(家族)負担の軽減の仕方について。
  そのあたりは有吉本では

第5章  公費獲得までの道程
 1  厚生省との交渉
 2  身体障害者福祉法――更生医療と内部障害者
 3  自治体への働きかけ――すべての人が制度を利用できるために
 4  公費獲得の成立過程を振り返って

が獲得とその直前の経過を

第6章  1970年代の医療供給/費用配分のスキーム
 1  医療保険制度とその矛盾
 2  医療供給のための諸施策
 3  高額療養費制度の創設――給付率の偏りの補完の策として
 4  1970年代に形成された医療供給のスキーム
 5  医療機関存続の手段
 6  せり出す費用負担者の懸念

がいったんずきあがった仕組みについて記されている。制度というものが、日本の場合には多く、法律が作られたり変えられたりというのではなく、あるものから使えそうなものを探し、それに理屈をくっつけたりして適用されていくものだということがわかる。そしてそれはたんに過去にそんな出来事があったというのではなく、どこがその財源を負担するのかというようなことで、後のことに影響を与えることがある。そのことを理解するためには、詳しく書いてもらわねばならないし、それを読まねばならない。
 それでも(そうやって)ともかく、人工透析の場合は急場をしのいだ。

 「[…]人工透析。これはしばらく放置された後で、つまり自分で金を払えない人をたくさん死なせた後で、やはり一九七〇年前後の腎臓病の患者運動や新聞(『読売新聞』大阪本社版)のキャンペーンがあって(ややこしい話を縮めると)公費負担が実現することになった。そして、しばし相当の保険点数が設定され、それが透析を行なう病院にとっては大きな収入源になり、そうした病院が増え、透析が拡大した。こんどの本の第1章でとりあげている六〇年反安保闘争〜安保ブントの系列の人たちのその後とその「地域医療」が語られる本(市田・石井[2010])で、その石井暎禧石井暎禧が自らの病院を経営していく時に目をつけたのも透析だったという。そしてその後、徐々に点数は減らされていった。透析の日本現代史を巡る初めての本格的な研究書(有吉[2013])が刊行されてその事情もいくらかわかるようになったのだが、次はその変化をどう見るかだ。一時の政策誘導が終わったためにあとは「普通」の価格にもっていったのだと見ることもはできる。ただ、どこからか境ははっきりしないのだとしても、抑制が始まり進められたと見ることもできる。これは規範的に基準を設定しないことには言えないことであるとともに、それといくらか独立して、政策側や医療者側が何をどう見ていたか、見ているかということもある。そうした仕事が残る。」

  これはどこからの引用かというと、今売っている『現代思想』12月号(特集:現代思想の論点21)に載っている「『造反有理』はでたが、病院化の謎は残る」という文章の一部。ずっとさせてもらっている連載の第96回。いつもはHPには掲載しないが、これは本の宣伝のためということで特別に掲載してある。
  その本は、有吉本からの上の引用では『精神医療 造反有理』のことで、出版社・編集者とのやりとりの後、結局、『造反有理――精神医療現代史へ』として、有吉の本より奥付の発行日としてはすこし後に(12月10日)、実際の発売日としてはすこし前に出た。11月23日、「精神保健従事者団体懇談会」主催の第7回精神保健フォーラム「変われるのか? 病院、地域――精神保健福祉法改正を受けて」という催で話をすることになっていて、そこで売ろうということで急いでもらったのである。話の題は「これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る」ということにしてあったのだが、昔話のほうは本を買って読んでくださいということにして、もうすこし今のことに関係する話をした。
  いったんできると、できたものを維持しようとする力が働くことが、当然、ある。実際そうなることもある。精神病院の場合は、維持されるどころからどんどんと増えていった。その後、だいぶたってから減らそうということになったのだが、それでもというか、だから今というか、起こっているのは、精神病院が精神病院のまま、その一部を病院でないと称する、「地域移行」のための場所としようという、そしてその経営を続けようという動きである。私が話させてもらったそのフォーラムも、そういう動きに対して開催されたものだった(と私は思っている)。(そのときに出された「宣言」は「精神障害/精神医療 2013」に収録してある。)
  では透析はどうか。それが有吉本に書いてある。当初透析施設・機械は少なく、需要に応えることができなかった。それで政策誘導を行なった。それでひどくもうかった病院もあったようだが、必要な側は緊急を要したのだから、その限りでは、それはそれでよかったということになるだろう。その後、漸次、保険点数を減らしていった。もう長く同じことを言っているのだが、「医療化」をたんに肯定するのが純朴にすぎるのと同じく、それを予め否定的に捉えることもまちがっている。そして過剰と過小とはたいがい、同時に起こっていたりもする。わかったうえでものを言わねばならない。そのためにはわからねばならない。

 
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■生活書院の本×3

有吉 玲子 20131114 『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』,生活書院,336p. 3200+160 ISBN-10: 4865000178 ISBN-13: 978-4865000177 [amazon][kinokuniya] ※ a03. h.
田島 明子 2013/03/29 『日本における作業療法の現代史――対象者の「存在を肯定する」作業療法学の構築に向けて』 生活書院,272p.  ISBN-10: 4865000097 ISBN-13: 9784865000092  \3000+tax [amazon]
稲場雅紀山田真立岩真也 20081130 『流儀――アフリカと世界に向かい我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』,生活書院,272p. ISBN-13: 9784903690308 ISBN-10: 490369030X 2310 [amazon][kinokuniya]
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『腎臓病と人工透析の現代史――「選択」を強いられる患者たち』表紙    『日本における作業療法の現代史――対象者の「存在を肯定する」作業療法学の構築に向けて』表紙    『流儀――アフリカと世界に向かい我が邦の来し方を振り返り今後を考える二つの対話』表紙